「暮らしにくい韓国」「国境を越える韓国人」「海外同胞五百万」などの章が続く伊東順子著『病としての韓国ナショナリズム』の読書は読むというより私の辛い経験を思い出すものであった。ナショナリズムは外人だけではなく韓国人を追い出す力にもなっているようである。著者は1990年代の韓国のナショナリズムを韓国での日常生活、西洋人との付き合い、観察によって綴っている。西洋からのある留学生が「それでも中国人や日本人の中には学問上の友人ができたのに、韓国ではそれすらできなかった」という。私が韓国の大学で教鞭をとった時、日本から有名な歴史学者が訪問してきたので同僚の韓国史専攻の教授に紹介しようとしたら断られたことを思い出す。彼は後にソウル大学の教授となった有名なナショナリスト学者である。
「韓国人は全員がナショナリスト?」「韓国人はいつもわが国。わが民族。全員が国家代表みたい」といわれる韓国の開天節、10月3日BC2333年前開国したという神話による国慶節である。私は昨日広島で開かれたその開天節記念行事に参加した。300人ほどの参加者で終始密立して式が行われた。ただ国旗への敬礼はなかった。日韓親善のための祝辞などを聞いていると総領事との別れ、酒を一緒に飲んだ彼の人脈のような雰囲気があった。私も知っている顔もあって、伯和グループの安本会長とは久しぶりにあって嬉しかった。宇部市長などとも久しぶりに会った。一緒に参加した楊小平氏と多くの時間を共にし、いろいろなことを話すことができてうれしかった。
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伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社、2001)
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