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Channel: 崔吉城との対話
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 多くの高齢者はネットに弱く(?)無関心、無視、軽視する人が多い。しかしネットは子供の玩具だけではない。「生きる」という人間関係を充実にさせてくれるものにもなる。台湾在住のまだ面識はない私のフェースブック友人の頼氏とは親しくなっている。昨日お茶とお菓子届いた(写真)。感謝である。
 今はインターネット交信が毎日の基本的な生活習慣にになっている。15年ほど前、初めてホームページを作った。それは私の青春時代、さらに、古い時代にタイピング担当の教員時代に遡る好奇心からであった。簡単に作れると言われたが、私には簡単ではなかった。結局工学専攻の学生の協力を得て完成した。数年後リニューアルを試みて操作中すべての資料を無くしてしまって困境に陥ったことがある。その後、業者に依頼して管理したが、最近ドメイントラブルで目下中止中であった。昨日留学生の白成烈君に依頼。1時間半で作ってもらった。感謝である。


読売新聞記事

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 昨日、韓国馬山の舞鶴女子高校生40数名を迎えた。引率の徐教頭は私の孫弟子で特に親近感があり、昼食を一緒にした。彼曰く、韓国で日本への観光が人気上昇の理由は、きれい、親切、安いからだという。韓国入試所長の崔氏は日本留学を希望する学生が増えていると声を上げていた。くまざわ書店に小生編集の本が並んでいることを確認した後、港で彼らを見送った。今朝(2017.6.13)の読売新聞にその、東亜大学東アジア文化研究所で発行、花乱社発売の『ワン・アジアに向けて』の本に関して記事が載った。今週土曜日17日はその出版記念会を行うのでタイミングが良い。

「一味」

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 長く住んでも日本の食べ物には慣れていないものがある。それが私にとっては目ざわりな日本文化の一つである。沖縄では牛肉より豚肉が好まれること、ピーナッツより大豆が美味しいという日本の食感覚。味を知らない文化だと誤解している私。昨日の夕飯は家内が市販のソーメンを韓国式のビビンククスにしてくれた。本当に美味しい「一味」であった。「一味」は美味しさを共にする悪い集団を指す言葉でもある。最近北朝鮮は日本を「一味(反民族集団)」だと言った。
 小説を書きたい。私の人生舞台にはいろいろなキャラクターがいるからである。積極的な人、否定的な人、そして付き合いが難しい人もいる。遠慮するようで威張る人もいる。彼らに私はどう映っているのだろうか。それでも大枠、理解し合っている。私も日本人も好きな「和」となっている。

「縁切りか」

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 記念式の参加のために韓国から来られる張竜傑教授夫妻が空港でパスポート期限切れ、出国不可とされたという電話で宿泊など迎える準備など騒ぎになった。彼らと共にする予定の夕食の約束も私たち夫婦だけがご馳走になった。再発給してもらい、行事には間に合いそうだと言う。去年韓国人の講師が同様なことがあり、私も二十数年前あったハプニングである。将来はEUのようにパスポート不要な時期が来るだろう。
 出版記念会には意外に参加者が多くなっているが、中には友人の予定者からキャンセルといわれ私が「縁切りか」と冗談の一喝、参加することとなった。その訳を聞くと81才でも会社の会長であり、それは名だけの役職ではなく、実際に労働しているし、当日は大事な仕事があったが、何とか出切る事になったとのことだった。若者はコンピューターのデスクワークであり、高齢者が労働者になる職場の構造の異変が起きているということもお聞きした。若いハイカーラーはデスク、高齢者は現場、面白い話である。しかし高齢者の彼は現職、労働者であることが楽しいという。労働の質、価値観の昇格である。*写真は韓国で出版された本

お客様を迎える準備

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 明日から多くのお客様を迎える準備をしている。韓国で出版された本に関税が掛かるという通知をうけた。今日配達される。国境の壁はまだ高い。家に泊まる親族もいる。家内と一緒に応接間などを片づけている。私は花を飾り、少し環境美化しようとする。雑然とした普段の実態を見せたくないというより、相手を思いやることである。お客さまを迎えることは自分の生活環境の整理整頓清潔清掃で、相手をおもてなしする、良い社会習慣であると思う。化粧もそうであろうか。 

