November 13, 2016, 5:17 am
昨日東亜大学ではワンアジア財団支援公開講座7週目が行われた。11月12日は本校開校記念日を兼ねる講演であった。 初頭には大学設立者櫛田薫氏が登壇して東亜大学の設立経緯と「東亜」大学命名について講演した。フェイスブクでライブで中継された。講座の内容は4個のカメラによって収録された。これを編集して後世に残すこととする。続いて北京から来られた中央民族学院大学の教授黄有福氏の講演要旨を下に要約紹介する。 通訳翻訳要約は崔吉城
アジア共同体形成と異文化コミュニケーション
黄有福
私は中日韓3国テレビ製作者フォーラムを組織することに参加した。毎年一回ずつ3国を持ち回りで開催される。今年第16回フォーラムは北京で行われた。フォーラムでは3国の文化の差で摩擦が起きた。歴史認識問題で韓日間に対立、ドキュメント映画を持って韓中が対立、戦争孤児映画を巡って中日が対立した。民間人交流に国家観で対立する点で、私はアジア共同体形成の必要性を感じた。
アジア共同体は可能なのか? 東アジアの平和にも楽観と悲観が並存する。 朝鮮半島の核問題と南北対立、アメリカと中国、日本、ロシアまで登場して東アジアは予測不可能の不安な状態だ。グローバル化に逆行して地域化現象がおきている。 民族、国家および社会の維持と発展の最も基本的な価値は人間の考え方と行動様式及びそれらによって作られた固有の文化であろう。 それでも東アジア文化共同体を構築しなければならない。
文化ブロックを形成した歴史がある。 3000年前から“漢字文化圏”、“儒教文化圏”、“米文化圏”、“太陰暦文化圏”、“仏教文化圏”等と呼ばれる文化ブロックだ。それは“中華帝国”中心のいわゆる“災い姨姪壻(?夷秩序)”として文化の流れが主に中国大陸から朝鮮半島に、そして日本に伝えられた。 明治維新以後には日本の資本主義文化が韓国と中国に流れて行った。 それは“東亜新秩序”という構造で日本のアジア侵略を伴った“一方通行”だった。
今日東アジアは互いに相手を見始めた。 経済的相互依存の深化にともなう生活像交流が非常に進展した状況だ。 平等な国際関係構造の中で文化交流が進行される。
人類は一つだが民族と文化は多様だ。異文化間の多様性を受け入れてお互いの差異点をきちんと確かめ合わなければならない。異文化間のコミュニケーションcommunicationが必要だ。
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November 14, 2016, 6:04 am
昨朝黄有福先生を、午後は李恵蘭牧師をそれぞれ家で迎えて関門海峡を眺めながらお茶話を楽しんだ。
「おもてなし」(東洋経済日報、2016.11.11寄稿文)
私は韓国で生まれ育ったが適応不応な文化が二つある。それは飲酒文化と歌唱文化である。私は父親と同様に酒は飲まない。父がなぜ酒を飲まなかったのか聞いてみたことはないが私には理由がある。大学生になって酒とタバコをトライしてみた。味は知らないが格好良さへの試みであった。ある日私は友達に強い酒を勧められるがままに飲んで意識不明になり緊急入院したことがあり、それ以来酒には心身共にアレルギーがあり、宴席などを避けるようになった。そして社交性も薄れてしまい、職場で難しいことがあっても酒では和解するのができない。
歌は中学生時代に失敗したこと、軍隊生活では命令に従い歌ってもうまく歌えず辛かったことが脳にインプットされたようである。多くのパーティーで歌うように強く勧められるので自然に私は早く引きあげる人になったが今では加齢によって勧められることもなくなった。そして日本に住むようになってその二つから完全に解放された。酒と歌が苦手であっても社交性がないとは言えない。私はお茶や食事を共にしながら対話をし、人とつきあうことは好きである。「もてなし」されるよりもするのが好きである。
