牧師のいない教会は成り立たないのだろうか。私が所属している教会は「無牧」(牧師がいない)である。代わり順で牧師が登壇して説教をしている。そして必ず牧師の着任を願う祈りが含まれる。昨日は福岡から来られた女性牧師李恵蘭氏が旧約聖書のハガイ書の聖句を以て失望している人々たちに勇気を出せという説教をした。後に祈りなさい、祈ったらできないことがないという。私の答え「私はシャーマニズムの研究者である」、彼女は一瞬黙っていた。なぜであろう。話は延々と続いた。
李牧師は母を牧師として本当の母胎信仰により牧師になり、韓国から18年前宣教に来られた。在日韓国・朝鮮人だけではなく、日本人にも伝道する意思をもって行ってきた。彼女はリべラル、人種や民族を越えて宣教をしてきている。しかし教団や国籍などハードルは高く多いという。彼女は宣教において私の存在を高く評価してくれた。私のタラントが活かされるように考えているからであるという。牧師から教授が認められたのは広島でアメリカから来られた蔡牧師以来のことであった。説教と講義は異なることを牧師に説教(笑)をした。