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Channel: 崔吉城との対話
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教授学生合作映像

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 定期受診で主治医の池田先生は季節の変わり目なので風邪を引かないようにおっしゃり、聴診器で私の胸の音を聞いてから、シャーマニズムについて質問された。先日差し上げた私へのインタービューの『文化人類学』の記事を読まれたようである(写真)。私の紹介で大学で講義を担当していることに感謝の挨拶もあり、話は健康相談を越えて日常会話になっていた。しかし医者からは患者とのラポールであろう。楽しい受診、これもいつか心配ごとの相談に発展するかも知れないと思った。
 研究室に2年生の白君が二人の中学時代の友人を連れてきた。この大学へ入学を希望しているという。一卵性双生児であり日本語もできて白君の映像編集に協力していた。この映像は先週の公開講座のものであり、教員が撮影、学生が編集した教授学生合作になる。映像の最後に「東亜大学2年生白成烈編集、copyright©2016」を入れるように指示した。彼らは嬉しそうに笑っていた。 
 

 

 


「公開講座」

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 今週土曜日10月29日はワンアジア財団支援公開講座の第5回目、川村博忠氏の「絵図から見るアジア」が行われる。先週は金俊氏がマテオリッチのアジア観について語ったことと、スカイプ映像で登場した姜海守氏は日本から見たアジア観に重ねて話をしてくれた。それとも関連するが今回は世界図からアジアを考えることとなろうかと思う。川村先生は日本絵図学の創立者の一人として世界的に知られた学者であり、講座には多くの市民の方々に参加してほしい。
 この講座はITによる公開講座である。しかし講義を公開することには難点もある。画像や映像の資料などの信憑性、キチンと出典の掲示などが求められる。幸いに本講座では順調に行われている。東京からだけでなく辺鄙な港町から世界へ発信すること、これこそ地域創生、活性化と思っている。残念なことはよい機会を提供しても受け手が消極的であることである。学内には「授業参観」という教科があるがこの講座はその視野から外されている。また公開されるのでフェースブックの中継で聞くという方も多く、主席率が低下するかと懸念する。
 *写真は川村 博忠 -吉川弘文館.

「東流西流」

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 下関に住み十年過ぎ,自分では地元の人間と感ずるようになった。しかし住民の方々からはまだよそ者であろうか。地域の新聞の山口新聞のコラム「東流西流」に11月12月に連載することになった。取材を受けたことがあっても執筆ははじめであり嬉しい。OKした。友人の田辺正樹氏からの電話紹介、江口寿子記者がすぐ訪ねてきた。考古学が好き、今週の公開講座の講師である川村博忠先生のお名前を学生時代に聞いて知っていると嬉しい表情であった。掲載用の写真にポーズ、初めて新人オーディションを受けるようにフラッシュの光が室内を放った。
 下関に住み初めころには港町、関門大橋、海底トンネル、フェリーふ頭など新鮮さを強く感じた。バス乗り場で待つ時や車内風景などのエッセーを書いて『下関を生きる』を自費出版したことがある。新鮮さから親しさに変わって、歩くたびに会う人はみな知り合いのように感ずる。すべての人が顔見知り、村生活のように感じている。しかし、もしかしたら片思いだろうか。排他的なところだといわれるこの町では異人のような存在ではないだろうか。「東流西流」、片思いはいつまで続くだろうか。

*逆取材のように江口氏と記念撮影

下関市指定文化財の乾船渠(旧四建ドック)