私の喜寿

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 今日は私の喜寿の誕生日である。長生きをしている感がする。平均寿命が延びているが自然なこととは思えない。二十歳で末期の結核、最近は心臓の手術などにより、死と闘った自分史がある。それは生物学的あるいは医療的な命の延長のようなものである。朝鮮戦争の時は多くの人が死んだ。多くの死ぬ現場、死体を見てきた。今生きるために生きるのではない。何かをする、したいために生きる。今日は二種類の本の出版を祝うことになっている。家内が小さいお祝いの会を発意したのが80人を超える賀客が集まることになった。一部講演会、二部には祝賀会、私の写真展も行う。祝意、記念品、花などを送ってくださった方々に感謝したい。

感謝

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 感謝の日であった。私の講演のレジメより、
 
 皆様に感謝したい。東亜大学に感謝したい。広島大学を定年してから10年以上も働かせていただいております。韓国からの留学生をはじめ、多くのアジアからの留学生を受け入れるようにもなりました。真の教育のチャンス、松陰先生の教育精神、小人数精鋭教育ができます。市民、友人、知人、同僚、学生に感謝したい。利害関係ではない、友情、協力、尊敬と愛の関係に感謝したい。日常生活では妻の幸子に感謝したい。公私に関わらず運転手、文章の校正、健康管理者であり、大切な伴侶です。

 『ワン・アジアに向けて』出版記念会

2017.6.17

(東亜大学コミュニティセンター4階)

1.記念行事 司会 古川智(東亜大学教授・国際交流学科学科長)

  15:00   挨拶 発起人代表・櫛田宏治(東亜大学学長)

      :代読 山田千秋(東亜大学副学長)

       来賓挨拶 野村忠司(山口県文化連盟会長)

      祝辞紹介 江島潔(参議院議員)

 15:10  リコーダー演奏 ラ・ポティット・バンド

      益田旬一 益田智子 高宮善之 高宮香苗 中原聰

アントニー・ホルボーン作曲「5本のリコーダーのための組曲」

15:20   講演 崔吉城(東亜大学教授・東アジア文化研究所所長)

         「緊張する日朝関係」

閉会の挨拶 友松弘幸(下関広域日韓親善協会会長)  

 (東亜大学コミュニティセンター3階)

2.祝賀会   司会 上水流久彦(県立広島大学准教授)

   16:00  祝辞 金田晉(東亜大学教授・大学院研究科長)

       祝辞 姜信杓(高麗大学校特任教授)  

乾杯 石本弘之(山口県日韓親善協会連合会副会長)

歌 李陽雨(シンガーソングライター)
曲 「よいとまけの歌」他

祝辞・花束贈呈 中村八重(韓国外国語大学校副教授)

参加者紹介

 17:30   閉会の挨拶 田辺よし子(下関市議会議員)

 (発起人  櫛田宏冶 倉光誠 佐々木正一 田辺よし子 友松弘幸)

 反省会まで感謝の言葉は続いて夜帰宅して初めて座った感がした。呼びかけから終わりまで多くの人にご配慮いただき、迷惑をかけた感がする。大学側の協力で盛況出来たことも感謝である。韓国(7人)、名古屋、広島などからも来られた。祝意、花束、お土産が山盛り、心温まるお言葉も溢れる日であった。

 

高級な帽子

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 出版記念会で意外だと思ったことがあった。まず私が称賛される言葉が多く、恐縮、嬉しく、また照れ臭かった。野村氏からはお洒落な人、田辺氏から高級な帽子をいただき被って見せた。いつも単着で靴も磨かづ、衣服には無頓着で粗末な生活であってもそれが美しく見えてよかったと感じた。お祝いの花が広大と啓明大の弟子たち、東亜大の院生たち、市役所の友人、画伯堀氏などからいただき、リビングだけで16個飾り、豪華な結婚式場のようである。本当に意外なことで心から感謝である。お言葉も多くいただいたが特に意外な言葉は反省会で、韓国の最初の弟子で私が結婚主礼を行った当事者の夫婦の話。その当時の新婦、ミス・コリアとの結婚に反対をしたことを韓ドラのように語って一同大笑いになった。私は自分が言ったこともすっかり忘れて初耳のようで驚いた。その夫婦も今は還暦で幸せに暮らしている。古稀記念の時に喜寿を祝ってくれると言っていた人たちからは音信がなかった。そのときはさらに7年も生きるとは思わなかったのかも知れない。