2020東京でオリンピックの確定宣言に出た「おもてなし」という標語が打ち出された場面は印象的であった。日本のもてなしとは何だろう。微笑とあいさつを指すように思われる。日本人から「もてなし」という言葉を聞くのは異様な感があるのは韓国や中国であろう。昔私が韓国に住んでいた時、日本から来られるお客さんに宿泊、食事などを提供すると韓国の友人は日本に訪ねて行ってもコーヒー一杯ご馳走してもらえないのになぜもてなすのかと何度も言われた。それはもてなしの文化の差を意味するに過ぎない。付き合いでお土産、贈り物などは日本の市場が大きいのは事実である。お歳暮やお中元などは韓国とは比べものにならない。もてなしは飲食接待文化である。
韓国では1次(ビール)、2次(焼酎)、3次(ウィスキー)で行われ、意識不明の脱魂状態になることが多い。最近接待に関する法律が制定されて話題になった。韓国人の「虚礼虚式」の廃止のこの法律を推進した国民権益委員会の委員長の名前を取って「金英蘭法」とも呼ばれている。それは自由健全なロビー活動や人間関係への制約になるという反感がある。去年の接待費は10兆ウォンだったという。そこで接待文化を法律で縛る「不正請託及び金品授受の禁止関係法」が施行された。一回の食事費は3万ウォン、プレゼントは5万ウォン、慶弔費は10万ウォンを越えると贈収賄罪で処罰を受けることになる。日本植民地時代の宇垣一成総督の「儀礼準則」と朴正熙大統領の「家庭儀礼準則」を想起する。
もてなしは社会の潤滑油として機能しており、モラルに任されるべきであるという意見が強く騒ぎになっている。一方もてなしのないドライな人間関係を作っていくのではないかという憂いもある。*写真黄先生と。
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November 15, 2016, 6:44 am
大学主催の懇親会に主賓として参加した中国中央民族大学の黄有福氏、彼は世界的に有名な社会人類学者費孝通(FEI Xiaotong)氏に学んだという。黄氏は1980年代1年間ハーバード大学に訪問研究をした民族学者である。大学創立記念パーティで私は彼に日本をどう思うかと質問した。彼は一般的に中国人たちが日本に来て言う感想の「親切さ」に触れた。お客様に最敬礼や敬語などは過剰であろう。商業の取引も平等な関係であり、過剰な親切は不要だという。私も気が付かなかったので新鮮な話だと思った。しかしそれは「お客様は神様」への反撃する爆弾宣言のように聞こえた。深く考えてみた。「お客様は神様」とは卑怯な商術なのか、礼儀作法であろうか。彼は日本人の礼儀正しさと親切さに疑問を投げかけた。
懇親会で彼を主賓として上座に座らせ最大の敬意を表したことは我々が彼に服従する不平等な行為であったのか、考えた。礼儀はフレンドリーの表れであり人間関係を調節する機能があるという。過剰な礼儀は人間関係を遠避けることとなる。「お客様は神様」は礼儀の次元だけではない。尊敬という貴重な態度であろう。尊敬は不平等な心理である。しかし、人を愛する心である。
대학주최 친목회에 주빈으로서 참가한 중국 중앙민족대학의 황유복씨,그는 세계적으로 유명한 사회인류학자 費孝通(FEI Xiaotong)씨에게 배웠다고 한다. 황씨는 1980년대 1년간 하버드 대학에 방문 연구를 한 민족학자이다. 동아대학창립 기념 파티에서 나는 그에게 일본을 어떻게 생각하느냐고 질문했다.그는 일반적으로 중국인들이 일본에 와서 말하는 감상 「친절함」에 언급했다. 고객에게 최경례나 경어 등이 과잉이라고 느껴진다고 하였다. 상업의 거래도 평등한 관계이며, 과잉한 친절은 불필요하다는 것이다. 「고객은 왕」이라는 일본인들의 상업정신에 물을 끼얹는 폭탄 선언이었다. 「고객은 왕」이란 결국 비겁한 매매 상술일까, 예의범절일까? 그는 일본인의 예의바른 친절함에 의문을 던졌다.
친목회에서 그를 주빈으로서 윗자리에 앉혀 최대의 경의를 표한 우리들은 결국 그에게 복종하는 불평등한 행위이었던 것인가. 예의는 프렌들리의 표시이며 인간 관계를 조절하는 기능이 있다. 과잉한 예의는 인간 관계를 멀리하는 것이 된다. 「고객은 왕」은 예의의 차원 뿐만 아니란 존경이라는 귀중한 심리이다. 존경은 불평등한 심리이다. 그러나, 그것은 사랑하는 마음이다.
