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Channel: 崔吉城との対話
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「SAPIO」「反日売り반일팔이」

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 私と一緒に東洋経済日報にコラムエッセーを書く呉文子氏の「蘭坡音楽賞」に関する新聞記事を読んだ。洪蘭坡氏が韓国で反日派によって親日派と非難される中の賞の話を堂々と書かれている。コメントなど、詳しくは次の寄稿文としたい。韓国はあまり「反日売り반일팔이」が酷い。韓国の新造語には抵抗感も好奇心がある。4月号「SAPIO」(15ページ)に私のインタビュー記事が28行載っている。記者がわざわざ東京から下関まで来られての記事としては短いかもしれないが、私の長く広い領域の調査、つまりサハリンから長崎までの調査結果の話でもある。それは親日とか反日とかに左右されない私の意見である。ただもう少し説明したいものがある。それは広島でMBCTV光復節記念プログラムの司会をした時のエピソードである。
 広島民団の推薦で登壇した強制連行者として有名な尹氏に私が「強制連行されたのですか?」という質問に彼は「貧困で日本に希望してきた」という内容の話をして、録画が一時中断されたことがある。戦争が悪いという平和に逆らうとする人はいない。しかし戦争も平和のために(?)行われたという。帝国や軍人は戦争の参反のために戦ったわけではない。私は戦争期、貧困期に人が生きて来たその実態を知りたくて調査をしたのである。
 


石井氏の話を聞いて

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 一足即発の北朝鮮の脅威にも怖がらず政争や群衆集会を楽しむように、韓国では明日10日大統領弾劾の是非を明らかにするという。昨夜のテレビでは法律の権威者たちが憲法裁判所の結果を認めるべきだと強調する。「民主」が制度的に営まれる法治を超えて無政府主義に傾斜するようにもなりかねない。民主主義を誤解している。韓国人は北の脅威をそれほど怖がらない。あまりもそれを政治家が政治的に多く悪用したので、そこで生きて来た私も北の脅威には危機感がなかなか湧いてこない。しかし本当に戦争の怖さは体験的に知っている。中国の外相の王毅氏は朝米戦争の危機を警告する。
 爆弾を打って世界が大騒ぎするのを笑う金正恩氏にどう対置すべきか。一昨夜のテレビに出演した石井一氏の話を聞いて、初めて日本にも「人物」がいると感じた。彼は北朝鮮と関係を悪くしてきた日本の政治家たちの問題を指摘した。朝鮮半島を一番知っているのは悪くても直接支配(?)した経験のある日本が北と南をよく知り調整すべきであるが、北を敵とするのは日本の政治家が「小物」であるからだと私は思う。中国より日本が南北両側を調整する能力を持っているはずである。このような話に日本人はすぐ拉致、アメリカを云々する。日本も韓国も政権争いのための政治家の劇場をいつまで楽しむつもりなのか。 

妄想

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今日11時韓国の大統領の弾劾の裁判が生中継される。東アジア情勢が緊張している。私は今日まで出版社へ原稿を送ると約束したので数日間作業をしている。そんな中でも、読書会は続けている。倉光氏はジョン・ラーベ『南京の真実』の読後感を発表した。現場にいて事実に基づいて客観的に書かれた本であり日本であまり話題にならないことに疑問、戦死犠牲者5-6万人という情報が中国では30万人という大げさは指摘されている。数の問題ではなく、残酷性の指摘はもっと大きい問題である。
 彼は日本軍もソ連軍のように腕時計を奪取したり強姦したりしたと言うことを知ってのショックを叫ぶように語った。普段の語調より強かった。私は大きいことに気がついた。彼をはじめ多くの日本人は当時の日本軍は「日本帝国」の品のあるジェントルな軍人だという妄想を持っていることである。なるほど戦争は平和のためであるから戦士は天使と思われがちである。戦争と軍人の実像を知らないのが一般的である。

