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Channel: 崔吉城との対話
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「南北統一か否か」(東洋経済日報2017.5.19寄稿)

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 本欄で呉文子氏の「蘭坡音楽賞」雑感(2017.3.3)を読んで同感だと思うところが多い。洪蘭坡氏は近代音楽の祖と言われており、代表作の「鳳仙花」や「故郷の春」などが「朝鮮童謡百曲集」に収められている作曲家である。そのような氏が親日派と非難されている。呉氏は「あの時代の生き難さを自分に引き寄せてみる視点も必要ではないだろうか」と述べている。私はそれを読んで1940年、東亜映画製作所の映画『志願兵』の映画監督であった安夕影氏を思い出した。安氏らは「親日派名簿」にリストアップされているという。  安夕影氏は1947年「我らの願いは、独立」を作詞し、国民的に愛称されるようになった。それが1950年の韓国戦争後に「われらの願いは統一」と変わって、より多く愛唱されるようになった。今では国民的歌謡の「統一の歌」として南北両方で歌われている。韓国はもちろん北朝鮮でも愛唱されている事実を、私は2002年に北朝鮮訪問時に確認した。その作曲者は有名な童謡作曲家の安丙元先生である。安先生は私の景福中学校時代の音楽担当の教師でもある。その安先生のお父さんが安夕影氏である。私の恩師の安先生はカナダのトロントに移住して活躍し2015年に亡くなられた。享年89歳だった。  私は戦前に生まれ戦後に育ち、李光洙などの小説を多く読んだが,ずっと後になって彼らが親日作家として非難されていたことを知ってショックだった。崔南善の「不咸文化論」(火、光の朝鮮起源の文化論)や「独立宣言書」などを愛読して民俗学へ傾倒してきた私は彼らが「親日派だ」というのは衝撃的だった。「親日=売国奴」は侮辱語であり愛国に反する。しかし親日が必ずしも愛国ではないとは言えない。少なくともその言葉は韓国の国内用語であり、国際的な用語ではない。
 今回の新政権において南北関係はどうなるのだろうか。韓国戦争で韓半島は統一できず、むしろ厳しく敵対対置するようになった。しかし統一は南北同様国民の念願である。私は韓国戦争で韓国は釜山と済州島しか残らないかも知らないと思ったことがある。もし北側による統一なら独裁共産主義国家になったであろう。  私の「アジア言語文化」の受講生たちの中の、ベトナムからの留学生たちは民主化と選挙の話には無表情である。その理由を聞くとベトナムには選挙はないからだという。学生の発言があるまで、私はそのことを知っていながらも認識しなかった。17度線で南北が分離対置していたが、ベトナム戦争で民主主義の南と共産主義の北が戦い、北によって武力統一された。北韓、中国なども民主主義的選挙がないのと同様にベトナムにも選挙がない。  悪名高い分裂主義者と思われるかもしれないが、私は選挙のない大国より民主主義の小国の方がましであると思う。統一か分離独立か。大国か小国か。弱小国家であっても社会福祉のよい幸福な社会を作るのが理想であろう。なぜ帝国主義や、大国主義が望ましいのだろうか。

「毒舌先生」

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 このごろ夜7時のニュースを抑え、面白い番組、「毒舌先生」と呼ばれる夏井いつき先生の俳句査定プレバトが面白い。以前韓国で「詩集」がベストセラーになることに、私は「感情豊かな国民だ」と称賛したことがある。しかし、日本では文学、特に俳句、川柳など大衆文学が盛んなことには驚いている。どの新聞や雑誌にも欠けることなく掲載され、テレビやラジオでも視聴できる。夏井先生の添削は実に面白い。作者のくどい作品弁説には「芝居でやりなさい」などという「毒舌」が面白い。私には文章作法の勉強になる。「花が咲く」というと「花だけでよい。咲かない花があるか」と皮肉をいう。日本文化の勉強である。多くの日本人は私の日本語が下手だと思っている。それは「彼らが韓国語ができるか」というのも「毒舌」か。言語は思考である。昨日の読書会では「日本語を国語とする理由は何だろう」というテーマで私が「毒舌先生」になった。

