ワンアジア財団支援講座の2年目の主題は「民族と国家」とした。今東アジアの不安、朝鮮半島の核危機においてアジア共同体を模索していきたい。ただの羅列的な講演会ではなく、全体的に問題意識を持って続けたい。武器の武力によって左右される緊張の中で文化を以て考える。戦略家から見ると文化とは何か、無知な民衆の力は何もならないと思うかもしれない。しかし社会の知恵は民衆から生まれることを知らなければならない。そこに文化が意味を持つ。アイゼンスタット氏は指導者の核であるパーワーエリートとは知識、軍、経済などを背景に生まれるという。北朝鮮の金氏は血統、世襲の力を権力化している。今韓国はその権力や支配を委ねる選挙を目前にしている。正しい民主主義か、愚衆主義か、人選びは人の運を決める。民族や国家の運を決める選挙は、危機意識を以て行われるべきである。*写真2002年平壌で
ワンアジア財団の支援講座2年目
微細埃(미세먼지)
韓国語の微細埃(미세먼지)、日本語のPM2.5はここ下関にも影響している。家内の姉は我が家のガラスの古塵を拭いて、天井まで拭く。突然ミケランジェロの天井壁画制作、苦労と芸術の話をされた。体力と芸術のコンビ、面白い。私はフランス・パリのルーブル美術館などを思い出す。政治と体力はどうだろう。大統領選の決選投票で39歳という若いマクロン氏がが当選しそう。その若さはどうだろうか。皆それぞれ自分の若さに戻って考えるかもしれない。その歳ごろの私は日本留学から戻って国民意識の近代化の教育熱に燃えていた。そのモデルは日本であった。反日にぶつかったのもその頃であった。寛容さが足りなかった。もしその時私が大統領になっていたとすれば勇気をもって大きいことを成し遂げたかも。しかし失敗も多かっただろう。成熟と未熟も大きい判断の基準となるのではないだろうか。マクロン氏はどうだろうか。
四季
去年2016年12月16日の朝、本欄で紹介した幸福の木(ドラセナ・マッサンギアナ)の花が昨夜からまた、咲いている。5カ月ぶりにまた咲いた。10年以上、育てていても咲かない、とか数年に1度くらいに咲く、また花が咲いたら木が死ぬ、匂いが嫌だという人もいる。わが家では名実ともに幸福だと感じ、香りに幸せを感じている。我が応接間は温室と思われくらい、黄色バラやブーゲンビリアなど開花期なく花が咲く。日本では一般的に桜など開花期があり、花見騒ぎをする。四季に恵まれたということであろう。地球的に言うならば四季の開花期がある所はそれほど多くはない。特に花見文化を持っているのも多くはない。私はインドネシア、フィリピンなどの熱帯地域と寒いシベリアなどで花を観察したことがある。広い地域では多くの花が野草の草花であり、花や香りが鑑賞の対象になっていないものが多い。野草から文化化された花になるまで鑑賞の段階がさまざま異なっている。花の文化人類学を書きたい。
光化門広場で勝利宣言
昨日は2回も印刷関係者との相談、新聞社とテレビ局などからの韓国選挙の件についての問い合わせ、下関の有名な文化女史の大越清美氏、門司の写真作家の秦穴拳壱氏の訪問と歓談、遅くに大学院会議で帰宅は遅くなった。それから韓国の選挙に関する生中継に耳を傾けた。実に忙しかった。韓国の大統領は文在寅氏が当選。文氏は光化門広場で祝祭ムードの中で勝利宣言をした。蝋燭集会、大統領罷免、カーニバル的な祭り風の選挙運動のデモの連続であった。このようなどんちゃん騒ぎ式の政治風潮を外から見ると北朝鮮との危機意識全く無しの異境のように感ずる。これからは非日常の祝祭から日常へ戻らなければならない。冷静に政治に取り組んでほしい。北向けの慎重な対策、中国との外交改善、友好な日韓関係、米韓サード問題など真面目に勤めてほしい。なにより難題はデモ好きな国民への対応であろう。反植民地反日学生デモ、軍事独裁への民主化デモなどの長いデモ史がある。それが文化となっている。ポピュリズム、人気主義が問題である。日本の「〇〇ミックス」「〇〇劇場」もそれに似ている。民主主義の限界であろうか。
日韓合意