「政治裁判」

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 昨日韓国憲法裁判所の朴クネ大統領弾劾裁判の罷免宣告を生中継で視聴した。日本人にとって韓国社会を知る重要な出来事だと思った。印象として朝鮮戦争中に北朝鮮時代の「人民裁判」と酷似している。悪く言うと中国の文化革命の「人民裁判」と一脈としているとも感じた。つまり世論重視の「政治裁判」といえる。判事は「法しか言わない」ことを期待したが、世論を気にする話が多く、むしろそれがメインのように聞こえた。「当裁判所は国民から与えられた権限によって行われる今日の判決がこれ以上の国の分裂の混乱の終息を願っている。また、いかなる場合においても法の支配は動揺しないことを私たちは皆で守って行くことの価値だと思う。この弾劾審判は保守と進歩という理念の問題ではなく、憲法秩序を守るの問題、政治的悪習を清算するために罷免を決定する」(抜粋)という。「国の分裂の混乱の終息」「政治的悪習を清算」という、文は文、文脈は文脈、正義を語る政治演説のように聞こえる。法治ではない、政治、人治の韓国社会であることを世界は知るであろう。

 저희 재판부는 국민들로부터 부여받은 권한에 따라 이루어지는 오늘의 선고가 더 이상의 국론분열과 혼란이 종식되기를 바랍니다.또한, 어떤 경우에도 법치주의는 흔들려서는 안 될 우리 모두가 함께 지켜 가야 할 가치라고 생각합니다.이 사건 탄핵심판은 보수와 진보라는 이념의 문제가 아니라 헌법질서를 수호하는 문제로 정치적 폐습을 청산하기 위하여 파면결정을 할 수 밖에 없다는 재판관 안창호의 보충의견이 있습니다.

成熟

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 韓国憲法弾劾裁判後集会は続いている。私は学生革命によって李承晩大統領が下野してからもデモが流行り、社会混乱が深化、朴正熙氏による軍クーデターが起きたことに失望したことをしばしば書いた。今それを思い出す。弾劾を訴えた側は朴クネを拘束しなさいという集会、また弾劾反対の集会の映像が映る。ある同僚から韓国に軍のクーデターが起きるのではないかと冗談まじりに言われた。私の痛みを刺す様な言葉である。
 韓国を離れて住みながら私はなぜ韓国から関心が離れないのかと自問する。それはそれが私の自分史であるからである。しかし私はその韓国時代の人間ではない。考えてみると私はかなり変わった。大きく変質した。子供時代の泣きむし、利己主義の青年時代、出世主義だった私は大きく逆に変わった。自分は変わっても社会はなかなかそのようには見てくれないことが多い。これからもどんどん変わっていきたい。それが成熟だと思う。*写真は1977年馬山の慶南大学校時代

「代理選挙」

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 毎日10時間以上編集作業中、春の散歩がてらに下関市長選に出かけ40分ほど歩いた。はじめは負担を若干感じたが徐々に坂道も早足になった。道路辺の梅やツバキ、水仙など家庭の鉢物にも視線が注がれた。花を育てて管理する心が伝わってきた。この民族のやさしさや美意識が感じられた。帰宅して南京虐殺映画「ジョン・ラーべ」を鑑賞した。残酷さを感じた。日本の男からは性欲のような性質は感じないが、日本軍はなぜ残酷であったのか。それに至った人間の本性に迫る本を編集している。
 永遠の与党地といわれる山口県、自民党の安倍晋三首相と林芳正元農相の"代理戦争"といわれる下関市の市長選は首相の元秘書の前田晋太郎氏となった。期待を込めて「おめでとうございます」という。中尾市長が3選を狙ったが負けた。しかし実績の力は強かった。実績とは行政でもあるが、宣伝と人脈つくりを指すもののように感ずる。私は「3選」ということが気になっている。下関の政治を通して霞が関へ行くのではなく、釜山へ、世界へと期待している。


袋叩き

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 年度末人事異動の報道や話が入ってくる。同僚の中でも定年、辞職や転出などの話がよく耳に入る。関係ある組織の人はまだ会ってもいないのにすでに転出という。私は職場を多く変わってきたが、その離別と出会いの気持ちは十分知っているつもりである。特に「離別」は愛の感情がよくあらわれる時でもある。それが演歌の主題の一つでもある。
 政治的な問題をはじめ今の人間関係をみると、憎しみ離別を望む人が多いようである。人を愛するより憎みやすい。私のブログなどにも長く非難、批判、悪口を投稿する人が3人もいる。中に一人はお歳暮を交換するほどになったが、一人は実名で健全な議論するようになった。しかしもう一人の方はまだ悪口が変わらない。
 恨むより愛する、好きになることは簡単ではない。憎むより愛する心になるには知恵や学習がいる。それを社会心理学者Erich FrommはArtつまり芸術のような「技」であると言う。一般的に無知の人が純粋だといわれるが、考え直さなければならない。日本では政治的正義や言論の自由という名目を借りて憎しみ袋叩きが絶えない。韓国は日本叩き…。