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November 16, 2016, 6:46 am
「人徳」とは何だろう。私を現職に紹介してくれた人が元同僚であった美学者金田晉氏である。先週大学創立記念パーティでもそれが話題になった。彼は多くの人を紹介したという。彼は同僚の縁から友人、恩人へとより親しくなっている。私も人を時々紹介や推薦をするがあまり感謝の言葉は聞いていない。むしろ裏切られるような感がある場合さえある。朴クネ氏に恩恵を受けた人が恨むようなことがあるのが世間である。金田氏と私、二人の差は何だろう。それは人徳の差ではないだろうか。彼は優しさと強さを同時に持っている。指導者タイプである。「環境ジャーナル」26.10.31の寄稿文、彼のエッセーをここに紹介する。
私の勤務している下関の東亜大学では、この秋10月からインターネットによる計15回の公開講座「ITによるアジア共同体教育の構築」(オムニバス形式)がはじまつた。大学の講義室で行われ、学生たちはこの講義を聴講し、試験に合格すれば単位取得できる。この講座の特色は、日本だけでなく、台湾、中国、韓国の大学教授を講師陣に加えていることである。かれらは下関の大学で講義するが、その講義がそのままインターネットによって、ライヴで日本と当該3国に配信される。それぞれの国で受信できる環境が整っていて、講義を聞いて質疑応答ができるようになっている。今のところ、講義は日本語で行われ、他国語での講義、質問は同時通訳が必要に応じてつけられる。今年から3年つづく。主宰は、広島大学名誉教授、今東亜大学で文化人類学(現代東アジア)を教える崔吉城教授である。この公開講座を支援しているのは、ワンアジア財団(本部・東京)である。
この公開講座は画期的な実験だと、私は思っている。それぞれの拠点にパソコンが設置されて、ネットワークにつながっていればよい。特別の巨大設備に投資する必要がない。今はまだ限られた大学間のネットワークにとどまっているが、今後はネットの基地が4か国を越えて増えてゆくであろう。
私は、この講座でも「暦」の話をするつもりである。19世紀以降、東アジアは西欧化の波に洗われ、太陽暦の一、グレゴリオ暦に一元化されていった。日本は極端にそうである。だが東アジアはその風土から考えて太陰太陽暦が相応しい。私は年来、バイカレンダーを主張している。「世界は一つ」で太陽暦を、「(東)アジアは一つ」で、太陰太陽暦を。
ネットワーク授業で、アジア各国の民衆が暦をどう生きているか、情報を交換できるのがたのしみである。インターネットの時代、私たちはヴィザなしで学問や情報を交換できる。国境をこえて、生きる知識が広がってゆくであろう。金田晉(東亜大学大学院特任教授・広島大学名誉教授)
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November 17, 2016, 7:01 am
昨日の気象予報では寒さが強く報じられたが、よき秋晴れの日であった。ソウルから来られた方は日本は温かいという言葉を連発した。私の研究室で『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)の最終編集会を行った。ソウルから民俗苑洪鐘和社長と朴昊遠顧問、執筆者の浦川氏、総監修者の私が参加して日本文、韓国文、英文の検討、なにより重要なのは本題では熱く討論した。韓国文では「엽서로 보는 근대조선」、Post Cards of Modern Koreaときめた。日韓のフォント調整、地名表記など細かい作業が夕方まで続いた。新年早々発行を予定している。朝鮮以外に日本、満洲、樺太、台湾、南洋群島、その他30万枚以上の帝国の絵葉書の研究の出発点となると思う。これからその研究にも力を尽くしたい。監修文で次のように記した。
絵や写真を見るのも良いが絵ハガキには単純な画報や写真以上の意味がある。絵はがきは他の媒体とは違った特性がある。今のように映像が優先されるメディア時代を先行した媒体が絵ハガキである。より重要なことはその余白に個人的な通信が入る点であり特に魅力的だといえる。情報が少ない時代に先んじる画像媒体としての役割をしてきた絵ハガキを私たちは今どのように見てるのだろうか。当時の生活文化をリアルに見せている。当時日本人たちは植民地であった朝鮮文化の何を見て何を感じたのだろうか。私はこれを基に日本人が世界的な視点に立ち、積極的で肯定的に朝鮮文化を知ることを望んでいる。本書が道路の発達と観光、郵便制度の変遷、意識されなかった地方文化の発掘と再認識、今生きている伝統文化の源泉として活用されることを望んでいる。*写真左から浦川、洪、朴