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 父上が林兼造船所で務めたという地元の田辺正樹氏が新しく読書会のメンバーとして参加した。彼は自分の父親が使ったことのある下関市指定文化財の乾船渠(旧四建ドック)の保存の必要性を語った。それは私が散歩途中で見て汚れた水が溜まっていて危険な印象を持ったところである。1911年に内務省が海底の土砂をさらったり暗礁を取り除いたりした作業船を整備するドックとして作られたものだという。下関市は文化財委員会の諮問を受けてそのまま埋めて地上に駐車場を作ると発表した。それに彼は反対運動を展開しているという。
 そこに倉光誠氏が韓国語の拙著への書評を言いながら何を文化財として保存すべきか基本的な問題点を出した。日本が作った旧朝鮮総督府庁舎は韓国が必要ではないから壊した。利用し、それ以上利用性がないものを捨てる。しかし捨てるべきではないという意見もある。ゴミという認識もさまざまである。ゴミといわれる物の中に生活し、市民に迷惑をかけているというニュースもあった。建築物として利用性のない原爆ドームを保存するのは何でだろう。世界遺産、文化財が氾濫している今日。本当に保存する理由は何だろうか。

「老人」

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 何十年も使った卓上時計が止まった。長い間錐が回り一緒に生きてきた感のある時計を分解してみた。忙しい中で変な行動であった。小学校低学年の時、私は家の壁掛け時計を分解して機能を戻せずダメにした。それでも母は怒らなかった。その後「石ラジオ」を作るなど科学者か運転手になりたかった。田舎からソウルに転学してから孤独な時間があった。読書に夢中になった。受験勉強はそれほどではなかった。中高校時代は文学作品を多く読んだ。フロイドのようなメガネ、古い革製品のカバンを持っていた。骨董品趣味があり、学友から「老人」というニックネームが与えられた。私の老人時代は長い。
 10歳過ぎの愛犬ミミちゃんは老人時代。子供の時していた靴などを齧ったり跳ねたりすることは今は全くしない、できない。ベッドにも上がれないのでそこと食卓の椅子、ソーファなど3か所に足台を作ってあげた。定年、定職ですることのない人も多い。ポストについて気勢堂々とした人、偉そうに君臨した人も気が弱まっている。他人事ではなく、自分自身のことである。今日はやりがいのある研究を続けている地理学者の川村博忠先生の講義を聞く。ワンアジア財団支援公開講座の第5回目である。*写真は私の青春時代

 

「絵図からみるアジア」

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 川村博忠教授の「絵図からみるアジア」は公開講座の第5回目であった。学生、教員、市民が参加した。私は最高先端の研究成果をもっている研究者の話を聞きたいこと以外に教員たちの参加を願っている。日本では古くから注入式教授法が一般的であり、講師によってはビデオで教員不在の講義が行われていることもある。対話式やアクティブ教授法が積極的に取り入れられていない。校内には授業参観が義務づけられることがあっても授業改善には至らない。
 今回の公開講座ではただの講演ではなく、ハーバード大学のサンデル教授の公開講座のように対話・質疑の用式を取り入れて行っている。講座の全体と前時間のリマインド、講師紹介、メイン講義、担当(司会)の私がまとめ問題点を出して対話式で議論、映像やフロアのコメント、そして学生のコメント最後に次回の予告をもって閉会する。この講義は毎時間Skypeとフェースブックにライブで中継し250人が繋がっている。ユーチューブでも発信される。ご利用を願っている。このような講義を全学のレベルにおいて授業参観として利用されることをつよく希望する。
 川村教授はギリシヤ、ローマ、アレクサンドリア以来、オルテリウスの世界地図の発達を画像を見せながらその意味を説明された。朝鮮製「混一疆理歴代国都之図」やマテオ・リッチの「坤輿万国全図」などの画像が紹介された。中華世界観によった日本人の世界観は西洋の世界観を受け入れるようになったという話の流れ中で、私は多くの疑問がでた。どうして地図を描くのか、「絵図」の絵paintingと図mapは記号論的には異なるが絵図とは何だろう。フロアーから地理学者の八田氏が立って地球儀globeが出た背景などの質疑が行なわれた。「面白い、貴重だ」というコメントに、私はなぜを連発した。韓国からの留学生の金仁弘君もコメント、最後に私が総括し、次回は鄭俊坤博士の「今、なぜアジア共同体のか」を予告。次回も一緒に聞きましょうで第5回目の川村先生の楽しく充実した名講義は終わった。