 

「恥の文化」

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 ベトナム、中国、韓国からの留学生10余名が講義名は異なっても水曜日と金曜日に両方とも受講している学生がいる。連続講義のような感じである。2年生たちなので主に会話中心の日本語の授業のようで楽しい。昨日は彼らが観察した日本人、日本文化が話題になった。喧嘩の話、ベトナムでは女性が泣くことで許され和解になるというと、韓国の学生たちは「夫が謝る」のが常であるという。中国では日本と似ていて両方が謝るという。韓国では一般的に男性は喧嘩、謝り(酒)、和解ができるが、女性同士は和解が難しいという。「謝罪」は和解のため、自ら行うものであり、強要されるものではない。それを深めるために私はルース・ベネディクトの「恥の文化」という日本文化論に迫った。つまり西洋の自我、良心、個人主義などに対して他人を意識し過ぎる日本人の「恥」を例にした。突然難しい問題に逢着して、考えることになった。

出版記念講演会のお知らせ。

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出版記念講演会のお知らせ。

私の現地調査写真

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 昨日はパネルを探しに市内を回った。出版記念祝賀会で私の現地調査写真30余点を展示するためである。A3より若干大きい写真を並べると教室にいっぱいとなった。自分の写真を自ら品評する気持ちになった。露出、焦点、時間などの簡単な調整はしても詳しい技術的なものは知らずただカメラで撮ったものであり、生活を表すためにとったものである。スマートフォンでは露出、エフェクトなど設定ができるので美しく取れる。しかし私の現地調査写真は美的に工夫するよりは、リアルに描写することが大事である。もう一つは原始的な異風景に焦点を合わせてはいない。しかし、その民族の特徴を強調することは必要である。東南アジアの露店バイキング、女性のお尻露出などは異風景のように見えても先端流行の先行であったようにも思われる。

自衛隊海軍船

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 ベランダの鉢物の下に、犬用の自動的に水が流れるボトルがある。ミミだけの飲み水である。最近二羽の鳩もこの水を飲んでいるのに気がついた。鳥インフルエンザが心配なので、鳩が飲んだ後は水を新しくしてあげる。昨日は海上自衛隊輸送船「おおすみ」が公開されていたので見学した。手荷物検査、大量リフトに乗って甲板に上がった時、旧同僚の大隈先生に出会った。久しぶりの出会い、私は嬉しく彼の手を握って疎遠な時を流した。別府とソウルから来られたニ方と昼食をとった。辛治善牧師は韓国から来られた、新鮮なニューカマーである。韓国語と日本語の説教、日本人を伝道することは難しいのでなく「宣教をしていない。宣教師になれ」という。昨日のように礼拝参加、その後のランチ、そして船の見学など仕事と言えないこのような所用で忙しかった。おそらくこのようなことを含めて「忙しい」という人が多いのだろう。日本人が忙しいというのは幸せという意味であろう。  

洗骨

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 古い日記や調査ノート、アルバムなどを探し、読んでみて自分史を書きたくなった。写真には懐かしい風景や顔が多いが、日記には失敗が多く、良い気分ではない。自分の暗い部分であるからであろう。留学して半年後、日本で初めて沖縄調査に参加した。1973年7月与論島で風葬穴を覗いて見た感動はあっても写真が見つからない。座葬の葬式を観察した。1975年には3月、8月2度宮古島で葬式と洗骨の現場を撮影したものがある。目を離せない作業が続いている。

『ワン・アジアに向けて』出版

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東亜大学東アジア文化研究所発行、花乱社092(781)7550発売で『ワン・アジアに向けて』を出版した。地方からアジアへ向けての発信である。  本書は二部に構成されており、一部はワンアジア財団支援公開講座「ITによるアジア共同体教育の構築」の報告書であり、15回行われた講義の生きている映像を30分弱にまとめたDVDと講義の概要である。  第二部は記憶として下関から出征して日中戦争参戦の現場で写した貴重な写真集とインタビュー、満州映画協会に勤めた生き証人の話、植民地と戦争の期に日韓を往来しながら生きて来た方のインタビューの収録である。インタビューに応じて話をして下さった小山正夫元上等兵は100才にあとわずかという時に亡くなられた。彼が日中戦争の話の中で「慰安室」の写真を指差しながら語った慰安婦の話は印象的だった。