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November 17, 2016, 1:07 pm
下関に移り住み学問的に一つの幸運といえば倉光誠氏との出会いである。彼は温厚な医者で韓国語ができる。それだけではない。彼は適切なアイディアと幅広い読書、ものを深く考えてコメントしてくれる。昨日は会田雄次氏の『アーロン収容所』で「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきた」「ソ連に抑留された人びとのすさまじいばかりの苦痛は、新聞をはじめ、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人々に知られている」と、紹介しながらイギリス人の残酷さを紹介してくれた。
私は日本軍がマレーシアでイギリス人捕虜の時計や飾り、宝石などを奪取する映像を見せた。日本人は誰一人日本軍がソ連軍のように野蛮的なことをしたとは思っていない。会田氏はイギリス人は家畜を殺す文化の残酷さをもっているという。私は日本人が生きている魚を解体する場面を見るのを楽しむこととはどう違うか、日本人の虐め文化はどうであろうかと疑問を投げた。中国から来た留学生の宮さんの中国賛美(?)に私が加勢、蒋介石軍隊が性暴行した人を現場で裁判、処刑する映像を見せた。国民党軍隊の規律が厳しいのか、あるいは中国人、中国文化が人道的なのだろうか。
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November 18, 2016, 7:13 am
<お知らせ> ワンアジア財団支援講座8回
上水流久彦(県立広島大学准教授)「民族構成とナショナリズムからの脱出」
東亜大学の13号館202教室 2時半から4時まで
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November 19, 2016, 7:21 am
「韓ドラ」が品のない茶番劇を指すように転落している。テレビコメンテーターたちが朴クネ大統領騒ぎを「韓流ドラそっくりだ」といった。冬ソナ以来韓国のドラマにはまった人が増えつつ流行したこと、韓国から流れ出るドラマ、音楽など韓国文化が海外へ進出するという標語である。韓国人がプライドを持っている言葉、肯定的、積極的な意味でつかわれる「韓流」という言葉が卑下され、汚れていくのに気が付いた。「韓国でもマクチャンドラマ(막장드라마)と卑称されるが、海外でも韓国ドラマへの評価は低くなっていく。
韓流ドラマに限らない。韓国の政治も韓流ドラマ막장드라마とされる。学生革命により民主化が進んでいる韓国が今メディアに翻弄され混乱を起こしている。アメリカ大統領選を例にして中国や北朝鮮は民主主義選挙の矛盾を宣伝し、独裁がいかに政治を安定化しているかを自慢する。もう一つの例に韓国になるだろう。国民が投票で選んだ大統領、野党とメディアに先導される、まだ民主主義の歴史が浅いとしか言えない。私は戦後史を体験した者として、今100万人デモというものをデモとは思えない。ただの「乱場」「まつり」「祝祭」と感じている。「下野」の意味も知らない愚衆、シリアのアサド大統領に呼びかけて欲しい。「下野」の英雄は李承晩である。
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November 20, 2016, 7:30 am
週5日労働ということで土日は休日であるのは国民のリズムである。その休日をどのように暮らすかはさまざまである。休息が多いかと思われるが土日ごと労働する人も多い。ワンアジア財団支援講座を土曜日に設定したのは一般市民が参加できるように工夫したが、市民も忙しくは参加できない。昨日は8回目の講座が行われた。今までアジア共同体の構築への必要性や希望が多く語れてもその方法については言及が少なかった。鄭俊坤博士が語った個人主義化、個人がイデオロギーなどから解放されることは大きい提案であった。私はそれを紹介しながら今回の「ナショナリズムからの脱出」に期待を込めて講師の上水流久彦氏を紹介した。
彼は広島大学大学院で博士号取得、そして、さまざまな研究プロジェクトに協力してくれた。去年「文化人類学」にて私にインタビューしたことなど彼とは長い間の人間関係が結束している。彼は台湾の植民地について研究領域を広げ、深化している。子弟関係を超えて研究の同志、協力関係者でもある。彼は植民地「日本」の扱われ方の違い、その違いはなぜ生じるのか?それは戦後の状況であると前提して民族性の違いだろうか?対日感情はどうつくられるか?歴史記憶主体、文明との関係、経済的、文化的、政治的諸要因を検討した。民族というアイデンティティをどう超えるか。