昨日文大統領への願いを書いたが、YABテレビ局からは慰安婦像問題についても聞かれて日韓合意を尊重すべきだと短くコメントした。また、文新政権は前政権の外交に関しては良し悪しに関わらず引き継ぐべきであろう。つまり負の遺産や悪い過去をも含めて引き受けるべきあると。それは政権に限らず,子孫が祖先の良い伝統と一緒に負の遺産も引き受けるのが常であるからである。過去から教訓を得ることはできても過去自体を無視することはできない。日韓合意を生かして日韓関係を友好にしてほしい。
弱小国家
アジア言語文化の講義で民主化、選挙の話になったがベトナムからの学生たちは無表情。訳を聞くと選挙のない国だという。私は知っていながらも気が付かなかった。北朝鮮、中国なども選挙のない国である。中には日本のような万年与党、韓国のように任期も全うせず大統領を変える国があり、対照的である。アメリカと北ベトナムの戦争で北側による統一、共産主義国家になった。今、選挙のない国家となった。ここに大きい問題点がある。統一か分離独立か。大国が小国か。弱小国家であっても社会福祉のよい幸福な社会を作るのが理想であろう。なぜ帝国主義、大国主義が望ましいのか。数日間PM2.5、大陸の空を見ながら肺の弱い私は恨む気持だった。*写真582x381-23.0kB-PM2.5の恐怖】中国からの風に乗...
「日本のコメよりタイ米が美味しい」
昨日晴れから暴雨への中、大学での日程は早く動いた。韓国からの高校生の歓迎、50人弱、校長を含め8人の引率者と昼食を共にしメッセージを語った。少子高齢化の日本社会は若い人材を必要としている。韓国の失業率9%、大学卒では圧倒的に多数、日本は就職率が高い。日本と韓国がバランスとるためにも日本留学の魅力を強調した。それだけではない。青春時代の留学体験は人生にとって大きい資産であると自分の経験のワンポイントを語った2分スピーチであった。「日本文化論」講義ではまずマイクを回しながら日本での食文化体験談を聞いた。ベトナムと韓国の留学生たちは生卵食、甘さ、味の薄さ、納豆、パスタなどに関する抵抗感と違和感を語った。日本の生食への抵抗は両国、似ていた。一般家庭の食卓の日常食の話である。料理cookとは煮る、蒸す、焼くなどであるが魚や馬肉の生食はどうであろう。ベトナムではフランスパン食文化が強く、それはフランス植民地の遺産かも知れない。それ以外に犬食など両国の食文化は共通しながら外国から食文化を受け入れない傾向が強く、似ている。その中でベトナムからの留学生が話した日本のコメよりタイ米が美味しいというのは印象的であった。
堀研の個展
久しぶりに家内と福岡天神へ出かけた。別府社長について10分ほど歩いて出版社で長く最後の校正に時間を通やした。その後ニューオータニホテルで開いている堀研の個展に行った。長い間の付き合いの中数回も見ているが見るたびに新鮮である。私の見方が変わるということもあるだろうか。この言葉は珍しくも娘からから「父の目にうつるもの」という文の言葉である。照明のせいか明るくなった新鮮さを感じた。照明のことを堀氏に聞いたら画廊側に任せたという。図録も異色のもの、娘からのことばが印象的である。そして絵を見た。花が多い。華麗な花を王女のバラやチューリップの類ではなく、ツバキや草花のアザミが彼の色、彼の思想で再構築しながら描かれている。文学者のまどか氏は「父が見ている世界は私とは違う」というように私も同感した。石階段の絵の前では高齢者の私には障害物のようなものが美の対象になるか、なぜ彼はそれを美の対象としたのか、聞くと長い議論になりそうであった。ミレーの「種まき」を思い出す。オープニングにはそれぞれ縁の深い人が集まった。私は芸術家だけの美で終わるのではなく、我々の美の生活化が先進国であると言ったが伝わっていない。夕焼けから黄昏、闇の時間の流れを窓から確かめながら帰宅した。
堀研の個展