読書時間韓国が最下位

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 一昨年出したエッセー集が売れきれたと出版社からの通知、まだ紙の本が売れているようで嬉しい。私は「売れる」という意識ではなく、読まれるとか普及すると考えている。読書時間の国際比較で、30か国の中で韓国が最下位、日本が下から2番目であるということについて学生たちと議論した。勉強は学生時代、教科書や参考書以外の本は読まないという意見があった。読書とは受験勉強、卒業は本から解放されるという意識を持っている学生が多い。紙の本の読書では韓日の読書時間が低いが、それはネットで読むことを意味するという意見が出た。ネットと紙の本は内容は同様であっても差はあるのか。留学生のキンヒョンイル君と討論した。私はネットで、きちんと読めるか、考えるか、蔵書はどうであろうかと問うた。彼は本質は変わらないと言う。今度、私の編で出した本はDVDと紙の文の混用であり、時代に合うようなものとして自慢したい。昨日その本『ワン・アジアに向けて』を資料提供者の故小山元上等兵の仏壇に献本した。帰路に人類学ミュージアムに寄り吉留徹館長に講演を依頼した。

司馬遼太郎氏からの葉書き

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 私は自ら物を捨てる性向があると思うが意外にも保存する面もあると感じた。1960年代からの日記、写真、手紙などを再発見して驚く。中には作家の故司馬遼太郎氏からの葉書きも残っている。日記とアルバムの意味が著しく異なっていることを感じている。日記には事実、恥ずかしかったこと、失敗など、人に知られたくないことが多くかいてあり、アルバムなどの写真には記念すべきこと、嬉しい、懐かしいものが多い。日記と写真の差について読書会で話題にしたら田辺正樹氏がアルバムを中心に人物紹介はそれほど信憑性がないのではないかと鋭い指摘があり、大いに考えさせられた。夕食は倉光氏に焼肉をご馳走になった。ソウルからこられた金執事も参加し、100%肉食の出版記念会であった。

『ジャパンアズナンバーワン』

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 久しぶりに訪ねて来られたある会社の会長の経営お話、その「わざ」をお聞かせいただいた。彼は基本的には人との協力であり、自分から人に委ねることである。そのためにはその人への配慮、生活環境などを備えてあげる必要があるという。国家はどうであろう。自民党は強権的になっている。韓国には「権不十年(権力は10年続かず)」という諺がある。50余年続く政権はそろそろ交代すべき時なのかもしれない。
 日本文化論では「日本が世界一」とうエズラヴォーゲル著『ジャパンアズナンバーワン』について話した。会社が生産だけを目的にするのではなく、非能力的であると言われる日本の終身雇用制について学生たちに意見を求めた。学生たちは社員として、会社と生活共同体になることを好むという。先週は日本は恥の文化という否定的な見方、今週は日本は「世界一」という肯定的。極端的に相反する日本文化論、これからが正念場であろう。