そこに韓国啓明大学の中村八重氏がSkypeで登場してコメント。韓国では最近日本の浴衣を着る行事なども行われるように変化が見え始めたと伝えてくれた。中国の女子留学生の呉勉勉さんは中国人は台湾人を嫌っていないが台湾人は中国人を嫌っていると、また日本人が「美味しい」と言うことばは信頼性がないとコメント。韓国からの女子留学生の金ドウヨンはオーストラリアに留学したこともありグロバールに生きることが難しいと言った。常に時間厳守をモットーにしているのにこの講座ではじめて5分ほど時間をオーバーする討議であった。
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November 21, 2016, 7:50 am
釜山行きの飛行機はほぼ韓国人によって満席、韓国は大変だと誰も思えない平安な旅人たちであった。飛行時間40分という短い時間、隣席の日本女性に声を掛けた。熊本から韓国旅行、旅行の話より熊本地震被害を受けた話、車3台が潰された写真など悲惨な状況を見せてくれた。韓国の朴クネ不安騒ぎと熊本地震の状況がアンサンブルになって聞こえて、不安状況の中の旅行と矛盾するような気分であった。
迎えに来てくれたのは崔鐘星氏夫婦、奥さんの金氏の乗用車で光州まで3時間半、ホテルプラダに着いたのは6時ころ、意外に長興から李永松校長が先にいらして待っている。久ぶりの嬉しい再会、間もなく金喜台氏が来られた。私は1年ほど前に大手術を受けて死境を迷ったが今は完全回復して忙しい中の調査旅行であり、協力を求めた。我夫婦と家内の姉など6人が参加して東園食堂で焼肉とタコの鍋物を李先生にご馳走なった。私の古い研究フィールドワーク地であり、縁の深い長興には寄れず今日はセマウル現地に行って現況を見て、大邱へと移動。遠い旅になる。忙中閑、閑中忙が交差する。
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November 22, 2016, 10:02 am
一般的に韓国人は記録保存が下手、村には古文書が少ないといわれている。しかし非常に例外的な村がある。その村を紹介案内してくれたのは金熹台全羅南道文化財委員であった。私一行が和順郡道岩面道荘里会館に着いたのは朝の9時過ぎ、私の同年の村の会長とは「同年」であることですぐ話は熱くなった。金ソンイン氏らは郷土文化遺産や全羅南道無形文化財の民謡、 綿花を多く栽培してきた村の歴史、セマウル運動の実態が分かるような写真、セマウル運動関連資料の70~80年代の行政公文書および生活道具が保管されていると状況を説明してくれた。織物道具、豆腐作り、餅つき、カマス作りなどと文書などが総合的に現地に保管されていることは驚きであった。
村の歴史が生きている現場を総合的に研究することに私は李教授や金委員に協力を要請した。セマウル運動によって村の生活が変わったのか、質問には否定も肯定もしない。なぜであろう。金ションイン氏は朴大統領の稲の品種改良は当時フィリピンから輸入したことを指摘し、日帝時代の農村振興運動のような政策であったという。私が研究、主張したものが知られたのか、彼自身の考察であるかは確かではない。山に囲まれている村の中には細い川が流れている。それが村の生命脈のように感じた。この生きている村の歴史に関心をもって日記を書く人を紹介してくれというと正面に座っている会長とお兄さんが日記を書いて有名であるという。話は本当に盛り上がった。3時間半高速、大邱へ、中村八重氏と歓談、研究の話はまだ続いていた。
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November 23, 2016, 10:53 am
朝食は友人の郭病院理事長の郭東灌氏夫婦と豆もやしスープを食べながら、時局談をした。韓国の朴大統領のスキャンダルで政局が混乱することで弾劾などの過激な動きには私も否定的であった。1年任期を待つしかないのではないかという意見であったが、このような人は少数右翼に過ぎないと非難されるという。ソウルの知人の軍事評論家もほぼ同様な意見であった。朴クネは父親の影響で大統領になっが親日だと非難されるかと懸念して反日的態度をとってきたので朴正熙氏の偉業を顕彰もしなかったので支持基盤を失ってしまったという。私も同感である。今の時局は政権争奪戦に過ぎないという意見もある。メディアは煽動道具に過ぎない。