家と共同性 加藤彰彦・戸石七生・林研三編著

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 留学生白君の両親が下関に来られ昼食を共にし、長府を歩きながら案内した。父親は下関は初めて、母親は既に数回来られたという学父兄であるが私からはかなり若い40台であり、親子3人ともに学生のようにも感じた。白君は父親とくっ付いて歩き、兄弟のように見えた。韓国の父子関係もずいぶん変わったと感じた。韓国の地方からソウルの大学へ送るよりは下関へ留学させた方が安い、さらに日本での生活、日本語、アルバイトなど特典が多いのではないかと言う。私は終始韓国語で話をしたが言語障害か韓国語の多くの単語を忘れていることを感じた。韓国の最近事情を語る彼らに耳を傾けた。なにより親子関係に注目した。
 家族とは何か。日本家族の歴史を比較したという本に注目した。『家と共同性』(加藤彰彦・戸石七生・林研三編著)には長く共同研究をしている植野弘子氏の「婚出女性がつなぐ「家」―台湾漢民族社会における姉妹と娘の役割」に注目した。「未婚で死亡した女性に対する最良の供養は、冥婚であった。しかし、いまや男女とも未婚化が進んいる」という台湾の伝統家族へ遡るような文が分かりやすく書かれている。父系制が強調されている東アジア社会での家族制度、その中で女性が婚出して家と家をつなぐ機能をしていることに焦点が置かれている。そこでは孝行と敬うべきっこと、義務などに触れている。私は愛、尊敬、孝心、死、祭祀、悲しみなどを家族の制度として注目してきており、総合的に理解することができた。一読を薦める。


 

「東流西流」月曜日担当

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 今朝の山口新聞第3面にコラム「東流西流」 のエッセイ担当者が載っている(写真)。しゃべりから文へ、下関から世界へ強く発信する機会としたい。読者のご意見を願っている。私は月曜日担当である。以前毎日新聞に5年近く定期的にエッセイを書いたがいつも新鮮な気持ちで書いた。今も東洋経済日報に10年ほど連載している。しかし読者からはどうであろう。同じ名前でほぼ変わりのない内容で紙面を割愛しては申し訳ない。
  中国の学者を講師として招聘して講演をお願いしているが手続きが煩雑である。ちょっと嫌な気分である。しかし考えてみると1980年代初めころまで韓国でも同様であった。当時私は九州大学で開かれる宗教学会で発表が決まっていたが韓国での手続きに時間がかかり間に合わず、参加できず家内が代わりに参加したことがある。国家は国民が逃亡しないようにパスポート管理、相手国は不法滞在を懸念してビザ管理をしている。それは人によっては自由が管理されるという否定的な見方もあるが、一方自国民の海外旅行への安全、外国人を安全に迎える心として肯定的にも考えられる。


親族びいきから親友びいき

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 日本に住み,韓国の政治への関心が薄れているせいか、朴クネ大統領のスキャンダルは理解し難い。先週会った韓国の女性にそれがなぜ悪いのかと質問した。「崔氏の生活が汚い」という返答であった。私は草稿文を他人に読んでもらい意見を求め直していくことが多いので当件の演説草稿を友人に見てもらうことがなぜ悪いのかわからない。発端となったのは大統領の演説の原稿に崔順実氏が手を加えていたこと。大統領は「大統領選で、私の演説の表現や広報活動で助言してくれたほか、就任後もしばらく引き続き助けてくれていた」と報道陣の前で「深くお詫びします」と頭を下げたという。それでも国民の反発は収まらず抗議デモ、退陣を求める。
 全斗煥大統領の親姻戚の不正が大きい問題になったことがあるが、これはそれとは異質のものである。BBCは「親友スキャンダル」 (Korea scandal: President Park's friend)というが、何が悪いかは明言しない。おそらくフレンドシップによる「不正」が問題になっているのだろうと、想像する。大統領の不正も親姻族びいきのネポティズムから親友関係に代わっている。