「閉塞感の打破」

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 新しく下関市長に当選されたことに下関ミュージカルの伊藤壽真男氏がフェースブックに投稿した。大いに同感である。彼曰く「若い力で」新しい市長になったこと「おおいに頑張って」、選挙期間中盛んに言われていた 「閉塞感の打破」何が閉塞感なのか、何をどう変えるのか、人口減少問題や企業誘致の低調さなど全国的な問題であるという。下関という地名を抜きに読むと全国や前アメリカオバマ大統領への期待と失望を含んだような印象がある。この小都市を考えても世界的な普遍的な問題点と展望がある。
 私は下関に10年以上住んでいる。友人、知人も多く、投票もして住民として積極的に生きている。地元になったような郷土愛も持っている。本物の地元人から私はまだ異邦人であろう。本物の地元の人の前田晋太郎氏が市長になった。彼は下関で生まれ育ち、長崎で大学時代を過ごした。地方都市でありながら長崎の活気に比べ下関はなぜ閉塞しているのかと言った。私は「代理戦争」に参加せず「閉塞感の打破」と「変化」という主張に賛同した。
 今政策的に検討すべきである。市役所OBたちが多く市内の要職に張り付いて縄を張っている。各種委員会、観光業、コンベンションなどイベント中心、行政人は顔を出し、人脈をつくり、人脈力によって3選や終身を狙う。全部が全部ではないが、主に人脈が力を持つのが「田舎型」、その典型が下関である。政策ではないイベントと顔出しでは都市は成長しない。例えば、釜山との関係もそうである。通信使行列だけではなく、より協力関係を持続的に行われるよう支援する必要がある。変化changeは当選までで、その後はノーチェンジno changeは禁物である。*写真はシクラメンの実
 

「カムジャタン」 東洋経済日報 2017.3.10 寄稿文

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カムジャタン

 韓国釜山へ日帰り出張をした。下関から東京へ行くよりはるかに近い海外である。釜山の東亜大学校と下関の東亜大学の姉妹提携式に参加するためである。釜山東亜大学校から迎えられ、昼食をご馳走になった。靴を脱いで入った部屋は、椅子式の食堂だった。テーブルには大きい鍋に豚骨の見えて、あふれんばかり。それだけで拒否感があった。しかし味は異様なものではなく、粗末なものでもない。同行者はとても美味しそうに食べておられた。
 私は韓国で好物の冷麺が食べられるという期待があったが大外れであった。カムジャタン(ジャガイモ湯)の食堂に案内されたからである。なぜカムジャタンだろうか。韓国には私の世代では知らない新しい料理が多く開発されている。部隊チゲやトッポギもその一種である。私は再三、韓国へ行ったり来たりしているが初めて出合った食べ物である。接待側が私の好物を誰かに聞いた情報では私がカムジャタンが好物だと言われたからだと言う。最初韓国の焼肉料理店に予定していたがその誤情報により緊急変更したのだという。おそらく誰かと勘違いをしたのだろう。
 私には縁の遠い食べ物である。豚肉よりその背骨に抵抗があった。骨付きのカルビ (牛肉)には抵抗がないのになぜ豚の骨には抵抗があるのだろうか。カンジャタンといってもそこには小さい破片のようなジャガイモが入ってはいるがないようなものであった。実はカㇺジャタンの語源のカムジャは豚の背骨を指すのだという。なるほど私を含む多くの人はジャガイモの料理と勘違いをしている。
 

地元

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 韓国や中国の学生にアルバイト費を上げても感謝の言葉がない。日本の礼儀作法からは非礼にも見えるかもしれない。考えてみると私も青春時代はそうであった。理解はできる。しかし教えたくなる。どう教えるか、それが教育の課題である。私も多くの失敗や未熟の時代があったが少しつつ成熟してきた。
 地元の人が地元下関の新市長になったことに否定的な反応を示した。地元で地元の人が指導者になることは難しい。世界的にもそう言われれている。もっとも有名なことはイエスの例である。イエスも地元では人気がなかった。それは幼児や青春時代のイメージによって固定観念がインプットされていて、成長・成熟された長所が見えにくいからである。*写真はベランダに寒そうに咲いた寒桜
 

