一月に日本文化人類学の田中雅一、上水流久彦両氏の編集委員にインタービューされたものが出版されて届いた。私の学問と人生を語ったものであり、特にシャーマニズム研究と植民地研究に関する質問に対する話が多かった。啓明大学日本学科在職時代、当時の韓国の反日感情の中から私の植民地研究が生じたものである。親日派と非難されることを覚悟して始めたものである。植民地を正面から研究し、研究学派などを作ることも希望した。しかし、学生たちは親日派と非難されることを恐れたのか植民地研究には一人も一緒にする人はおらず、私一人の孤独な道であった。しかし私が広島大学に在職して同様な研究を続けている時は違った。多くの植民地を研究する人が出た。その中の二人から研究状況が分かる論著が届いた。
山田寛人氏は日本の植民地期に日本人への朝鮮語教育に関する研究で博士号を取得。山田氏から「朝鮮語を学び、奨励した水野錬太郎」(『正論』2016年7月)、崔錫栄氏の『日帝の植民地考古学と戦後』(韓国語2015年)が届いた。上水流久彦氏の「第一回研究者訪問:東亜大学崔吉城教授」(文化人類学81巻1号、2016年6月)と共に3人の業績を見ながら希望していた植民地研究学派でも作れるのではないかと思いつつ、教え子たちに支えられていることを幸せに感じている。感謝したい。