久しぶりに家内と福岡天神へ出かけた。別府社長に迎えられて10分ほど歩いて出版社で長く最後の校正に時間を費やした。その後ホテルニューオータで開いている堀研の個展に行った。長い間の付き合いの中、数回見せていただいているが見るたびに新鮮である。私の見方が変わるということもあるだろうか。この言葉は娘さんから「父の目にうつるもの」という文の中にある。照明のせいか明るくなって新鮮さを感じた。照明のことを堀氏に聞いたら画廊側に任せたという。図録も異色のもの、娘からのことばが印象的である。そして絵を見た。花が多い。華麗な花の王女のバラやチューリップの類ではなく、ツバキや草花のアザミが彼の色、彼の思想で再構築しながら描かれている。文学者のまどか氏は「父が見ている世界は私とは違う」ということに私も同感した。石の階段の絵の前では高齢者の私には障害物のようなものが美の対象になるのか、なぜ彼はそれを美の対象としたのか、聞くと長い議論になりそうであった。ミレーの「種まき」を思い出す。オープニングにはそれぞれ縁の深い人が集まった。私は芸術家だけの美で終わるのではなく、我々の美の生活化が先進国であると言ったが伝わっていないかもしれない。夕焼けから黄昏、闇の時間の流れを窓から確かめながら帰宅した。
ボタ山の炭鉱町の写真
花の季節が過ぎ、新緑の季節、昨日は久しぶりに宇部の韓国教会に出席した。意外にも「両親の日」記念礼拝としてカーネーションをいただいた。韓国では5月8日、教会ではその記念週としての礼拝であった。めずらしく「親孝行」の言葉が繰り返される説教であった。聖句から「愛と従」の意味を考えた。私が祖先崇拝の著書で詳しく述べたことを思い出した。親孝行とは古い倫理ではない。愛餐会で昼食、お土産もいただいて、帰路二人の留学生を送り、友人の権藤博司氏の写真展に行った。氏が40年ほど前撮ったボタ山の炭鉱町の写真である。会場では縁のある人たちと会って炭鉱などに関する談話をする。有意義な企画である。私はその企画者の一人の武部忠夫氏と久しぶりに会った。彼が他の人に私を「下関で最も成熟した人だ」と表現された。冗談か珍談か一瞬戸惑いながらも、嬉しかった。
「先生の日」
昨日、韓国では「先生の日」であり、日韓各地からのプレゼント、電話、メール、ネットの投稿などを送ってくださった多くの方々に感謝する。韓国には私の恩師で生存していらっしゃる方はいない。日本では中根千枝先生、森岡清美先生などを思い出す。世の中にはまだ孔子の「三人行」のような先生は多い。教育制度上の先生との子弟関係ではなくても、見習うことでも恩は発生存在する。個人だけではなく、国家間でもそのような疑似関係がある。後進、中進の国家が先進国に学ぶことがそれであり、子弟関係のようなものである。それも古い言葉で「恩」といえる。昨日私の命の恩人の阪田先生に診察していただいた(写真院内掲示写真右上)。OKですねと言われて、生きる勇気を得て帰宅した。
「火の海」
私の戦争への思いは怖くて面白い。そして辛いトラウマである。面白さは皮肉にも聞こえるかもしれないが危険なことである。今北朝鮮のミサイル発射の映像を見て、多くの人は迎撃になるかもしれないと、ゲームのように面白さとスリルを感じるかもしれない。金氏はミサイルを武器とは思っていないのではないだろうか。玩具か祝砲を作りたいのではないだろうか。彼は面白く、遊んでいるような表情をしている。武器であれば秘かにすべきであり、実験であれば記念日などを以て発射しなくていいだろう。烽火や祝砲のように発射させると世界が驚き注目する。火遊びは「面白い」、それは火の海になる危険なものである。戦争の面白さが怖い。危険さの中の平常。昨日は広島から県立広島大学の上水流氏が来られ出版などの相談をした。
私は妻専用美容師
私は研究者であり、専門家であるはずだが、自分では専門家という意識が薄い。私が読んだり調査に歩いたりすることが何一つ高度な専門とは思えない。そのようなことをする人は専門家ではなくとも多い。本の作りも編集から印刷までほぼ自家制のようにするところも多い。映像学会で発表するのを見ても、アマチュアとプロの差は感じない作品が多い。私のアマチュアの技術といえば何十年間続いているの家内専用美容師と言える。家内も私の散髪をして何十年にもなる。昨日はテレビで見た俳優のヘアースタイルをまねてカットしてみた。私の趣味は生け花、それもアマチュアである。誰でも切り花をアレンジする。しかしそれを形式化、制度化しプロとなるのである。本当のプロとは何だろう。学問は「物知り博士」よりアイディア、思考することである。私のヘアーカット技術は美のセンスの創出、プロに挑戦している。
