下関から小倉へ、のぞみに乗って東京に着いた。飛行機に乗るのが常であるが、家内の仕事の時間との調整で乗ってみた。まわりの人が入れ替わったのを見ると東京まで一緒に乗ってきた人は少ないだろう。その距離は1100キロ、朝鮮半島の最北端までは1100キロ、ほぼ同じ区間を乗った。韓国だったら釜山から豆満江までの距離の旅に当たる。朝鮮半島が統一したらこのような旅ができる。窓から見る風景は桜前線は性急なマスコミの先行であり、花冷えで花は咲くのを躊躇している。まだ冬の麦畑が碁盤のように見えた。窓は映像のように映る。本島の半分を走る実感がわいてくる。日本は広い。戦前の日本はさらに広かった。修学旅行が朝鮮半島を経由して満洲へ、アルバムを見せながら楽しい思い出を語ってくれた人を思い出す。
田舎から都会へ出るといつも「田舎の鶏が市場の真ん中にいる」の表情になる。数日前に上京している林さんと待ち合わせ夕食を済ませてホテルに安着した。早速、北進日本の映像をみた。アナウンサーのトーンの高いナレーション、北緯50度線から赤道まで日本の広い海…という場面が展開される。1934年作のこの映像は日本史の中で一番華やか時代であった。その映像をどう説明するべきか気になる。その幻の夢は1937年に始まる日中戦争、1941年に始まる太平洋戦争、そして敗戦となった。その話は帝国の話だけではなく、隣の家の物語り、自分の生い立ちのような運命のように思える。今日本は戦後一番幸せな時代、決して幻ではないと私は声高く語りたい。今北海島新幹線開通の映像がテレビで流れている。
田舎から都会へ出るといつも「田舎の鶏が市場の真ん中にいる」の表情になる。数日前に上京している林さんと待ち合わせ夕食を済ませてホテルに安着した。早速、北進日本の映像をみた。アナウンサーのトーンの高いナレーション、北緯50度線から赤道まで日本の広い海…という場面が展開される。1934年作のこの映像は日本史の中で一番華やか時代であった。その映像をどう説明するべきか気になる。その幻の夢は1937年に始まる日中戦争、1941年に始まる太平洋戦争、そして敗戦となった。その話は帝国の話だけではなく、隣の家の物語り、自分の生い立ちのような運命のように思える。今日本は戦後一番幸せな時代、決して幻ではないと私は声高く語りたい。今北海島新幹線開通の映像がテレビで流れている。