学生と教員の合作映像

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 今週の土曜日はワンアジア財団支援公開講座第6回目、鄭俊坤博士の「いま、なぜアジア共同体か」が行われる。彼は本財団の首席研究員であり、財団運営のキーパーソンとして支援大学の講義などを担当しながら世界を飛び回っている。「いま、なぜアジア共同体か」をとおして「ワンアジアとはなにか」を知る時間にもなるかと思っている。私は「ワンone」が何かに注目したい。どこまでがアジアか、境、線、空間、政治、国家、土、海、反西欧、共同体、歴史、戦争、植民地、公害など広がる世界の話になりうる。可能であれば現場で一緒に聞いてほしい。
 昨日は遅くまで研究室で第3回目、鵜澤和宏教授の講義「日本人はどこから来たか」の編集を終えた。鵜澤氏は東京大学大学院で考古人類学で博士号取得、科研(文部省研究補助金)などによりアフリカや中近東、そして現在はペルーで発掘調査を続けている。最近は韓国や中国への出張が多く、世界的な視野から語ったことを映像で収められた。講義の現場を本学の礒永和貴准教授が撮影、国際交流学科2年生の白成烈君が30余分の動画に編集した。学生と教員の合作である。
 

 

おもてなし

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 2020東京でオリンピックの確定宣言に「おもてなし」という標語を打ち出した場面は印象的であった。日本人から「もてなし」という言葉は異様な感があるのは韓国や中国であろう。昔私が韓国に住んだ時、日本から来られるお客さんに宿泊、食事などご馳走すると韓国の友人が日本に訪ねて行ってもコーヒー一杯もいただけないのになぜ世話をするかといわれた。それはもてなしの文化の差を意味するに過ぎない。人の付き合いでお土産、贈り物などは日本の市場が大きいのは事実である。韓国にはお歳暮やお中元などは日本に比べるほどはない。もてなしは接待文化にポイントがある。飲食接待文化がある。1次(ビール)、2次(焼酎)、3次(ウィスキー)に行われ、意識不明の脱魂状態になることが多い。最近接待に関する法律が制定されて話題になった。自由、健全なロビー活動や人間関係への制約となるという反感がある。去年の接待費は10兆ウォンであるという。もてなしのないドライな人間関係を作っていくのではないかと憂いがないわけではない。 :Y

朴槿恵大統領の談話

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  昨日朴槿恵大統領の談話をNHKで視聴した。私には朴槿恵氏と朴正熙氏の父娘像の重なりに感じた。同時通訳は長友英子氏であった。1970年代馬山に訪ねてきて以来数回会ったことあって久しい。朴槿恵氏の支持率5%という字幕は印象的であった。彼女は国民にただ嫌われていると感じた。あるメディアのコメンデーターは新宗教との関係、降霊、降神など噂話のように語っていた。私は研究している降神巫を思い出した。しかし朴氏はそれには軽く否定した。噂話(?)と朴大統領の話は対照的であった。ある人はテレビ情報を深く考えず消化不良の信念を持って人に語り、説得し、デモもする。愛国か売国かもしれない。
 韓国に詳しい矢野氏からは信憑性があると、ジャーナリスト平井久志氏の文を送っていただいた。抜粋引用する。崔順実氏が大統領の演説文を事前に入手して手直ししていた。朴槿恵氏は「崔順実氏は、過去に私が苦しかった時に助けてくれた。その縁で大統領選の際に演説や広報分野で、私の選挙運動が国民にどう伝わっているのか、個人的な意見や感想を聞かせてくれた」「一部の演説文などで表現などについて助言を受けたことがある。大統領就任後も一定期間、一部の資料について意見を聞いたことがあったが、大統領府の補佐体制が整った後はやめた」「私としては、きちんと仕事をしようとの純粋な気持ちで行った」。朴氏が崔氏に「苦しかった時に助けてくれた」と言った。
 「苦しかった時に助けてくれた」という話は美談のように感じるがこれも嫌われている。韓国には「大統領記録物管理法」があり、大統領府(青瓦台)の文書を流出させた者は7年以下の懲役または罰金刑が課せられる。文脈から「流出させた者」とは大統領ではないはずである。自分の演説の草案を持って人に意見を求めるのは人間的と思われるが法律に違反する。私は法律は社会の統治の手段であり真理とは思わない。
 混乱状況の韓国へ「楽しい韓国文化論」現地探訪団が出発した。港で見送った。

