東洋経済日報コラム(2019.11.22) 「私の愛犬日記」
私は握手やハーグはほとんどしない。スキンシップはあまり好きではない。しかし、唯一の例外は、愛犬ミミだった。そんな私がミミを失った。
家内がミミを抱っこして散歩中出会った方から愛犬用のベビーカーをプレゼントでいただいた。買おうと思い、店を探し歩いていた中だったのでビックリ。彼女は必要な人がいたら上げたい思っていたと話しておられた。
日曜日、下関マラソンの日、家内がミミを抱っこして一緒に海辺の広場公園まで散歩に出た。マラソンのスタート、家内はミミの手を持って一緒に手を振り応援した。途中で一番仲良しだったワンちゃんのモコちゃんとモコのママに出会い、一緒に写真を撮った。
帰宅してミミはいつものように私の座る机の傍に横たわった。呼吸がいつになく弱く感じた。家内は礼拝と会議、私はミミの最期を感じて教会にも行かずミミを見守っていた。
私はミミに話しかけながら、なでなで。手を離すとまたやってというジェスチャー、私はずーっとなでていた。夕食時はいつものようにミミを挟んで座り、食欲のないミミに大好きなアイスを口元にやっても、水をやっても受け入れなかった。呼吸も腹式呼吸から少しずつ弱くなり家内と一緒に話しかけながら、なでなでしている時、息が止った。私もそのような死に方をしたい。
静かに、息を引き取った。目も開いたまま安らかな表情だった。家内がキレイにエンジェルケアーをしてあげて私のベッドの傍でいつものように一夜を過ごした。翌日は悲しい別れ。私のそばで一晩を過ごしたミミの胸にお花を抱かせた。ミミをよく知っている近所の方々の弔問、弔花も届いた。
永眠したのは日曜日、次の日は振替休日だった。12時に動物霊園へ、女性スタッフが丁寧にミミを抱えて歩き、我々は後について火葬台へ、焼香して黙祷する。ミミは優しい顔で眠っていた。いつも好んで食べたおやつと白いバラと菊の花に囲まれて穏やかに眠っていた。家内が最後のスイッチを入れた。しばらくして火葬終了の電話があった。それでもミミの死が実感できず、なぜか涙だけ。日本のペット霊園文化には感謝である。
ミミが嫌がる掃除機は避けてほとんど使わなかったが、使おうと思い、掃除機を出したがミミが好んで食べたおやつの食べ残した小さい破片が目に入り止めた。腫瘍の重さが自身ほど重くても頑張って引きずりながらオシッコシートまで行って排泄していた。オシッコがなく、家内が心配したが、オシッコが出て、家内が喜んでシート替え、お湯でふいてあげたのもその日。
ミミが残した大きいメッセージがある。愛され方、死に方である。多くの弔問、電話、メール、FB、ブログなどの投稿により勇気づけられている。感謝である。愛され、幸せなミミを見て、ミミになりたいと言った人も多かったが、ミミより私たちが幸せだった。何よりもミミによって私自身、やさしい情深い人に変えられたこと感謝。今はただ茫然としている。
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「私の愛犬日記」
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