一番住良い町
今年は春困も知らず初夏、田辺氏が野イチゴ、ワラビ、ヨモギを持ってこられた。最近購入した山を市民農場にするという趣旨でサポーターズクラブに私が最初の会員になった。倉光氏も加入、応援することになった。
校内で16ミリ、35ミリの映画フィルムが大量に見つかった。翔写真事務所の映画人の飯山翔三氏と、元KRYカメラマンの権藤博司氏に来ていただいて、保管状況や内容を把握した。ドイツ作の戦争映画をはじめ「核問題」「金大中事件」など186個、山積みになっている。映写機を購入して観ることとした。
読書会では終戦時に満洲や北朝鮮から先崎港への引揚者の記録を読んだ。中には日本人婦女子がソ連軍や朝鮮人に「暴行凌辱」された記録、満州より北朝鮮での数が圧倒的に多い。
韓国から来られた崔処長からお土産も届いた。最寄りの本屋で買った、唯一の英語月刊雑誌Readers Digestで、「アメリカで一番住良い町2017(Nicest Place in America)」の募集が載っている。アメリカではなく世界であれば下関はどうでろうか、応募したくなる。
私の吉日
今から二十数年前の1994年に韓国で発行した、日本語訳『哭きの文化人類学』があるが、昨日著作権料の支払いの連絡があった。本当にうれしい。入金より韓国出版事情が良くなったことが嬉しい。先進国になったように感ずる。そのメールとは別件で私が口述し、それを出版したいという提案の電話があった。それも嬉しい。積極的に協力するつもりである。昨日の授業に韓国の高校生たちと引率の校長先生が授業参観。教室は満室、私が韓国語で話すので学生たちは驚いた表情であった。お土産は韓国のインスタントチャージャ麺、私の好物である。私の名前を知っている先生たちとは記念写真を撮った。私は運勢は占わないが、昨日の私は吉日だった。
최길성선생님의저작권료를정산해드려야해서연락드렸습니다.선생님의저작물 '한국인의울음' 이학습물에서이용되어저작권료가발생___
[KOSA]사단법인한국문예학술저작권협회
「ニセの故郷」
ベランダにはそれほど数を増やしていない植木鉢が成長して、今は茂っている。室内には「花は夜咲く」幸福の木の花の香りは十日ほどで終わり、散歩道には野バラやアカシアが香る。私の生まれ故郷にはアカシアの小さい森があった。材木などで活用価値はなく、ただ増えて茂る、棘のある雑木であった。しかし私は花と香りの美しさを思い出す。先日本欄でアカシアに触れた時、ある読者から「にせアカシア」と指摘された。清岡卓行氏は『アカシヤの大連』で「正確には、にせアカシャ、いぬアカシャ、あるいはハリエンジュと呼ばなければならない」と触れいている。彼は踏み込んだ感想を書いている。懐かしいとか、美しいとか陳腐の常套句ではない。植民地大連に生まれ育ち、その生まれ故郷を「にせ故郷」にするのでは、すべきか、深く考えている。この世には多くの人が「ニセの故郷」に住んでいる。私もそうである。
박세진씨의 북한방문
페친 박세진씨의 북한여행기에 관심이 간다. 나는 지금부터 15년전쯤 세번이나 방문한 바 있고, 감상 등을 학술지에도 발표한 바 있다.사진을 찍을 수 있을까. 일본에서 동행한 교포 안내자는 카메라 녹음기 등을 배 안에 두고 내리고 북한에서는 절대로 사진을 찍어서는 안 된다고 하였다. 그러나 나는 그 말을 듣지 않고 카메라 녹음기 등을 소지하였다. 10여일간 나를 안내한 청년이 단 둘이 차안에서 나에게 마지막으로 묻는 말이었다. <조국은 낙원인가> 어안이 벙벙한 나의 표정을 그는 어떻게 읽었을까.