「植民者の酒」

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 冬には散歩はほとんどしない。風邪などに気を付けているからである。ただ家内のショッピングに同行して店内を歩くのが唯一の散歩である。しかしただの散歩ではない。商品、陳列方法などを観察する好機でもある。ほぼ店内を把握しているが全く見ていないコナーがある。それは酒類の所である。酒やビールなどの酒類コーナーには全く関心がないからである。飲酒文化にも関心がないので人生の楽しみの大部分を損しているかも知れない。父がそうであるように私にはその遺伝子がないのかもしれない。
 『満洲モダン』の著者であり、韓国東亜大学校の総長の韓錫正氏からビールに関する論文が届いた。季刊誌『社会と歴史』に掲載された論文「植民、抵抗、そして国際化(식민, 저항 그리고 국제화)」を読書会で紹介した。ビールは飲料水か酒類かは一様ではない。それはそれぞれの地域、国家へ拡散していく。西欧のビールは都市化 、資本主義化, 鉄道の発達につれて普及する。東アジアでは「植民者の酒」として普及した。日本は第1次大戦後中国青島ビールを引き受け「大日本」として中国へ侵透する。そして広く植民地に原料農場を作りながら拡張していく。もちろん植民地朝鮮にも「朝鮮麦酒」「昭和麒麟」が戦後の韓国のビールとして伝統を継いている。植民地を通して飲料・香辛料など嗜好、コーヒ、胡椒などに関する研究は多い。本論文は世界的に広く文献を引用し、視野が広く、非常に刺激的な論文である。私の科研グループの中の八尾氏は先日台湾のパインアップル産業について素晴らしい論文を発表し、私は世界的な視野が欲しいとコメントをしたことを思い出す。このような研究を総合的にまとめたい気持ちになった。
 先日二度目に会った韓氏に研究を続けるように言うと、彼は総長である今は時間がないと言われた。私は時間がある「暇な人」より「忙しい人」に質の良い仕事を期待する。仕事は能力ある人に集まる。「怠け者」と「勤勉な人」の差をつけるような言葉になって申し訳ないが、半分は真実性のある言葉であろう。
 

「忠良なる臣民」

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 今日は日曜日, 今週松本で日本映像民俗学の会が開かれる。私は作家柳美里氏との対談が予定されている。どのような企画で私と設定されたかはわからず以前彼女の小説を読んだこともあり、嬉しくOKしたが、今度のテーマ「死後結婚(冥界婚)」の話はどうなるか気になってきた。死後結婚について書かれた小説「8月の果て」(新潮文庫)を読み始めてから民俗学的挑戦をされたような気持になった。死霊祭についてはムーダンの儀礼への良い現地調査報告書を読むような感じである。それはただのドキュメンタリーではなく、深い視索の行路であった。マラソンで走る選手の記述、植民地朝鮮での皇国教育などなど、その時代、史実の描写、思考の深さには目を離せない。私は最近ずいぶん長く編集作業をしているがそれとは違った楽しみ、新鮮さを感じている。「忠良なる臣民」創り教育の「教育勅語」の話がリアルに描写されている。今、社会劇が多い。小池劇場、籠池劇場などなどの劇のクライマックスは、そして結末はどうなるのだろう。喜劇か悲劇か。森友学園の「教育勅語」が話題になっている。柳美里の「教育勅語」と照らし合わせ読むと社会劇、小説と現実が混同する。小説は面白い。一読を薦める。

 

「もったいない」イベント

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 メディアに乗り上手く利用しているいわば小池劇場、そのクライマックスかも知れない百条委員会の浜渦武生氏への聴聞をネットで視聴した。私も保守派かも。10年ほど前施策を問いかけ旋風世論を創り人気を集めて、市民は拍手ばかりしているように感ずる。汚染観念も時期によって変化し、「安定」であることを「安心ではない:不安」と呼びかけている劇の終末は今日の石原氏の発言で終わってほしい。
 日本に住むのは楽しい。また下関に住むのも楽しい。昨夜下関姉妹都市広場で夜9時過ぎ門司港と同時開催されるプロジェクションマッピングを楽しく観覧した。唐戸駐車場の壁に映像が映る。野外映画館のようなイベントである。観光客には宣伝のように感ずるかもしれないが、住民にとっては迫力ある映像、フグなど名物を以て郷土愛につながるものである。屋代、トイレ、ガードマンたち、きちんとした心使いの準備がなされていた。最終時間に集まった観衆は50人前後、「もったいない」イベントであった。

