先日拙著『帝国日本の植民地を歩く』にコメントしてくださった山路勝彦先生からのメールで大江志乃夫の『日本植民地探訪』を読むように勧められた。先生は「現在、30年たちました。崔先生の著書と似たようなタイトルですが、内容的には全く違い、人類学の学説史の推移を考えるのに、重要と考え・・・」と勧められた。早速その本を読み始めた。北朝鮮、中国、サハリン、台湾、南洋など調査地はほぼ私と重なり比較しながら面白く読んでいる。ただ大きく違うのは私は基本的には一人旅であり、そのために苦労が大きい。
私は今度の拙著ではサハリンについては欠落している。それには別冊として執筆中である。大江氏がサハリンを訪ねた所もほぼ一致している。また彼が1996年、私が初めて行ったのがそれより3年後の1999年である。彼は朝鮮人たちの韓国への帰国の話、私はそれが実現する現場にいて目撃した点で接点がある。私はそれから10年弱サハリンとシベリア、カムチャッカ半島などを歩いたので自らも比較できるところがある。
ただ不思議な点がある。彼は『非戦の思想史』『日露戦争の軍事史的研究』『戦争と民衆の社会史――今度此度国の為め』『日露戦争と日本軍隊』『兵士たちの日露戦争――500通の軍事郵便から』などの名著を書いた戦争研究者でありながら日本人に朝鮮人が虐殺された瑞穂悲劇については触れていない。なぜであろう。のどかな農村で日本人と朝鮮人が暮らしたが戦争中、朝鮮人たちがスパイだという噂で村の朝鮮人子供、男女の27人が日本人に殺され、ソ連軍によって裁判、処刑された。大江氏がこのことに触れなかったことはなぜだろう。知らなかったとは思えない。私の旅はその悲劇から始まる。
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大江志乃夫の『日本植民地探訪』
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