그간 무엇이 얼마나 변했을까. 박씨의 방문기는 그간의 변화를 알기 위한 좋은 글이다. 많은 부분이 나의 감상과 겹치고 있다. 그와 나는 민족적으로 같은 한국인, 남북한이 모두 조국이다.
박씨의 글을 보자.
- 사진을 찍는 자유는 얼마나 있나가 나의 첫번 째 관심이다.
- 여행사의 대표가 사진은 마음대로 찍어도 좋다는 말을 듣고 시작했기 때문에 여행 중에 사진에 대한 제재가 있는 것을 나중에 알게 되어 상당히 실망했다.
- 북한은 자유만 없는 것이 아니라 열등감과 우월감이 섞여 있는 나라라는 것이 여행을 하고 나서 느끼는 것이다.
이를 읽으면 김정일 시대보다 지금의 김정은 시대에 더 자유가 없어진 느낌이다. 나는 군인들까지 사진을 찍어도 아무런 제한을 받은 적이 없었다. 중국이나 한국보다 촬영에는 더 자유로웠다. 일본이나 한국의 나의 주변 사람들이 미디어의 말 대로 나에게 주의를 주고는 하였다. 나는 같은 시기에 서울에서 판문점, 평양에서 판문점을 방문하였고, 한국측이 지나치게 사진 촬영을 금지하는 것을 알았다. 북한 사람들은 나를 따뜻하게 맞아 주었다. 외부에서 보는 것과 내부에서 보는 것이 다르다. 남북한의 일반 사람들은 정치가들처럼 적대시하지 않는다. 나는 나쁜 정치가들에 의해 남북한이 갈라서고 전쟁을 하였다고 생각한다. 6.25는 국민들이 원한 전쟁이 아니었다.
朴氏の北朝鮮旅行記
日本のガイドは、カメラ、テープレコーダーなどを持たず北朝鮮では絶対に写真を撮ってはいけないという。しかし私はカメラを所持していた。
朴氏は
-写真を撮影する自由はあるのか。
-旅行代理店の代表者は写真は勝手に撮ってもいいという話。しかし写真撮影への制裁があることを知り失望した。 彼の文章によると、金正日の時代より今の金正恩時代がより不自由になったようである。私が行った時は兵士たちの写真を撮るのに制限がなかった。中国や韓国よりも撮影には、より自由であった。日本や韓国の私の周囲の人々はメディアの言うように私に注意するように言った。私は同じ時期にソウルから板門店、平壌から板門店を訪問し、韓国側の方が写真撮影を禁止することが厳しかった。北朝鮮の人々は私を暖かく迎えてくれた。外部から見るのと実際に見るのとは異なっている。南北韓国の一般の人々は政治家のように敵対しない。悪い政治家たちによって南北が分裂たと思える。
「花の海」
印刷中の工場で立ち合い、見学した。原版を作成、色の分解、4色の印刷機にインクの注入、運転、16ページを1枚の紙にプリント、裁断、装丁の過程が一目でみれた。これはオプセット印刷、1966年に韓国政府広報冊の活字印刷の時の立ち合いの後、日本では初めであった。私が撮った数十枚の写真もきれいに出来ていて感動した。その感動からさめる前に、そこからそれほど遠くない「花の海」に立っていた。野原の雑草であろうと思ったが本当に花の海のようなポピ-の花畑であった。世相の北朝鮮の言葉「火の海」ではない。そこは花畑だけではない。ビニールハウス群、いろいろな花やそこで採れた野菜や果物、その他の食品も販売している。観光客が溢れている。感動とヒーリング、癒しの楽しい時であった。
미움이 가득한 나라`(憎しみ満ち溢れる国)
만체스터의 테러 뉴스에 경악을 금할 수 없다. 어제 오전 박근혜 전 대통령의 첫 정식 재판의 현장의 생중계를 보면서라는 느낌을 받았다. 나의 보수 경향 때문만이라고는 생각하지 않는다. 일본의 많은 논평자들도 거의 나와 비슷하다. 어떤 이는< 한류드라마>보다 잔인하다고 하였다.