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Channel: 崔吉城との対話
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片得意意識

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世界中を移り住み回っている国際人がフェースブックに書いたものを読んだ。彼はいつも周辺的人物にしかなれない人生であったと振り返っている。国際人とは何かと気が付いた。地元の人が主役、異邦人は周辺人だという物語りは聖書のユダヤ人とバリサイ人との関係がよく表わしている。私は日本に留学、定住するようになってから25年になった。最初学生から「朝鮮へ帰れ」というヘイトスピーチのような投書もあったがそれほど気にせず「先生は辛いものだ」という韓国の諺を以て我慢した。日本に、下関に来て地域の人とは良く付き合っており周辺的な人だという意識はあまりない。それは日本人の家内の役割が大きいのではないかと思っている。
 昨日地域のある言論人を招いて昼食することになって若干早めて行って、関門橋が見える景色の良い個室を確保してメニュ見ながら待っていた。定刻にお客さんが来られ早速注文して大部時間が経っても食事は来ない。何の音信もない。家内が聞いて見たら注文を受けた人がオーダーを伝えたが伝わっていなかったという。私は彼が紳士的で文章力も優れた人でお話も有効で楽しく耳を傾けていたので、時間が経ったことは気にならなかった。我が家にお客さんが来た時しばしば利用してもお得意さんにはなっていない。かってに自分で片得意意識があるだけである。先日は「来られるお客様のお名前を教えていただければお部屋にお客様を案内しますので、お部屋でお待ちください」と言われ、そのように頼んだがそのままでお客さんはロビーで待っておられ、大変失礼なことになってしまったことを思い出した。景色のよいレストランとして施設はよくても従業員の質が問われそうである。しかし謝罪の言葉とサーヴィスのデザートとコーヒーがあり、「いいえ、またこんなことがあっても構いません」と笑いながら悪い冗談を言ってしまった。実は自ら得意先として関係は堅いと思ったからである。

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