壁と共同体

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 モノや人は常に評価される。しかし、評価されるために、あるいは賞を受けることを目的として努力するべきではない。受賞は日々の努力の評価の結果である。いま大学では認証評価を気にする話がある。それは一定期間の話ではなく、常に普段の教育現場が評価されることであろう。昨日ワンアジア財団支援公開講座第6回目、鄭俊坤博士により「いま、なぜアジア共同体なのか」が行われた。研究者、市民、学生が参加したが、本大学の教員たちの参加は少なく、無関心のようで残念である。認証評価の趣意と実行の理解が間違っているように思う。シラバスなどをチェックすることだけと思ったら大きな間違いであろう。このような公開講座は評価の良い対象であり、評価の良いチャンスにもなりうる。
 鄭氏は国家という壁を乗り越え、人々の心の中にある内面的壁をを超えて、新たな共同体の形成に向かうために「アジア共同体」の講座を行うと。「一つしか知らないという人は一つも知らない」と多様性の意味を強調し、共同体の可能性を人口の少ないモンゴル人の例にして説明を長くした。開かれたアジア共同体、「地域的な概念に拘束されず、人間の持つ可能性を広げると同時に、豊かで多様な個性、伝統や文化が尊重されるための共同体であるべき」と新しいパラダイムの変換を願った。私は鄭氏と講義結果を以て文字と映像で残す方法について相談した。*鄭氏は写真の左から3つめ

「東流西流」(山口新聞)へ寄稿文

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今朝(2016.11.7)の山口新聞に2件の記事、1件は防府市議選候補者中林堅造氏(畳製造販売業)、もう1件は「東流西流」コラムエッセイ拙稿寄稿文である。中林氏は東亜大学東アジア文化研究所に絵葉書を寄贈した人である。
終着地下関 崔吉城   今年私は韓国語で『植民地歴史を正しく見る』という本を出した。日本を囲む広くアジアにある反日文化圏のようなエリアを指し、中でも韓国が一番強い反日国家であると指摘した。植民地という脈絡からみて北朝鮮や中国も反日的ではあるが反米が強く含まれており比較的には韓国ほどではない。私は1980年代に戦前日本村と呼ばれた韓国大邱と巨文島でインタービュー調査を行い、植民地時代の経験者より非経験者の若い世代がより反日感情が強いことを知った。その後台湾、パラオの旧植民地など広く日本の占領地であった東南アジア諸国が親日的な状況であることを調査によって知った。 私はさらに脚をヨーロッパへ伸ばした。大英帝国の隣接植民地であったアイルランドと南アフリカ共和国で反英感情を調べた。アイルランドは旧イギリス植民地から独立した国家として反英ナショナリズムが強い。イギリスとは英語、宗教などを日常的に共有している。私はバスに乗ってアイルランドのダブリンからイギリスのベルファストまで越境を全く意識せず往復した。日韓関係はどうであろう。今私は日韓関係の難しい国境の港町下関、東亜大学に定着して10年が過ぎた。韓国朝鮮人にとって望郷の町、彼らは地元の人となった。私は日韓を転々と移り住みここを終着地としている。家内は日本人、民族とは何だろう。

