下関の三羽烏と自称している3人の昼食会をした。野村忠司氏は文化協会の会長、佐々木正一氏は山口新聞の特任編集委員である。私が下関に住み始めてからの付き合い、友人としても、いろいろな行事にも同参することが多い。昨日は何の用事もなく、ただ久しぶりに会ってランチを共にしただけであった。野村氏は私より若干年配であり、また学習プラザの理事長に延任、佐々木氏はコラムニストなどで活躍以外新聞社のイベントや海峡映画祭などに関わった文化活動の現役の方である。私が手術を受けて以来、初めてだった。まず私に対する慰労の言葉から言論界や文化界の話に広がった。
私は公開講座を行う際の講師に関することを話題にしたが、まず政治家は対象外にした方がいいのではないかというのが彼らの意見であり、意外であった。特に地元の関係の政治と複雑なかかわりを知っているからであろう。下関の学生や市民に関わる全国的なネームバリューの方は誰か見つからなかった。去年日韓関係でもっとも話題になった朴裕河氏の招待講演の時、下関のマスメディアは全く冷淡であったことも話題にした。そして佐々木氏が若い記者を連れて拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』の出版に関する取材が無効になった背景、地域言論の安易さと偏狭さなどが指摘された。地方はまだ田舎の風潮があり、それに屈しないで広げていく、グローバル化に努力しようと三人の決議のような話になった。最後は私の「競争はいろいろあるが長生きが一番難しい、頑張ろう」で締めくくりになった。
私は公開講座を行う際の講師に関することを話題にしたが、まず政治家は対象外にした方がいいのではないかというのが彼らの意見であり、意外であった。特に地元の関係の政治と複雑なかかわりを知っているからであろう。下関の学生や市民に関わる全国的なネームバリューの方は誰か見つからなかった。去年日韓関係でもっとも話題になった朴裕河氏の招待講演の時、下関のマスメディアは全く冷淡であったことも話題にした。そして佐々木氏が若い記者を連れて拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』の出版に関する取材が無効になった背景、地域言論の安易さと偏狭さなどが指摘された。地方はまだ田舎の風潮があり、それに屈しないで広げていく、グローバル化に努力しようと三人の決議のような話になった。最後は私の「競争はいろいろあるが長生きが一番難しい、頑張ろう」で締めくくりになった。