今週の土曜日10月22日は第4回目ワンアジア財団の支援公開講座が中国浙江工商大学の教授金俊氏が「近代におけるアジア言説の成立とその性格」についてなされる。アジアという概念が形成されてきた経緯が分かる。アジア認識の基本概念、内容の要点は次のようである。
「asia」という言葉は紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけての頃、古代メソポタミアの人たちがエーゲ海の東を「アス」 asu (「東」「日の出」)、西を「エレブ」 ereb (「西」「日没」)としたことからはじまる。後に「アス」にラテン語の接尾辞「イア」 ia がついて Asia の語となった。ローマ帝国の属州の名称になってから範囲は広くなって現在に至っている。イエズス会宣教師のマテオ・リッチと「坤輿万国全図」(1602)に「亜斉亜」、アダム・シャールと『職方外記』(1623)に「亜細亜」は「亜」(醜い、低い、次)「細」(小さい、かすか)という観念がある。東アジアでは昔から「天下」の「華」と「夷」の二分構造による世界認識があったが、16世紀になるとヨーロッパからの世界地図などの地理知識の伝播により、様々なアジア認識が生じた。 詳しいことはぜひ東亜大学13号館202号室で14時30分からの講義をお聞きいただきたい。