 「お帰りなさい」

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 「お帰りなさい」下関港で釜山から帰る19名を出迎えた。彼らは美味しいものを食べたと、大満足であった。「楽しい韓国文化論」の探訪旅行だった。私はワンアジア財団支援講座のために参加ができず残念であった。パンソリ、板門店、食文化、陶山書院などへの探訪。日韓において、リトル釜山、通信使などの行事もあるが、文化交流ではこの文化論も代表的なものになっている。来年も続けたい。私は人とのネットワークが繋がるように努力したい。テーマを公開募集したい。
 昨日の本欄で紹介した防府市の市議員選の立候補者である中林堅造氏に電話で激励した。以前娘さんと一緒に山口に関する戦前の絵葉書を寄贈して下さった時、娘さんに父親の畳製造業のホームページを作ることを薦めた憶えがある。昨日の電話で彼は娘さんが私のブログやフェースブックから自分のお父さんの写真を見つけて嬉んだと言っておられた。下関に住んで地理的には門司や小倉などが近く、生活圏になっている。防府市とはメディアによって知るだけであったが中林さんの電話によって縁が広く、深くなった気がした。*写真は礒永和貴氏撮影


東亜大学創立者櫛田薫氏が講演

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 今週の土曜日2時半からの東亜大学の公開講座では東亜大学の創立者櫛田薫氏が「東亜大学」(University of East Asia)と名付けた故を語る。創立者自身による説明を初めて聞くこととなる。大学関係者はもちろん市民にとっても地域を知るために聞いてほしい。続いて中国北京の中央民族大学の黄有福名誉教授が「アジア共同体は可能であろうか」というキャッチフレーズを以て講演する。彼からは今世界化の風調が地球的に広がり、資本、商品、人々が国境を越えている。人々は同じようなものを共有しながらも国家や地域ごとに多様に存在している。他人と一緒に生きている。他人との差異点を几帳面に受け入れなければならない。その多様な文化が一つの共同体を作るためにはまず他文化とコミュニケーションすべきである。それは個々の文化が主体として、一方的ではない相互理解、多様性への尊重が必要であるという趣旨が届いている。

 <お知らせ> 
 時:2016年11月12日午後2時半から4時半
 場:東亜大学13号館202教室
 講演:櫛田薫「東亜大学と名付けた経緯」
    黄有福「アジア共同体形成と異文化コミュニケーション」
 


 


 

 

「偉大なアメリカ」 Make great again

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 私はアメリカが好き、家内は私にアメリカへの移住はどうかと言う。考えてみたい。深夜でもCNNから目を離すことなくアメリカ大統領選挙の中継を見ていた。アメリカ史上初めての女性大統領への期待がないわけではないが密かにトランプ氏を支持していた。それは彼への魅力だけではなく、8年間の執権、共和党への政権交代への関心であった。自民党の党首任期延長、朴クネ氏の憲法改正の話を聞くと李承晩、朴正熙などの三選狙いと破断の嫌な歴史を想起する。
 オバマ大統領へは黒人大統領として活躍を期待した。チェンジ、イェスウィキャン(Yes,We can)のスピーチに魅了されていた。彼は選挙中の姿とは一変しておとなしく、アメリカの牽引力が弱まった。地位に安着している存在感に対して労働者たちは「何が変化なのか」と不満が高まった。私は女性大統領というイメージは朴クネ氏を見て薄くなった。トランプへもう一回チェンジchange変化を願った。結局当選した。妄言アレルギーを持っている日本からは異様な出来ことであろう。
 手術後1年、朝7時下関済生会病院へ行き必要な検査を受け、阪田先生から心臓に異常なしと宣言された。一級障碍者から解放された。障碍者手帳などを全部返上することになった。1年間多く特恵を受けたことに感謝と何だか名残惜しいような気持ちが混ざる。ぎりぎり授業に間に合い、文化人類学の「性とジェンダー」の基本に関して近親相姦禁止incest tabooについてなぜ存在するかと疑問を投げかけて討論した。テレビでクィズプログラムで暗記知識が多いのが名門だという世間の風潮を非難して「考える教育」を強調した。学生には価値観と行動の変化を願っている。