10時からは慰安婦文玉珠記念館を観覧した。窓口の女性は私を知っているというのでびっくり。彼女は啓明大学時代私が指導した仮面劇サークルの学生であったという。嬉しい再会であった。その時代を浮かべながら話をしている内に学生観覧者たちが入場し、中断したりして断続的に談話を交差しながら資料と情報収集に協力を願った。写真、映像、説明文など、特に森川万智子氏のインタビュー調査の映像を見た。ロッテ百貨店ではビビンバをご馳走り崔鐘星氏の運転で釜山へ。プサンでは張竜傑と彼の娘さんに会った。彼女はイギリスで奉仕活動、アメリカで語学研修をし英語の先生、日本語もかなりのレベル。弟子たちの崔仁宅、張相彦、張竜傑と娘らさんと一緒の夕食は数十年若返った気分であった。
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November 24, 2016, 11:21 am
数人の方の斡旋で釜山の東亜大学の総長と会った。私は総長に関して何の予備知識もなく、ただ下関の東亜大学と同名であることで親善訪問したのである。博物館では70年史、発掘資料の展示などを見て圧倒された。行く車内で同大学の金粉淑教授から彼がソウル大学国文学科出身であることを聞いただけであったが、韓錫政総長との面談の時間は楽しかった。それは韓国式の出会いであった。
彼は私に関する情報を多く持っていおられた。まず彼は私の著書から私の名前を知り、満州映画に関する文を覚えている。ソウル大学の彼の先生たちと私の友人、知人の話で人脈の探索が始まり、私の教え子の蔚山大学の魯成煥教授から聞いた話から広がる人脈、また昔私の慶南大学の同僚であった韓錫泰氏が彼のお兄さんであることなど話は無限に広がった。彼の私への誉め言葉は「崔先生のところで勉強した人は全員教授になる」ということである。多くの弟子を生み出したことが称賛された。地縁、学縁、血縁などが総動員したような人脈の話であった。私は彼に親善のための講演を頼んだ。彼は総長という行政とアカデミズムのバランスが難しいことばを漏らした。私は老後のためにも楽しい学者の道をやめないようにアドバイスを残して空港へ向かった。空港で私の所持品の中の真鍮の靴ベラがX線検査に引っかかってボーディングカードをチェックされ、それを戻してもらったような、ないような、その過程で紛失しておお騒ぎになり、結局のところ再発行してもらった。
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November 25, 2016, 12:43 pm
べルリンオリンピックの記録映画を見る。日本植民地朝鮮の青年ソン・キジョンとナム・ソンニョンがマラソンで1等と3等で入ってくる。これは植民地朝鮮で途方もない波紋を立てた。日章旗抹殺写真で東亜日報は廃刊された。ソンギデイ(日本式発音)か? ソン・キジョンか? オリンピック マラソン記録に「日本人」と記されている。戦後韓国は「韓国人」として修正を企てる。負の遺産である。韓国人の精神的トラウマである。慰安婦、創始改名、東方遥拝、朝鮮出兵(1592-1598),閔妃殺害、キリスト教弾圧、日韓合邦、明治維新、脱亜論など。加害者は簡単に忘れて、被害者は決して忘れられない。大東亜共栄圏の悪夢が“ワンアジア”を可能にするのか。ぜひ会場で耳を傾けてほしい。
姜 信 杓 (仁濟大名誉教授)
「スポーツとオリンピック」
時:2016.11.26 午後2時半から4時まで無料
場:東亜大学13号館202号
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November 25, 2016, 11:54 am
昨日は釜山外語大学の日本語担当の教授二人が訪問(写真)。韓国政府から重点大学として支援を受けているという話を聞くだけであった。衰えていく日本の大学、旺盛な韓国の大学が対照されるような話だった。若い青年韓国と老年日本の比較のような話だった。韓国もいずれ老いを知るはずであると寸評した。私はワンアジア財団支援講座の講師の姜信杓氏から旅券期限切れの連絡があり、来れないかも知れないと、話が続く中でも不安であった。しかし夕方ようやきく通話ができた。異常なし、意外にも今朝下関港に着くという。彼は「心配はいらない」といい、乗船することができたといい、安心した。しかし発表原稿はハングルのものが1枚、準備を急がなければならない。 周りの人たちは旅券の期限切れをたった1日で更新することは不可能だと言っていた。しかし私は可能性を信じた。以前私もを韓国で同様なケースで、2時間で更新してもらい出国、国際的に体面を守ることができた体験があるからである。規律、規制、律法の遵法精神の厳しい日本社会ではありえないというのは分かる。ここで考えなければならない点がある。機械化や電算化している時代になっていく、そのような社会に発展していく。つまり機械化と電算化されていくほど人間の存在は薄くなっていく。しかし機械化の中にも人間は存在すべきである。状況によって評価と判断、決心する人が必要である。それは機械化の中の人間、厳しい規制の中の例外であろう。社会は機械化していく、人間は機械の付属品とされていくのか、ほんとうに人間が機械を管理しているのだろうか。これを知る日本人はすぐ遵法精神がない、後進国と思いがちである。あくまでも人間性、人類愛は失ってはならない。
