エッセイ
今は家で蟄居生活をするのが日常的である。外に出て運動などはすることもなく、室内生活だけであり、多くの方々もそうであろう。しかし私はこのような生活が以前からずっと長く、それほど変化がない。特に健康のための運動というものはしていない。半世紀以上前から平行棒にぶら下がることと、足踏み運動、必要あって少し道上を歩くことがすべてだといえる。特に散歩など歩もしない。愛犬ミミが生きていた時は誘われて犬について歩いたこともあった。
男らしい趣味は全くなく、女性的なものが多いと言える。趣味はすべて女性的であり、韓国では妊娠以外は女性の役割,仕事は何でもできるとも言われたことがある。熱帯魚、鳥を飼ったこともあったが今はしない。今はベランダで野鳥のバードウォッチングを楽しむようになった。生け花と室内模様替えの趣味は変わらず続いている。生け花と言っても何か資格を持っているわけではない。何派かと問われても答えはない。それでも周りが褒めてくれるのは礼儀上の言葉として受け入れている。 部屋には植木鉢が一杯。冬には熱帯密林になる。隣の家の人が引っ越しの時、置いて行ったクラリンドウという鉢は他のところでは見たことがない。数年間、隣家の玄関前に置かれていて、花は咲かないと思っていたのに我が家の中で突然華麗さと長持ちする花を披露してくれた。それも二ヶ月間も豪華な花を鑑賞させてくれた。前主から誉め言葉と開花に「飼い主に寄る」とメールがあった。その他に蘭類、ブーゲンビリア、ハイビスカス、幸福の木、プレゼントの花束から根下ろしたものなどで窓際は一杯になった。 中には私の生け花の趣味を刺激するものがある。鉢に植えたことのない雑草の花が咲く。こんな名前も知らない雑草のような花に目が引かれる。生け花展示会などでは見られない雑草の花、名前は知がないがその花にも注目した。ある読者からゴランケという花名を教えていただいた。雑草は数も多く繁殖力も強く、高校野球の秋田県のチームが雑草は生命力が強いと言ったことを思い出す。雑草の生け花の大家「崔派」として普及させたい(笑)。
部屋の模様替えも常にやっている。寝室の家具をもう一度整理整頓したら、ホテルのような気分である。気晴らしになり、とてもいい。しかし、家具を移動させるのにちょっと力不足を感じる。加齢によってその頻度は減っても、変わらず、依然としてその趣味は残っている。私が家具を移動させるたびに家内は掃除機と雑巾を持って忙しい。 私の趣味は変わりなく続けられている。それには優秀な助手がいるからであろう。家内はよく手伝ってくれるだけではなく、感嘆したり、褒めたりする。花を育てる私が家内に育てられている。その私的空間で、今は大学の講義や国際会議などを遠隔で行っている。全く私的な空間が国際的に開かれる。もっともプライベートな空間が仕事の場、家内企業の場に戻りつつあるように感ずる。
男らしい趣味は全くなく、女性的なものが多いと言える。趣味はすべて女性的であり、韓国では妊娠以外は女性の役割,仕事は何でもできるとも言われたことがある。熱帯魚、鳥を飼ったこともあったが今はしない。今はベランダで野鳥のバードウォッチングを楽しむようになった。生け花と室内模様替えの趣味は変わらず続いている。生け花と言っても何か資格を持っているわけではない。何派かと問われても答えはない。それでも周りが褒めてくれるのは礼儀上の言葉として受け入れている。 部屋には植木鉢が一杯。冬には熱帯密林になる。隣の家の人が引っ越しの時、置いて行ったクラリンドウという鉢は他のところでは見たことがない。数年間、隣家の玄関前に置かれていて、花は咲かないと思っていたのに我が家の中で突然華麗さと長持ちする花を披露してくれた。それも二ヶ月間も豪華な花を鑑賞させてくれた。前主から誉め言葉と開花に「飼い主に寄る」とメールがあった。その他に蘭類、ブーゲンビリア、ハイビスカス、幸福の木、プレゼントの花束から根下ろしたものなどで窓際は一杯になった。 中には私の生け花の趣味を刺激するものがある。鉢に植えたことのない雑草の花が咲く。こんな名前も知らない雑草のような花に目が引かれる。生け花展示会などでは見られない雑草の花、名前は知がないがその花にも注目した。ある読者からゴランケという花名を教えていただいた。雑草は数も多く繁殖力も強く、高校野球の秋田県のチームが雑草は生命力が強いと言ったことを思い出す。雑草の生け花の大家「崔派」として普及させたい(笑)。
部屋の模様替えも常にやっている。寝室の家具をもう一度整理整頓したら、ホテルのような気分である。気晴らしになり、とてもいい。しかし、家具を移動させるのにちょっと力不足を感じる。加齢によってその頻度は減っても、変わらず、依然としてその趣味は残っている。私が家具を移動させるたびに家内は掃除機と雑巾を持って忙しい。 私の趣味は変わりなく続けられている。それには優秀な助手がいるからであろう。家内はよく手伝ってくれるだけではなく、感嘆したり、褒めたりする。花を育てる私が家内に育てられている。その私的空間で、今は大学の講義や国際会議などを遠隔で行っている。全く私的な空間が国際的に開かれる。もっともプライベートな空間が仕事の場、家内企業の場に戻りつつあるように感ずる。