「朝鮮侵略の元凶」

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 来年は明治維新150周年、韓国の代表的な月刊誌『月刊朝鮮』に12ページに亘って山口県「萩」が紹介されている。地元の観光化や郷土愛による宣伝に新鮮な刺激になるかと思うが、その中身はどうであろうか。内容はネットでもわかるとは言えるがどのような視線、意見であろうか。「日本経済のルーツを探して」歴史探訪団のメンバーたちと取材記者の裴氏は田舎の田園風景、人口15万の小さい都市、日帝侵略の主役をした伊藤博文ら長州ファイブを育てた吉田松陰という男たちによって明治維新、太平洋戦争と敗亡した話である。桂太郎は日韓合併という「業績」、しかし、それは韓国の「災難」であった。「我々にとって気持ち悪い」家、その家の女性は「韓国との悪縁」は知らないようである。ユネスコ世界文化遺産の松下村塾、それは韓国では「朝鮮侵略の元凶」。安倍晋三総理の母方の祖父の岸、佐藤らを通して遡り、安倍総理が一番尊敬するのが吉田松陰である。吉田が処刑された10月26日、その50年後のその日に伊藤博文が「安重根義士の銃によって命を失った」。「この男が日本はもちろん我が国の歴史さえ変えたと思うと困惑した」下関の高杉晋作は奇兵隊という民兵隊をつくりクーデターを起こし、明治維新の主役をすることができた。安倍総理の名前の「晋」は晋作からのもの、下関は彼の選挙区である。熾烈に生きた少数の先覚者たちが明治日本を、否今日の日本を作ったと思いながら「その時我らは何をしていたか」と考えた。伊藤は初代総理、帝国憲法制定、我らには「元凶」であるが日本人たちには維新の「元勲」、彼と一緒に英国留学をした井上馨は乙未事変(閔妃暗殺)の企画者、「萩」は総理大臣を輩出した。明倫小学校と同じ名前の、朝鮮の明倫堂からは亡国の腐った学者たちが出たが、長州の明倫堂からは近代化の旗手たちがでた。高杉晋作を見本としてもう一度、維新の夢を見る安倍晋三の顔がオーバラップした。
 以上主に日韓に関連するところを中心に要約してみた。下関では年中メディアなどで高杉晋作の名が氾濫する。井戸の中の蛙的である。国際的視野からどう見られるか、視野を広げてほしい。日本の近代化はよかった。しかし、韓国侵略は悪かった。と述べながら記者は韓国の反省を求める。

 

友愛関係

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 小人数の教会に韓国大邱の姉妹教会から牧師ら12名が来られ、40余名で活気があった。日本語と韓国語がバイリンガル、昼食は韓国料理、代表者の牧師は韓国で食べる韓国料理より美味しいと言った。クリスチャンの交際について崔栄信牧師は説教で語った。神との垂直関係は洗礼であり、聖徒同士の横軸関係は教会の実態であるという。神の下に離合集散する集まりではなく、横の友愛関係が重要であるという社会学の重要な点が指摘された。彼は言う。それが教会であると。私たちが所属している社会集団もそうである。ただ仕事をして給料をもらえばよいということではない。もっと楽しい職場になってほしい。

「私の人脈」

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 アルバムなどに保存している写真の多くが変質しているのを見て、分類箱に入れて整理している。私は捨てる性向があると繰り返して書いているが、意外に多く持っているとも感じた。捨てるということは整理する意味がある。会いたくない、見たくないものはアルバムにはない。それが日記と大きい差であることは先日、触れたとおりである。
 写真の中から読者たちと共有出来るのを「私の人脈」としてフェースブックに公開している。それを見たある教え子は私の心境をキャッチしたようである。また出版に参考になるとの連絡もあった。実は死後のために生前に整理する、終活のようなものである。写真には写っていない人も多い。多くの方々にお世話になり、多くの恩恵を受けていることを感じている。自分史のようなものであるが、写真や証明などがなくても自分史がないわけではない。現在の生き方、人生観は体験と経験などが積み重なって、できあがったものである。記憶と記録がなくても生きている自分の現在がすべてであろう。

「傘内に男女」

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 同年輩の非常勤の教授が授業を終えて教壇の側に立っておられたので、久しぶりに立ち話をした。彼は有名な弓道人、健康の秘訣のような話に耳を傾けた。健康のための弓道ではなく、スポーツに健康がつく、付加価値的に秘訣を語った。その直後外に出ると雨が降り始めたのでカバンの中の傘を探している時、傘をさしてくれた美女。花模様の「傘内に男女」となり、なんと回春の気持ちで照れ臭い表情をしたら彼女は還暦過ぎの老女だと言う。それでも失望せず親切に感謝し、別れた。キャンパスには情が溢れているようだ。*唐戸広場のサンディゴ