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お礼

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 よくまとめて記事とされたものと私のコラム、『ワン・アジアに向けて』に関する文を紹介する。記念会では参加していただいた方々の紹介もできずに時間切れで、失礼しました。ここに皆さんに感謝とお詫びを申し上げる(敬称略)。

穴見幹男 秋吉直美 有福孝岳 礒永和貴 伊東雅之 伊藤巧 李ジョン美 李陽雨 
上田崇仁 浦川和也 大江敏彦 大崎多恵 岡瑞枝  金光国男 姜信杓 香川昌則
金田晉 川野裕一郎 上水流久彦    川村博忠 金ギョンリョル  櫛田宏冶 鍬野保雄 倉光誠 小林孝行 権藤博志 権藤百合子 園田まどか 反田昌平  高市祥子 高宮善之 高宮香苗  武部忠夫 田代光男 田辺正樹 田辺よし子   高野良之   竹下一 瀧田修一 張竜傑   友松弘幸  富田茂照 奈良美香 中村八重 西嶋正法 西原経徳  野村忠司 原田環 原田博夫     朴仙容 白成烈 藤川雅宏 藤川京美 古川智 別府大悟 洪鐘和 堀研   堀節子     堀まどか 前田よしみ 三嶋祐一郎 孫山正男 孫山文子 村田悟  山田千秋  本山大智  山田菜の花  油谷留美 家根橋 中原聡  崔キョンチョル   益田旬 益田智子    松浦    王轍    

単身赴任

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 アルバムから「私の人脈」という写真を公開している。それは終活の一つであるとも思われる。放浪人生、多くの出会い、その人間関係を持ち続けたい。単身赴任には否定的である。家内は常に一緒に放浪(?)してきた。夫婦は一緒に暮らすということ、それは家内の職業に対して尊重が薄い、人権問題かもしれない。
 職場には長い単身赴任の人がいる。赴任の地域とは縁の薄い人、そこを離れると縁の一点も残らない。送別が「無縁」となる。特に新聞記者は転勤が多い。ある人に言った。縁を持って、新しく作れる良い職業であると。彼とは転勤されて数年たっても、時々会っている。
 私と4代続きで付き合いのある大阪市立大学の堀まどか氏が私の講演についての投稿、それが議論となっているので紹介する。    崔先生の講演のなかで、「日本人は、引っ越しをすると、その前の人間関係の縁を切る・・・」という話があって、まるで私のことを言われているような気がして、心に残っている。彼方此方を転々と暮らしてきた私も、そうなのだろうか、そう思われているのだろうか?と・・・。縁を切っているつもりは決してない。ただ、どこに住んでいても、ニュートラルに、自分自身の生活をしているのは確かである。韓国の人(あるいは他国の人)からみて、いかにも日本人の〈人間関係の薄い暮らし方〉に見えるのかもしれないと思った。しかし、それが「至誠」がないと、結論づけられることでもない、と思うので、私なりの「至誠」ある生き方をしていきたいと思った。
(日本人的な人付き合いが「=情が薄い」といわれても、それはそれなりの「情」があってこそ、そうなっているので、なかなか変えられないものがある・・・と思ったことは事実である。)

こういうのは、実に説明が難しいが、面白い。

...

たとえば、村上春樹の小説。奥さんから「あなたともう暮らせない。そういう夢をみた。」と言われ不倫の事実を聞かされた男は、動揺するものの、不倫相手が誰かと追求することもなく、自分が即座に家を出ていった。怒鳴ったりわめいたりしないのである。感情表現としては淡泊で冷静な日本人たちである。(これは、韓国のドラマなどではあり得ないのではないか、という気がして、、、外国人読者はどのように感じるのだろうか、と思って、昨日、学生たちとその部分を読んで、質問してみたのだが、中国人や韓国人は、二人の結婚には愛