 

ブーメランが飛び回る

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 恒例の卒業式に参列した。「式」はパフォーマンスの中で無味乾燥な形式だけのものだと思い、ただ見過ごし、聞き流しのように座っていた。存在感はなく、全体の雰囲気を造成していた。しかし耳に入る言葉があった。トータルビューティー学科、和服姿の卒業生の答辞、「小さい賞に感動し、さらに努力して大きい賞を受賞し、、、」努力した話である。成長、教育、感謝が込められた話、声やテンポも良かった。形式の「式」が生き返るようであった。その卒業生の中には私の教え子黄聖皓氏の娘がいることには気付かず帰宅したが、学父兄の昔、私の学生だった黄氏らを港で見送った。
 昨日豊洲市場の移転問題を検証する百条委員会で石原慎太郎氏(84)が若者たちの「尋問」を受けた。メディアの質を熟知するテレビキャスター出身が起こした劇場に登場した。10年ほど後に当時の施策について責任が問われた。印鑑を押した石原氏に責任が問われる話をききながら考えている。自分には「部下」がいた。部下は奴隷ではない。その部下は局長や部長などの「長」である。それぞれ責任がある。最高責任者はその責任者の意見を総合して判断する。この常識がいまだに日本で定着していない。偉い責任者は専門知識より社会や倫理、展望の広い見識が必要である。ネガティブ過去批判よりポジティブな未来志向的な生き方をしてほしい。日本発信「平地風波」が今韓国にも吹いている。今日検察が朴クネ氏を喚問する。ブーメランが飛び回る。

「文字を失った」

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 私が育った村では「富貴榮華や享楽のために出世する」という話をよく耳にした。今韓国、日本の一連の出来事をみて皮肉に思われる。大統領になった人が「富貴榮華や享楽」の座から弾劾罷免され、検察に徹夜調査を受けている。また東京都知事だった人が高齢にもかかわらず尋問された。社会的にトップの地位にいることは「富貴榮華や享楽」のトップではない、否ドン底最悪の苦難の境地に落ちやすいという教訓であろう。まるで天国と地獄の曼荼羅を見ているようである。天国と地獄の間に地上、「この世」がある。平地で、平凡な空間、無名な世界がある。
 人生航路にも天国と地獄がある。人によっては開花時期、若さ、美しさなどで注目され、「富貴榮華」を全うするが加齢によって変質、喪失、死を迎える。石原氏がひ孫のような若者から「尋問」されていた。偉大な作家である彼が「文字を失った」と悲鳴を上げた。作家に文字が無くなるということはどんなに辛いことだろう。それを聞いた若者たちは仮病のように聞いている。そんな彼らも間違いなく、そのような人生経路を経なければならない、自分で体験することになるだろう。*写真の観音竹は以前本欄で触れたことのあり、私が植え替えて生かした鉢


編集会議

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 世界的な科学雑誌のネーチャーによると日本の研究が低下し、中国や韓国が高くなるという報道がある。これも老化現象であろうか。研究環境が良いと思い、日本に住み始めたがどうすればよいのか。しかし、私の研究環境は悪くない。昨日は出版社の社長、印刷所の方と、日、韓でそれぞれ出版する2件の発行に関する編集会議を長く行った。
 その出版記念会まで予定が先を走るように進行している。出版事情が底流する現状とは違って逆流する。底流に逆流するには少なくとも2倍ほどの力が要る。研究の精度は高め、読者には分かりやすくすることが必要である。研究業績表を以てポストが云々と気にするわけではない。ただ学問を享する。
 *写真は私のホームページhttp://choikilsung.net/cms/

素直に聞くこと

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 注目された籠池氏の発言を終始視聴した。安倍晋三首相夫人の昭恵氏の寄付金などもリアルに聞いた。私は政治的な参反とは関係なくすべてを素直に聞いて大いに納得した。それは私の率直な感想である。しかし驚いたのはメディアにより、それは大嘘という反応が多いことである。話をして嘘と言われるなら基本的な言語生活は破断になろう。逆に、私は人の話をうのみにしている未熟な者であると自ら失望している。実は私は人の話を鵜吞みにして詐欺されたことが数回ある。数百万円も。
 今度の問題は、嘘か、否かではなく、自分に戻って考えたい。黙って聞いてくれた多くの人が私の言葉も本当か、どうかと思いながら黙っていると思うと恐ろしささえ感ずる。自己反省になり、危機感さえおぼえる。人の話を素直に聞かないのは警察や裁判官(?)など、職業的なものかもしれないと思ったが、多くの聞き手の日本人がそうであれば私は喋れないと思う。素直に聞かない言語文化が日本文化の一つの特徴ではないだろうか。しかし私は騙されても、詐欺されても人の話を素直に聞き続けたい。語る人と言葉への尊重心を持って。 