金剛山歌劇団の公演

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 毎年見て楽しむ金剛山歌劇団の公演を昨夜見た。800席ほぼ満席の人が楽しむありがたい行事であってもメディアが報道したことは目にしたことない。口コミによって集まる。朝鮮総連系の歌劇団であり、主に朝鮮語で行われている。芸術活動であり、市民はメディアより健全で多く集まって楽しむ。私はほぼ20余年間楽しんでおり、昨夜は読書会のメンバーや隣人たちを誘って一緒にみた。
 いままでみたものの中で一番良かった。改良された伝統楽器と西洋楽器の伴奏、平面に位置して演奏し、音楽会のようにも鑑賞した。踊り、衣装などの調和がよく改善された。舞台監督の力が伝わってきた。高句麗壁画を元に細い袖の服装、細長の杖鼓で再演に挑戦したものは意味がある。線律と動きの調和が良かった。

崔氏は今でも私の‟韓国学”の師匠

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 奥さんがなくなられて遺品として何を残すかという話題が耳に残っている。読書会での倉光誠氏の話である。彼は続いてハングル版の拙著への書評を書いている中、私の文化遺産の保存の価値基準についてご自分の2年前亡くなられた愛妻への思い出から遺品処理の体験の話である。結局思い出の物、それも少なくなっていくだろう、写真くらい思い出のあるものを最後まで残すであろうと。私は夫婦愛に感動した。結果的には自分自身は何を残すのかということになった。
 昨日久しぶりに書店に立ち寄った。知人の文学評論家の『川村湊自選集』を目にして5巻「民俗・信仰・紀行編」を購入した。突然199ページで「社会人類学者、民俗学者として著名な崔氏は今でも私の‟韓国学”の師匠なのだが…」の文が目が留まった。私は生きるために研究しているがこのようにして残るのであろうと感動してしまった。何を保存するのか、何を残すのか、考える暇がない。ただ一生懸命に生きることが残ることだと思う。昨日北京から友人の黄有福先生が来られ夕食を共にしながら回想談をした。今日はワンアジア財団支援講座でお話を聞く、私は通訳もする予定である。
 

 

 

 

아시아공동체

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 어제 동아대학에서는 원아시아재단 지원 공개강좌 7주째가 행해졌다. 11월 12일은 본교 개교기념일로 겸하는 강연을 겸하였다. 초두에는 대학 설립자 쿠시다 가오루씨가 등단하여 동아대학의 설립과정과 동아대학 명명에 대해 강연이 있었다. 이것은 동시에 훼이스북으로 동시 중계되었다. 전 KRY tv 카메라멘, 교내 영상부, 강좌 카메라 등 4개의 매체에 의해 수록되었다. 이것을 편집하여 후세에 남길 것이다. 북경에서 온 중앙민족학원 교수 황유복씨의 강연 요지를 아래에 적는다. 통역 번역 요약 최길성

