大学構内の桜が満開、吹雪の美しさと孤独、悲惨な時期、時代と感ずる朝である。雀が傍まで来ているのが慰めになっている。華麗な春を奪ったコロナの前に最先端の医術も無力なこと、科学とは何を意味するか。昨日午前中には行政に協力する面談は行った。しかし大学の方針に従って毎週行われる読書会を中止せざるを得なかった。メンバーたちに電話した。残念という私の言葉に仕方がないという反応。対処の仕方は国家、個人も様々。家内も「家の内」の人になった。病院から家での待機とされている。福岡方面からは電車利用は避ける、人間社会が根本から無になっている。このまとまった休日をどう過ごすか、それはそれぞれ、人生の試練と成熟のチャンスとも思える。私は終活のような気持、何を残すか、負担を残すか、憂いを持っている。
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