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November 26, 2016, 2:02 pm
下関港に表れた姜氏夫婦はまず私の健康回復に驚く表情をした。彼も80歳で健康な学者、名家の生まれ育ってアメリカ留学し、多くの職場を移りなら国際的に活躍した友人である。人情と研究のバランスを取られている人、彼は私と韓国文化人類学会創立何周年記念に講演したといわれた。しかし私は覚えていない。彼は人との絆を大事にする人情の深い人、この度久しぶりに教壇に二人が登場した。主題はオリンピックであった。彼は初頭を日本語、そして本学の魏鐘振准教授が通訳を務めてくれた。
オリンピックには肯定的、否定的機能の両面があるといい、まずリフェンスタール・レニー監督の1936年ベルリンオリンピックの映像でマラソン優勝者孫氏が当時の朝鮮人でありながら日本国籍者として「日本」ということから植民地の負の遺産の話をした。大東亜共栄圏の悪夢があり、東アジアでワンアジア共同体はふかのうであろう。しかし肯定的な面がより多いと。クベルタンが主張したオリンピック精神によってスポーツ教育の重要性を強調した。ギリシャ古代オリンピア遺跡では平地でデルファイ神殿、その上に劇場、その上に運動競技場の配置について宗教、芸術、スポーツの総合的な意味を語った。オリンピックは開催都市が主であり、国家が主ではないと指摘した。しかし国旗を持つこととなったという。
私は国家宣伝のような行事よりスポーツ種目自体なかではスケートや水泳などが音楽や舞踊を取り入れるような変化があることを指摘して議論したかったが国家の行事の総合芸術の議論になった。アベマリオと小池の写真で日本、そしてメダル競争を象徴するようなイメージがあった。二人の学生がコメントを発表した。オリンピック中休戦、自分との闘いなど重要な点が指摘された。またフェースブックからコメントもあったが議論する時間はなかった。いずれ講義の中で議論を続けたい。私は広く深く、なお新鮮な講義であったと高く評価した。後に私の研究室では市民から東亜大学の学生のレベルが非常に高いといわれ、嬉しくなった。教員の研究力も高いということを付言した。姜先生ら倉光誠氏に寿司をご馳走になった。
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November 27, 2016, 3:05 pm
姜信杓夫妻と一緒に礼拝出席、彼らは元カソリック信者、最近プロテスタントへ、熱心な信者である。伴奏はなかったが李恵蘭牧師の先導で讃美は十分であった。ご夫妻の讃美歌もよく聞こえた。食事の時は私がもう一つの説教だと冗談を言いながらご夫妻を紹介し、姜氏にお祈りが指名され、純粋な心、優雅な声で祈られた。礼拝終了後早速下関歴史博物館へ、古城副館長が迎えてくれ二人の学芸員が案内して下さった。新築したばかり、観覧者がいっぱいの中、通信使、吉田松陰、高杉晋作などについて説明を聞き、通訳などをした。毎週講師を迎え、案内まで苦労ではないかと言われたが、いや、それは楽しいお付き合いの時間であると答えた。
夕食の時には過去と未来の話が多かった。過去をよく覚えていても現在のことは忘れっぽいと言う。ソウルの路面電車の話、恩師の話などが多かった。同窓生とはその時代に再現される。私は同窓生からニックネーム、ナルコニ(老人)と言われたというと李牧師はそれは「高齢」学者への志向を意味したのであろうと解釈した。正解とは思いながら無反応。船着き場で強く握手、姜信杓夫妻といつまた会えるか寂しさが湧いてきた。知人のタクシー運転手中村氏が重病で入院というので慰労の通話でさらに心が重くなった。
*写真はタクシー運転手青木氏が撮ってプリントして持ってきたもの。
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November 28, 2016, 3:42 pm
