昨日の読書会に小林孝行先生が参加、日韓親善協会の友松会長と櫛田学長も参加した。小林氏は京都大学出身の社会学者、岡山大学名誉教授であり今度10月10日「楽しい韓国文化論」の講演「韓国のエンカ」について説明をしていただいた。 「釜山港に帰れ」を例にして趙容弼が歌って、日本では渥美二郎が日本語で歌ってヒットした。韓国において、「トロットtrot」の1970年代と1980年代の変化、まだ韓国で歌い続けられている現状を語ってくれた。日本の「演歌」とよく似た韓国のエンカ、韓国では「トロット(エンカに似た韓国の大衆歌謡のジャンル名)」というジャンルの音楽だという。1976年に日本で、「熱唱/李成愛」にサブタイトルとして、「演歌の源流(韓国)を探る」という言葉が一般化されて日本の演歌が韓国起源のように言われるようになった。しかし小林氏によれば民謡などの伝統はあるにしても西洋音楽からの影響が強いこと、例えばアイルランドやスコットランドの民謡と讃美歌がアメリカを通して唱歌として日本に定着したのが主であり、特に讃美歌は宣教師たちによって直接韓国へという流れを明らかにした。
金蓮子、桂銀淑、趙容弼などが日本で活躍して、NHK紅白歌合戦にまで出場しても韓国で日本の歌手は「倭色歌謡」とされ登場することがほぼない。ここにも反日感情が横たわっている。韓国の李美子の歌が日本風ということで長い間活動中止されたほどである。私は歌の越境性について特に国歌などは歌詞や歴史によるものであり、純粋に音楽とは異なるのではないかと言い、議論した。例えば私は日本の「君が代」は特異な音楽として聞こえるがそれを歌うのはナショナリズムやイデオロギーの歌となっている。歌詞と音楽の関係から分離、あるいは結合なのか、クラシックに戻って音楽の本質を考え越境性に迫る必要性があるのではないか。その面白さを講演会で議論できればと思っている。たくさんの市民においでいただきたい。
金蓮子、桂銀淑、趙容弼などが日本で活躍して、NHK紅白歌合戦にまで出場しても韓国で日本の歌手は「倭色歌謡」とされ登場することがほぼない。ここにも反日感情が横たわっている。韓国の李美子の歌が日本風ということで長い間活動中止されたほどである。私は歌の越境性について特に国歌などは歌詞や歴史によるものであり、純粋に音楽とは異なるのではないかと言い、議論した。例えば私は日本の「君が代」は特異な音楽として聞こえるがそれを歌うのはナショナリズムやイデオロギーの歌となっている。歌詞と音楽の関係から分離、あるいは結合なのか、クラシックに戻って音楽の本質を考え越境性に迫る必要性があるのではないか。その面白さを講演会で議論できればと思っている。たくさんの市民においでいただきたい。