新年礼拝には意外に多くの人が参加した。長老たちの家族・親族が多く、普段の3倍ほどであった。牧師は説教中信者たちにお互いに声を出して新年の挨拶をするよう数回勧めた。韓国人牧師の特徴である。初めて来られた人には不都合なこと、時間をオーバーしながら繰り返しの「説教」であった。その牧師とココスで昼食。一緒に参加した信者が彼女(牧師)のロマンスグレイ―を美しいとほめた。自然なヘアーだという。
朴大統領は化粧に関心が高いのか。夜のKBS9時ニュースで彼女自身がその問題のセウォル号事件の日に美容手術を受けていたのではないかと疑われたことに彼女は正面から「とんでもない」と否定した。私は彼女の言葉を信じて嘘ではないと思う。私も韓国の大学で総長の秘書から嘘つきだと言われたことを覚えている。「とんでもない」。何も弁明や解明はしなかった。
私は短期間ではあるが高校の国語の先生をしたことがある。古典に松江、茶山、尹善道の作品を教えられ、また教えたことがある。3人は罪を犯した人として流配(島流し)の刑を受けながら名作を多く残した。作品を教える授業で、作品中心は良いが、罪については政治、陰謀だと簡単に言い切られる。つまり「裁判は正しくない」ということを教える。憲法や法律は「鼻に掛けると鼻輪、耳に掛けると耳輪になる」という民衆の法意識が強い。その点沖縄も似ている。律法主義も困るが法の上の民心も問題である。彼女も弾劾を受けながら名言、語録を残すかも知れない。
*写真は2017年祝砲の門司港の花火