最近の受診により健康回復に自信を持つようになった。しかし私は障碍者である。昨朝歯科受診のために長く待っている間に歯を抜くことを懸念していた。家内は服薬中であり出血は危険といい、細かく記した。医師もその旨理解し智慧を絞って無事に治療ができた。午後は内科受診、インフルエンザ予防注射、受診結果もOKで、運動をせよと言われた。「運動」ってなに?。私に縁の薄い単語である。「動き」として理解している。加齢によりこれからは下がり道を静かに歩くだろう。今週末東京での研究会には一人で行く。大分歩き、考える。
昨日の山口新聞コラム(2016.11.28)には「朴クネ騒ぎ」と題として次のように書いた。
朴クネ大統領のスキャンダル騒ぎの最中、韓国に研究調査に行ってきた。メディアの連日の報道により国難状況だと思ったが釜山行きの飛行機ではほぼ韓国人で満席、表情は平安であった。3泊の滞在中、どこにも不安な状況は全く感じなかった。食堂などでのテレビの大統領弾劾のニュース、蝋燭集会100万人などの報道に注視する人はあまりいない。ある人にそのわけを聞くとテレビだけが騒がしいとメディアへの評価は低い。
数日前ソウルのある軍事評論家からの電話に私が「韓国は大変だね」と言ったら彼は朴クネ大統領が父親の朴正熙大統領のお陰で大統領になったのに反日的態度をとり、メディアと世論を気にしすぎ、父親の業績を顕彰せず親不孝であったので、支持基盤も失うこととなったと説明していた。彼女の4割ほど支持率は父親への支持であったといえる。それに似た話を数人から聞いた。
朴正熙大統領の業績の代表的な政策はセマウル運動である。一般的に韓国人は記録保存が下手、古文書が少ないと言われているが、例外的に全羅南道和順郡道荘里にはセマウル運動の実態が分かるようなセマウル運動関連資料が保管されている。そこで村の指導者たち、地域の大学教授、文化財専門委員のお話を聞くことができた。セマウル運動は日帝時代の農村振興運動のような政策だったと私の研究成果の内容の話が出た。
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November 29, 2016, 4:07 pm
「下野」という言葉は日本では耳慣れない漢字語である。今韓国では朴クネ大統領に向かって使っている。私は1960年の李承晩大統領の下野を覚えている。当時は政治不信はあっても李大統領にはカリスマがあった。「下野」によって世論は変わったが、その後自由化、民主化の過程は混乱状況であった。結局独裁者を招くようになり、朴正熙のクーデターにより軍事独裁時代になり、そして、大統領暗殺の悲劇、その娘朴クネ氏が大統領になって国民は失望している。このような戦後史は北朝鮮や中国は経験していない。独裁体制でまま安定している。おそらく彼らは民主主義を不信するだろう。選挙が民主主義の最後の防波堤であるがポピュリズム、人気主義により過ちを繰り返す。今の韓国は混乱と悲劇を繰り返している。
昨日午後下関ある新聞の方から朴クネ大統領の辞任について意見を求められて驚いた。朴クネ大統領の談話は李承晩大統領の下野とはやや違う辞任表明である。政治的な空白を懸念したと思われるが野党は一斉に弾劾を避けようとする陰謀 "꼼수"だといい、弾劾の動きを続けるという。そして空白に入ろうとする。4.19革命は学生運動であって、政治家の存在は薄かった。今は政治家たちによっておこなわれる祭り式デモである。今の時点で安定してほしい。
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November 30, 2016, 4:27 pm
講義が終わったばかりの時、博士後期課程に在学中の中国からの留学生の宮琳さんが英語の研究書を持って来室した。彼女は日本語教材に文学が使われていることを分析している。彼女の研究における一番の参考書といえるHall著『外国語教育における文学Literature in foreign language』のイントロintroductionを読み始めた。今週末東京での発表内容とも関連しているので面白く翻訳しながら解説を加えた。外国語教育の教材に文学作品が紹介されることは一般的であり、国語教育においても似ていて、民族主義のテキストとされる。引き続き本文は今日の読書会ですることにした。
彼女は私のブログから私のところで勉強して教授なった人が多いという言葉を忘れないといった。昨日研究室での話を書いたがある読者からは「自慢話だ」と言われそうである。東京での発表はインタビューに関して「話」wordは人によって話され、聞き手によって聞かれ、読まれるhear, readことについて根本的な問題を発表する予定である。
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