<form id="u_jsonp_2_17" class="commentable_item" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{"> 池田 あさみ 個人的な体験談としては、韓国人の場合、離れていても連絡したり、常に近状報告をする人間関係を重要視している気がしますが、日本では言わなくてもわかるだろうという、阿吽の呼吸に近い人間関係に近いと思います。日本は便りのないのはよい便りと捉えても、韓国だと、連絡ないともう自分のこと忘れちゃったのかなとか寂しい思いをする人は多い気がします。 堀 まどか 返信ありがとうー!確かに、そうなんだろうなと思います。分かっていても、なかなか変えることもできなくって。。。そういう違いがあることを、相互に知覚するようになると良いよねぇ。 Yuki Meno 「日本人の引っ越し」って、そもそも引っ越しじたいが「単身赴任」「銀行の転勤族」ほか、他国の人から見たら納得しにくいケースが多いからね~。あまり転勤しすぎて、どこの地域でも人間関係が構築できなかった奥さんが、最後に我慢しきれずに離婚するケースもある。韓国やアメリカは、そこまで無茶な引っ越しは、日本ほどしないのでは。だから、日本の転勤族みたいな引っ越しは、情緒的にも理解しにくいかもしれない。 堀 まどか なるほどね、面白い視点!! Yuki Meno というか、「家族と別れたくない」という理由で離職したアメリカ人男性を二人知ってるんだけど、もしかしたら韓国人も「単身赴任するくらいなら離職する」と思うのかな?と。日本にはない発想…。 堀 まどか なるほどね〜、、、考えさせられる。😅 堀 まどか そう考えると、私のような生活をしている者が「情がない」とか「人間関係が薄い」と思われても、まったく不思議ではなく、むしろ妥当だわ。実際、薄情なのかもしれないわ😅 何に重きを置く人生なのか、よく分からなくなってきた〜。ハハ😅 Yuki Meno 堀さんは、全然薄情ではないよ。東日本大震災の時、姻戚の親族を快く京都のおうちに住まわせていたじゃない?こんなできた人は、ちょっと今時の日本にはいないよ。一番勉強が忙しかった時も、出産子育てをよく頑張って偉かったし。本当に薄情なひとは、堀さんみたいに行動しない。 堀 まどか んー、、、それ、買いかぶり。親族が泊まっていてくれたのは、私たちにとっては楽しかった記憶で、貴重な時間だった。困ったら、いつでもお互い避難したりできるような、リスク分散型の家族形態なのです。 堀 まどか ・・・こんなふうに危険回避とかリスク分散とか防災対策とか、石橋も個別で渡って安全度を高めるみたいな家族形態も、、、良いんだか悪いんだか。でも、まあ、いいよね😅 Yuki Meno それこそ、本当に薄情な人にはできない発想だし、韓国や中国やアメリカの人にも理解される「情」「至誠」だと思います。ちなみにうちは、夫が「ゆきちゃんが怒ると思うから、そういう時はそとにホテルとって泊めさす」というておりました。 堀 まどか たしかに、自分の生活空間を大事にするところがある。私だってそれはあるよ!でも、子供がいたから、人が家に来てくれるほうがかえって嬉しかったのよ。ちなみに、「ゆきちゃん」と呼ばれているの、かわいいね〜😆 Yuki Meno キャー(/ω\) Rie Matsui Ishioka 私はコミュニティについて研究していることもあって、自分が現時点で住んでいるコミュニティを重視して生活する日本に対して、自分がこれまで築いてきたネットワークを重視して生活する韓国(自分が現時点で住んでいるコミュニティはそれほど重要ではない?)というイメージがあります。こんなに単純化はできないと思いますが(笑)。韓国でまちづくりに関わる方々は、多分、日本とは異なる大変さを経験していらっしゃるのではないかと推察します。 堀 まどか なるほど〜、そうかも😁 面白い視点ですね!!コメントありがとうございます! 2017.6.17 </form>

崔吉城先生の「出版記念講演会」(喜寿のお祝い会)。優れた人類学者であることはいうまでもないが、祝辞で誰かが述べていたように、その「至誠」のお人柄に、みな深い敬愛の念を感じている。先生とそれを囲む皆の笑顔を見て、じつに嬉しかった。
「至誠」・・・・それは、生き方の問題なのだが、自分はまだそこに至っていないと思う。いつかそれが自然に全身で表現できているようになれたらいいのだが、、、と思いながら帰宅した。