「終活」

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 アルバムを整理中。古い、懐かしい写真が変色しているものが多い。少しづつネットに公開して共有するように投稿している。多くの方から反響があって嬉しい。以前、外付けディスケットに保存したものを無くして自分史の多くを失ったと失望している。共有するのが良い、関連ある人が自由に使ってよろしい。ある写真については友人から学会史的資料だと言われた。反響の中では私のこの行為が「終活」であろうという人がいる。また多くの人が終活をしているという、つまり葬儀や墓、遺言や相続などを元気なうちに準備する。私はそのような葬儀などは心配しない。私は人生は死んで終わるのではなく、生きている一生と死後を含む「生死」の枠で考えている。「死んでも生きる」という皮肉に聞こえるかもしれないが、実はそれが真実、現実である。*写真1977年慶南大学、呉英元教授と

喜寿記念

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 アルバムを整理しながらランダムに大雑把に古い順日写真「私の人脈」を投稿しているが、写真がない大切な友人、知人が多い。多くの方から反響があり、嬉しい。中にはご自分が写っていないという意見もある。これからも続けて投稿いくので待っていてほしい、また私と一緒に撮られた写真を送ってくださるよう願う。そして多くの方々との華麗な人脈にしたい。
 私の子供時代の写真はない。貧困な農村生まれだからであり、また保存していないからである。私の喜寿記念に来週の6月17日には写真展も行う。私が世界で撮った写真数十枚を展示する。それもランダムに選んだものである。私が何を、どう、見て撮ったのかを示したい。
 年をとることは身体的には衰え、死を目の前にして生きるということかもしれないが、それは歴史であり、悟り、復活の希望でもある。7月には私にインタービューして本を出版する企画が始まるという。多く語りたい。*私の企画監修の本『絵葉書から見る近代朝鮮』を出版した民俗苑社長(右)と顧問の朴氏

傷痕

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 私の胸には垂直15センチほどの手術の傷痕がある。人には見せたくないので銭湯などには行かない。数日前、看護師である家内に大腸がんと診断され人工肛門を作らなければならないと言われたという相談があった。乳がんで乳房の手術で悩んでいる女性も多いと聞いた。それを残して命を無くした人も多いとのこと。私は自分の傷跡を見直すことにした。生かされた恩恵の印であると。人は心の傷を持っている。失敗や恥ずかしい思いをしたことなど、さまざまな傷痕を持っているいるはずである。社会や国家だってそうである。傷痕を話題にしたり争ってはいけない。それが今のそれぞれの自分自身、自国に生かされている力になっているからである。昨日訪れてこられた山口県議員の平岡望氏とは「望」に関する話をした。

日本の女性と学生結婚

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 留学生の母親が韓国ソウルから訪ねてこられた。彼のお母さんは専門大学の教授、私の生まれ故郷の近いところに住んでいるというので、緊張する韓国の南北情勢、戦争への脅威の話をイントロとした。「それは全然ない」といい、南北の対話への動きさえあるという文政府の雰囲気が伝わってきた。初対面ではあるが私への情報は得ておられるようであった。韓国入試所長から大学には韓国語ができる韓国出身の私がいると十分説明されたという。しかしそれらは私が留学して、成功した、(?)人物のサンプルのような印象だったと言う。私の苦労話は一切入っていない。『雀様が語る学問と人生』の韓国語版をさし上げた。
 彼は好きなドラム演奏者から日本留学へ変換、親の反対をおし切って、日本の女性と学生結婚をした。そのストリーは韓ドラが目の前で語られ、時には論争のようになり、わが夫婦は毎晩見ているKBS「輝けウンス」のドラマを鑑賞しているような気分だった。彼が日本女性と結婚したことと、私が同じように日本女性と結婚していることを知って驚いておられた。彼はここは日本だと母親に注意しながら私の日本文化論を代弁するように日本では「・・・してはいけない」、「日本人の表現はこうだけど、実はこんな意図がある」などと分析して語っていた。彼が私を見本に立派な学者になりたいという話を聞いて母親は少し安心したようだった。
 

 

崔吉城のホームページを新しく作りました

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 韓国からの留学生の白成烈君が1時間半くらいで立派に作りました。ベンチャー企業でもできると思った。

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