아시아공동체의형성과 이문화커뮤니케이션

                                황유복

 나는 민족학을 연구하는 학자로서 中国电视艺术家协会 자문위원으로 중일한 3국 텔레비전 제작자 포럼을 조직하는 일에 참여하였다. 일년에 한번씩 3국을 돌면서 개최되는데 금년 제16회 中日韩TV制作者 포럼은 북경에서 진행되었다. 매번 포럼 때마다 3국의 문화 이해의 차이를 토의하였다. 역사인식 문제로 한일간에 대립이 있었다. 또 한중간에 다큐멘트 영화 를 가지고 한중이 대립했다. 전쟁고아 영화를 둘러싸고 중일이 대립되었다. 민간인 교유에 국가관으로 대립하는 점에 나는 아시아공동체 형성 필요성을 느끼게 되었다.
  아시아공동체는 가능한가? 西势东渐으로 일본을 제외한 아시아 전체가 수난을 당하던 그 시대에 중국근대의 사상가, 정치가, 교육가인 梁启超가「아시아는 현재에 있지 않고 미래에 있다(亚洲者,不在现在,在未来也)」고하였다. 아직도 아시아는 현재에 있다.  “아시아공동체”란우리의꿈이요,미래일뿐이다.
  동아시아의 평화에도 낙관과 비관이 병존한다. 불안정한 상태이다.조선반도의 핵문제와 남북대립, 미국의 지배를견제하려는 중국, 아직도 강력한 일본, 유럽과 아시아의 다리를 걸치고 자동아시아로 진출하려는 러시아까지 등장하면서 동아시아는 예측불허의 불안한 상태이다. 
  글로벌화에 역행해서 지역화 현상이 일고있다. 유럽연합, 북미자유무역협정,  동남아국가연합(ASEAN) 등 그 중에 ASEAN은 동남아시아 공동체, LAS는 서아시아아랍공동체이다. 민족,국가 및 사회의 유지와 발전의 가장 기본적인 가치는 인간의 사고방식과 행동양식 및 그것들에 의해 만들어진 고유의 문화일 것이다. 동아시아공동체의형성에는역사인식문제, 영토문제 등 난관이 존재한다. 그래도 동아시아문화공동체를 구축하려 하지 않으면 안 된다. 
 이미 문화블록을 형성한 역사가 있다. 3000년전부터 “한자문화권”,“유교문화권”,“쌀문화권”,“태음력문화권”,“불교문화권” 등으로 불려지는 문화블록이다.그것은 “중화제국”중심의 소위 “화이질서(华夷秩序)”로서문화의 흐름이 주로 중국대륙에서 조선반도로, 다시 일본으로 전해졌다. 물론 한국이나 일본에서 중국으로 유입되기도했으나 별로 연구되지 않고 있다. 明治維新 이후에는 일본의 자본주의 문화가 한국과 중국으로 흘러들어갔다.  그것은 “동아신질서”라는 구조로 일본의 아시아침략을 동반한“일방통행”이었다.
 오늘날 동아시아는 서로 상대를 보기 시작했다. 경제적 상호의존의 심화에 따른 생활상 교류가 상당히 진전된 상황이다. 오늘의 동아시아문화 교류는고대의 “화이질서”속의 문화교류도, 근대의 “동아신질서” 속의 문화교류도 아니다. 평등한 국제관계 구조 속에서 문화교류가 진행된다. 즉 동아시아에 문화적 쌍방향성교류가 시작됬다는 의미이다.       
  지금 세계화의 바람이 전지구적으로 확산되면서 민족이나 국가의 경계를 넘어 자본과 상품 그리고 사람들이 이동하고 있다. 사이버에 의해 시간과 공간을 넘나들거나 문화간의 경계를 넘나드는 cultural border-crossing 현상이 일어나고 있다.
  인류는 하나이지만 민족과 문화는 다양하다. 사람들은 같은 것들을 공유하면서도 국가나 지역마다 다양하게 살아가고 있다. 우리의 일상생활도 생각과 행동이 다르지도 같지도 않은 다양한 다른 사람들과 더불어 살아가는 것이다. 이문화간의 다양성을 받아들이면서 서로의 차이점을 꼼꼼히 되짚어가야 한다. 다양한 문화가 하나의 공동체를이루기 위해 서로 다른 이문화간의 커뮤니케이션communication이 절실히 필요하다. 개개의 문화가 독립적인 문화주체라는 관점에서 서로 다른 문화간의 일방적 문화의 전파나 수용이 아닌 상호교류로서의communication을통한 상호이해, 다양성에 대한 존중이필요하다.

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