サインを求めた留学生の都栄光君

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 昨朝8時ころ突然私の研究室をノックしたのは韓国からの留学生、都栄光君であった。彼は最新刊の『ワン・アジアに向けて』を書店で購入して、サインを求めた。数年前中国の留学生が私のエッセイ集を買ってサインを求められて以来のことである。嬉しい。この地方で地元の印刷社、出版社、そしてこの地の人物を対象にして講義やインタービューしたもの出して、市民たちと記念会を行った。読売新聞、毎日新聞、長周新聞、東洋経済日報に公表されている。これも嬉しい。しかし記念に当たって行った私の講演「緊張する日朝関係」はレジュメを用意していたが、イントロで終わった。機会を作って続編を語りたい。

絵はがきの文化人類学

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 読書会で新しく教材を『絵葉書から見る近代朝鮮』と決めた。共同研究、新たに分析、議論していくことにした。「絵はがきの文化人類学」と仮題をつけたい。一枚の絵葉書から着色、ヘアースタイル、屋根、道路など多角度から近代朝鮮を見た日本人の視線が話題になった。記録性、美的視線、通信などを具体的に話り、楽しく研究が始まった。韓国からの植民地蔑視観も入れて考察すべきであろう。その最中に梓書店からアジア関係の本300冊弱を寄贈したいとの連絡を受けてメンバーたちが東アジア文化研究所に運んで留学生がアルバイトをする食堂で夕食を共にしながら和気あいあいと研究の意欲を高めた。*写真は共同執筆者の本山大智氏と淑女たち

テレビは日本語の先生

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 わが家の最高の贅沢品といえば4年前購入したSONY4kの65インチのテレビである。そのテレビに横線が出て修理を願った結果、新しいものに代替してくれるという。新品をいただく幸運(?)になった。テレビは本当に我が家にはなくてはならない家宝である。ニュースや映像を楽しむと同時に、私にとっては日本語の先生ともいえる。愛視聴の「笑点」「カラオケバトル」など日本語や英語の字幕を付けてみている。以前は歌にはメロディやリズムを中心に聞いていたが歌詞の字幕を読むようになって異様に感ずるものも多い。例えばメロディでは単純であっても歌詞では意味深い、あるいはその逆のものも多い。その両方が合致するものもある。テレビは日本語の先生とは言っても本物の先生ではない。私の日本語が伸びないないのは日本語の基礎教育を受けていないからであろう。

狗留孫山

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 朝の散歩1キロ、昼からは雨の中で登山路1.5キロを歩いた。秦穴拳壱氏の案内で行くつもりだったが時間合わせが難しく家内との登山であった。最近では一番きつい運動になった。密林の中の細道を走るのは怖く、スリル感があった。昼食するところがないかもしれないと不安を強くしている時「重兵衛茶屋」を発見。嬉しくソバを食べることができた。そこからアスファルトの道は駐車場まで。そこから傘をさして歩き始めた。郵便屋さんに出会ってそこまでの距離を聞くと15分位といい、食堂の女性は1時間、案内情報では25分と書いている。私には1時間かかった。目的地は下関市にある標高616.3mの狗留孫山(くるそんざん)である。八合目に古刹修禅寺がある。住職蓮住信慶氏夫妻が温かく迎えてくれた。
 戦争末期に出征した人の平安武運長久を祈って奉納した写真を見せていただいた。元々8000枚ほどあったが親族に戻してあげて、今は3000枚ほど残っている。下関をはじめ福岡、大阪、東京、朝鮮半島、中国から本人や家族が奉納したものである。秦穴拳壱氏と読売新聞西部本社の福岡編集部がデータベースとされていると聞く。すでに展示会も行い、市民に情報が伝わっている。去年8月30日読売新聞には二人の親族のインタビュー記事も載っている。私としてはそれらを以て整理、分析し、資料集を作りたい。まず研究所で住職と秦穴氏のお話を聞く、講演会を行いたい、その旨、私の希望を申し上げた。帰りの道で偶然、田中絹代の映画関係者の河波茅子氏宅の前を通り、ノックしてみたが留守。名刺を戸口に挟んでおいての帰路はまだまだ雨中の道であった。 


