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大連大学の林楽常先生が講義する

 宗教人類学や民俗学で不浄と清めは共同体の強化に意味がある。それに関する私の論文は数十年前に英語、フランス語、日本語、韓国語に翻訳出版されている。昨日説教で清めの話を聞きながら昔熱心に研究したトピックを思い出した。拙著にコメントをしてくれる具長老は最新著『帝国日本の植民地を歩く』について声高く絶賛してくれた。高校まで韓国で教育を受けたこと、そして反日から世界へ視野を拡げるようになったという。特に日本が戦争を仕掛けた加害者なのに被曝をもって被害国化することへの私の指摘に感動したという。彼は日本の天皇がハワイに行って謝らなければならないともいった。互いに耳が遠く声を高くして話をしても誰も耳を傾けてくれる人はいない。

 研究室で中国大連理工大学の林楽青博士を迎えた。彼は私の嗜好物の生棗などお土産を多く持ってきた。日本ではその美味しさが分からないことが話題になった。私はいちじくの味は解らない。味は文化である。彼は大連で市民講座「日本文化論」を行い、私にも講師を依頼。嬉んで行くと返事をした。
 今日はアジア共同体論の講座で大連大学の林楽常先生が講義する。常例冒頭に私から前時間の講義へのコメントを紹介する。アジア共同体論山田寛人博士のエスペラント語に関する講義への質問とコメント(2019.11.7)。エスペラント語は初耳、あまり知らなかったので斬新、面白かったという意見が多い。日本人は外国の人が日本語を話した時に間違ったと笑うことがあるが(グエン、江熊)日本人は英語を話す時、恥ずかっているのもそのためであろう(グエンティトウ、坂口)。エスペラントは文化を背景にしている国語ではなく、あくまでもコミュニケーションのために人工的に創られる言葉(メタット、上田、東、清水、張)である。モンゴルでも言葉を作っている(バトムソフ)しかし母語を無視せず(坪井、本多)補助的な便利な国際語か方言か(アピチャヤ―、ハン、高橋,安部)コミュニケーションを重要視する。しかし英語の勉強も負担になるのにもう一つの言葉が必要か(カン、ピユミ、チャン,周)普及は難しいだろう(大屋)。言語の差別を避けながらもまた別の個性を作るのではないか(コン、崔吉城)。

 田頭輝:エスペラントという言葉を始めて聞きました。I am coffeeという言葉はエスペラントを知らない人が聞くと自分がコーヒーと言って、何を言っているのかということになるけど、とらえ方によっては私はコーヒーが飲みたいと言っているととらえることが出来ます。このような考えをしたことはなかったけど確かに通じます。私も日本語が下手なのでエスペラントは少し興味を持ちました。*写真は林楽青氏

 


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