柳美里氏と初対面

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春から冬への旅、空から見る南アルプスは雪に被われている。松本空港から馬車のようなスピード、多くの信号停止、それでもバスで30分で松本駅に着き、日本映像民俗学のメンバーたちと合流、大会は始まった。まず44年前北村皆雄氏が撮影した映像を見た。映像に出演された村老たちの感想、道祖神の現場を巡り、会場のお寺に着いたのは夕方、柳美里氏と初対面、並んで座って夕食は弁当、「冥界婚」鑑賞、早速壇上した。
 司会は北村氏、柳氏の他、本会場を提供している住職の高橋氏と4人の登壇であった。泣くこと、激しい音楽、死生観などが韓国文化の特質が話題になった。フロアからの質問も多く長時間だった。夜遅く闇の道を歩き宿探し、インターネットのないところの宿、私は林楽青氏と民博の川瀬、アメリカからこられた人と4人の合い部屋、今日の日程が始まろうとしている。籠池劇場や世俗から離れた聖地に来たようである。時代を逆行すると不便さに出会う。その時代を私は生きて来たのである。

葬儀会館で死の話

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 松本の神宮寺の葬儀会館で冥界婚「冥界婚」の上映から始まった日本映像民俗学の大会は昨日も終日続いた。沖縄のユタと洗骨、東北のイタコの口寄せの映像、チベットの鳥葬、神宮寺の葬儀映像など死に関するものが主であった。映像特に動画に注目して見たが防犯カメラ的、あるいはハンドカメラ的、ドキュメンタリー、映画など様々な映像があると感じた。チベットの鳥葬でありながら深く探っていないので疑問を持っていたが、北村氏は通りかかった撮影であったという解説した。私は納得してコメントをした。もし鳥葬という奇異な風俗の紹介になりがちが、曼荼羅と世界観や死後の世界を深く描いたことを称賛した。住職の高橋氏は研究者たちがむしろ宗教的な性向があると指摘した。なるほど牧師、坊さんなどの宗教業者はむしろ世俗的で職業的、営利的であることは私の研究経験からも十分知っている。しかしそれを公にする坊さんはいない。
 信州そばで昼食、貧困時代ソバを思い出しながら名物としていただいた。ソバ食いのそばに柳美里氏と同席であった。食事や懇親会は人との出会いの楽しい時間であった。最高齢者の吉村氏、20代の筑波大の後輩というか、昔講演に訪ねて行った岡山の清心女子大学の加藤先生、イギリスのマンチェスター大学、ロンドン大学の留学したという学者らと話で充実な1日であった。一人で夜の夜道を歩き自分自身の方向感覚をテストでもするようにホテル向かって歩いたが若干迷い、無事着いた。早く寝て早く起きて、今日の研究会が始まる。

 

 

動物殺しの生々しい場面

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 松本は終日雪、発表というより上映会のように日本映像民俗学の会は行われた。東南アジアとアフリカの葬式が多かった。死体、動物殺しの生々しい場面には目を閉じるか顔を逸らすところも多かった。そのような残酷な映像をテレビなどで放映することは無理だろう。なぜ撮るか、研究と教育との関係など気になった。質問した。基本的には個人的なものであると返答、素晴らしい。議論が少ないかと思って、私は多く発言した。自制すべきだと反省する。
 会場の中には数人の愛読者とFBなどの友の方もいて楽しく話を交わした。日本での済州島研究会を組織して調査を行っている夫婦とも親しくなった。柳美里氏は私の前に座って一緒懸命にメモを取りながら見ていた。私は彼女に民俗学者になるのかと冗談を言った。終わって全員と別れるあいさつをし、最後の残りの一人として林さんと二人で闇の雪中の道を歩き、ようやくラーメン屋を見つけた。美味しくない。静かな寂しい旅館に戻った。

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