釜山行きの飛行機はほぼ韓国人によって満席、韓国は大変だと誰も思えない平安な旅人たちであった。飛行時間40分という短い時間、隣席の日本女性に声を掛けた。熊本から韓国旅行、旅行の話より熊本地震被害を受けた話、車3台が潰された写真など悲惨な状況を見せてくれた。韓国の朴クネ不安騒ぎと熊本地震の状況がアンサンブルになって聞こえて、不安状況の中の旅行と矛盾するような気分であった。
迎えに来てくれたのは崔鐘星氏夫婦、奥さんの金氏の乗用車で光州まで3時間半、ホテルプラダに着いたのは6時ころ、意外に長興から李永松校長が先にいらして待っている。久ぶりの嬉しい再会、間もなく金喜台氏が来られた。私は1年ほど前に大手術を受けて死境を迷ったが今は完全回復して忙しい中の調査旅行であり、協力を求めた。我夫婦と家内の姉など6人が参加して東園食堂で焼肉とタコの鍋物を李先生にご馳走なった。私の古い研究フィールドワーク地であり、縁の深い長興には寄れず今日はセマウル現地に行って現況を見て、大邱へと移動。遠い旅になる。忙中閑、閑中忙が交差する。
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韓国光州
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