 



朝鮮戦争

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 昨日は朝鮮戦争67周年記念日であった。韓国と北朝鮮の記念行事の映像ニュースが伝えられた。特に平壌からは「6・25米帝反対闘争の日平壌 市民大会」とあった。北朝鮮による戦争で朝鮮半島の統一が目前の時、アメリカが介入して現在のような分断国となったというアメリカを恨むような行事である。韓国の反日、つまり日本植民地に対する反日が強調されることとは違って、北朝鮮では第二次世界大戦後の朝鮮戦争に対するものである。朝鮮半島の負の歴史、闇の歴史によって日本やアメリカを恨むのが常である。それぞれこのような歴史を教え、再演する。韓国の留学生の金君は歴史を学ぶということは恨むことに繋がるのではないかという。答えは出していない。否、答えられない。自ら回答に挑戦すべきであろう。

科研報告書 朝日新聞報道

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 時間の流れを惜しむ。それは楽しいからであろう。辛い時間は長い。辛い人生は長生きといえるであろうか。昨日は私にとって重要な、郵便局で終身保険の手続きをチエックするために出かけた。複雑であった。入会も複雑であれば受給するにはさらに複雑なので、簡素化するためのものであった。私が家内より先に死ぬことを前提にしているが、逆であればどうする?恐ろしくて、それ以上は考えない。定期受診の主治医と薬局の人たちは笑顔で対応していただき、ほっとしている。3年間の科研の研究成果を報告書を提出した。広島県立広島大学の原田環、上水流久彦の両氏との共同研究であった。今朝の朝日新聞下関版には『ワン・アジアに向けて』の出版の記事と私の顔写真がカーラーで載った。これで地域の全新聞が報道してくれた。

映像編集

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 同年代の高齢者の権藤博志氏が映像編集の件で研究室に訪ねてこられた。先日記念会の映像を観て、やはりプロの味がする。彼は私と度々同行して撮影し、編集してくれたものもある。また再編集して懸賞に応募したいという。戦争の記録映像を撮りたいという。昨日の毎日新聞に彼の写真展について大きく報じられていることを話すと、彼は初耳、まだ見ていないという。今日はその記事を書いた記者と会う予定であり、楽しみである。彼の老益壮の力はどこにあるのだろうか。それは彼の優しい人柄と強い正義感からであろう。

「内祝」

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 日本では日常生活習慣にかなり礼儀的なものがある。日本の贈答文化は煩わしい。それをすべて守りながら生活することは難しい。お歳暮やお中元、慶弔の際にいただいた祝儀に対してお返しなど、複雑であり細かい。私は家内から日本文化を習っている。先日私の喜寿に多くの方々からプレゼントや祝儀を頂いた方の中から数人へ内祝いを送った。私はのしの「内祝」に楽しく筆ペンで名前書いた。
 これは古い村の生活習慣が商業的になった民俗である。外国出身の人が日本籍をとってもこのような日本文化に慣れて共有するか否かは自由であるが、真の人間関係をこなすためには肯定的に考えた方が良い。外国出身の多くの人はこのような日本文化を共有していないようである。日本人の人間関係、日本の贈答文化の「情」を理解して共有することも大事である。

柳美里氏の招請講演

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 古川薫先生から小生編『ワン・アジアに向けて』に「時勢にもの言う本」というコメントが届いた。92歳の「下関を生きる」文学者である。私がいう「生きる」とは、ただ単に住むというレベルを超えて市民との交わりをするなど社会的に生きることを意味する。そんな方にもう一人、下関の日韓親善協会長の友松氏がおられる。昨日彼が訪ねて来られて、9月30日から始まる第6回「楽しい韓国文化論」について相談した。スタートは柳美里氏の招請講演など相談。土井が浜遺跡・人類学ミュージアムの館長の吉留徹氏などベスト・メンバーが揃った。2か月毎週土曜日、東亜大学で行い、最後には韓国旅行する。*私信ではあるがお元気な通信として公開する。

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