私のニックネームは「雀」、その私の傍にスズメ群団が寄ってくる。机の横、一メートルほどのベランダに来てくれる。人家近くに住みながら人への警戒心が強い親しい鳥である。米粒を撒いておく。5-6羽が集まって食べたり水を飲んだりする。嬉しい。教会の教壇に花を生けてきた。教会の庭に私が植えたソテツが大きくなり、他の木に悪影響しているのではないかと、心配して見たがそうとは思えない。葉を剪定した。
先日「東洋経済日報」の固定コラムに「コロナウイルスからのメッセージ」を書いた。編集者の李相兌氏からそんな苦痛の個人史があるのかとコメントがあった。
私は二十歳に肺結核末期と診断され、死の宣告を受けた悲惨な思い出がある。当時は伝染する怖い病気であり、その病の傷はいまだに私の胸部に広く残っている。高齢者となった肺の弱い私にとって恐ろしいコロナウィルスが世界に蔓延している。主治医が私のX線を見せながら、くれぐれも気をつけるようにと言われたので、先日京都日文研での研究会に欠席した。このような脅威感は私だけの話ではない。
その中でも自分は大丈夫であろうという、安心感が心の片隅にあるのは不思議である。5年前、死境を彷徨し、心臓手術で蘇生されたことを思い出す。遡ると朝鮮戦争中には多くの死の現場を見た。そんな最中に腸チフスにより隣家の大家族のほぼ全員が死んで夜中に死体が運ばれるのを見た。幸いにも生き残った。
後に現地調査中にある村の現場で私にも感染して困惑したことがある。それでも今まで生き残っている。幸運か、何かの力であろうか。その病歴や悲惨な状況から免疫ができたのだろうか。多くの方々の祈りもあるだろうと思う。
新型コロナウイルスを感染症というか伝染病というかの区別はあいまいだという。私の子供時代には天然痘という伝染病が流行した。一八七九年に池錫永により種痘法が発明され、予防ができたが田舎ではまだ怖い。治っても痘痕が残る恐ろしい病気であった。伝染する病魔はママ(敬語)神であり崇拝しなければならなかった。発病してから医療は一切タブーであり、治るまで「13日間」供物を捧げ拝礼をする。治った時、感謝と送別のシャーマン儀礼を行う。
その悪霊ママの発祥地は中国であると言われた。今は新型コロナウィルス・・・。長い歴史を辿る気がしてやまない。そのシャーマン儀礼の巫歌に「江南は大漢国、朝鮮は小漢国…」(中国から韓国へ)という。「大漢国」は大国の中国であり、良い事も悪いことも多く朝鮮に影響した。
シャーマン儀礼は我が故郷でも行われた。慶尚、全羅、済州など全国的に行われていることを調査によって確認した。私のシャーマニズム研究はその儀礼研究から始まったといっても良い。私の1968年の論文(「韓国文化人類学」1号)は天然痘の悪霊を送る儀礼に関するものがある。私が文化財専門委員時代にママ拝送儀礼のシャーマン儀礼を京畿道民俗文化財に指定したが、地方文化財から国家文化財へ、今は国家重要無形文化財第70号とされている。
PM2.5で日常的に中国の汚染を感じていた。そんな中のコロナウィルス騒動、中国では病院を急造するなど全力を尽くしている。国家間の世界大戦とは異なる戦い。独裁監視国家とか民主主義国家など政治体制をはるかに超越した戦いである。全人類が悩みに直面している。国民国家の主義主張は言ってる場合ではない。国家を越えて見えないウィルスとの戦いである。互いに協力して人類がこの戦いに勝利すべきである。コロナウィルスからのメッセージは大きい。