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Channel: 崔吉城との対話
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タイトルなしの講演

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 講演するために行く道で、くまざわ書店に寄り、時間調整のため書架をみた。私の最新編著『ワン・アジアに向けて』が平積になっている。1冊しか売れていないようである。下関在住のフェースブック友に購入をお願いしたい。そこから会場へ、6時過ぎに始まった下関広域親善協会で来賓として紹介されて、無題の講演をした。先日の講演で言えなかった「緊張する日朝関係」について話すつもりであったが、今度もその話にならなかった。日韓を往来しながら反日に生きてきた話で終わった。政治家と違った学者、研究者、教育者の生き方の話になった。言えなかった話はまた機会があれば本論として語りたい。「高齢」を最近イントロで終わる言い訳としたくなる気分である。


昨日で中国に返還されて20年

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 イギリスが最終的に植民地香港を手放し、中国に返還して昨日で20年になった。中国へ復帰「一国二体制」ということへの不信感、人権的に残酷なことだと思った人は私だけではない。香港が民主化の拠点になって欲しい。「成功だ」という中国側の言葉が皮肉に聞こえる。植民地から解放され、自ら独裁化している国は多い。
 今、日韓関係が悪いというと、ネット上の統計を上げて韓国からの観光客が戦後最多であると反論する人がいる。観光により経済的に益になることはあっても良い関係とは限らない。そこから深く考え分析する必要がある。研究者や専門家によってより詳しく分析、解明されるだろう。
 

東京都選挙

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 権威主義の牧師が追い出され無牧の教会でも健全である。以前私が植えたソテツが見事になっている。国家や社会は規制、法によって治まる。小さい心から強力な権力が発生する。「恨」は強力な力となる。国家というハードに対して投票はソフトといえる。昨日の選挙は長期政権の傲慢な強権政治への赤信号と警鐘であった。同情、怒り、人気などによって投票を決める。幼稚園を潰す強権政治に国民は怒っている。

 

洗骨

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 昨日は30度の熱中の真夏日、研究所で本を整理した。大学の紀要に「沖縄の洗骨調査ノート」の原稿を渡した。1964年8月恩師の任晳宰先生に同行させていただいて、韓国西海の蝟島民俗調査をした時、7-8個ほどの墓群「草墳(チョブン)」を見た。それが韓国で初めての報告書になっている。1973年夏シルクロード史の長澤和俊教授(1928年生)を代表とする与論島総合学術調査団に参加、座葬を観察した。1975年3月29日に宮古島平良市下里では洗骨葬の現場を撮った(写真)。それをこの際公開することとした。編集担当の新谷明雲氏は山口県立大学の名誉教授の方である。彼と立ち話を長くした。夕食はソウルから来られた中村八重氏と書店を見てから「楓」で。私たちだけで独占、閑散としたシーモールの中だった。

 

書くことは読むこと

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 今,7月末日の締め切りの文を書いている。書くのが面白い。文を書くことは読むことである。どう書くべきか。奇麗な日本文の決まりの文、儀礼言葉は見るだけ、読まない。面白くない。本が売れ難くなってから本の質は上がる傾向がある。文の書き方が変わっている。説明や叙述的なものは少ない。決まった内容、決まり文ではない、本の作り方が変わっていく。
 最近いただいた何冊かの本を読んでいる。『世界の日本研究2017』には行政白書式の文が多いが、中に堀まどか氏の文「特攻隊とメディア・リテラシー:韓国の日本語教育の現場」が目立つ。映画を通して日韓の学生の歴史認識を考えさせる議論する講義の現場が伝わってくる。この文とオーバーラップするような本も読んでいる。黒田勝弘氏の『隣国への足跡』である。鋭い感、重要なポイント、難題に優しく接近する文章力に感嘆せざるを無い。

 「国語」とは何か

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 韓国からの留学生、都栄光君、ANAに就職が決まったと聞いて嬉しかった。昨日のアジア言語文化の講義はフィリピンの愛国者、悲劇的人物ホセ・リザールについてであった。写真を見てよい反応をしたキンヒョンイル君、中学生2年生の時フィリピンに1年間英語留学したという。またフィリピン人に英会話をならったというイスンワン君もいて、講義の雰囲気は高まった。私は英語を国語とするのはどうだろう、「国語」とは何か、シンガポールの公用語の話、考えるようにした。一人を除いて英語を国語とするには反対意見であった。言葉は単純なコミュニケーション手段ではなく、文化であるということである。

校内で見つかった映画フィルム

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 数年ぶりに市内バスを利用して外出、読売新聞山口総局長の秋吉直美氏と、中村八重氏とコーヒーショップへ。そこで偶然に山口新聞の佐々木正一さんに出会って、紹介役になった。下関は本当に地元になった気分。知り合いが多くなり楽しい。大学で権藤博志氏のDVD編集作品を、読書会メンバーで視聴し、大きな拍手が出た。彼は私の誕生日祝いに作ったという。先日本欄で触れたが、校内で見つかった映画フィルムを読書会メンバーと礒永氏担当の博物館の受講生たちと総10人ほどで研究所に移した。汗ビッショリの皆さんに研究所の冷蔵庫から冷たいお茶を出して、談笑して終わった。

授業参観

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 九州地方に大雨。東京、千葉、北海道、韓国などから安否が寄せられた。そんな中、私の日本文化論の講義に同僚の家根橋伸子氏と大連理工大学の林楽青氏が参観に来られた。しかし、大雨の影響で電車が不通になり、小倉に住んでいるベトナムからの留学生5人全員が欠席で、結果的に学生3、教員3の研究会のようになった。日本の贈答文化がテーマだった。普通の商品がプレゼント化されたりしている。そんな日本文化の親切さは商術だけだろうか。贈答文化は基本的には優しさ、思いやりなどの基本精神に基ずく情の交換である。そこに色々な要素が付加して時代と共に複雑化していく傾向にある。外国人からから見たら現金を包んで渡す。お返しのある贈答。丁寧に何重にも包装をして、「つまらないものですが、、、」と言って渡すことなど、互酬性について議論した。

*権藤博志氏撮影・編集DVD


『純平』(ハート出版)

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 動物を愛することは人本主義に逆行するものであろうか。人は言うはずである。貧困ハンガーの人も多いのにと。しかし愛犬などが人間愛、人類愛に還元することは、多くの人が経験的に知っている。『純平』(ハート出版)は瞬間接着剤で目をふさがれ、寒い公園に捨てられた犬だった。生まれてまだ二ヵ月の子犬だった。純平君は少しずつ目が開き、視力を取り戻した。私と家内はこの本を読むのに辛く、そして救われ、人間の愛憎の喜悲の感が交差した。動物虐待と愛とが揺れ動くのはなぜだろう。マイケルさんは「日本の恥」を越えた例である。純平君に関わった人々の愛情と責任感。虐待を乗り越えて、言葉ではなく行動で傷ついた人々の癒しになり、多くの人々に愛され、長寿を全うした純平の物語に心が温まる。
 私の家内は韓国の伝統的な雑種のドンケ(糞の犬)をもらって部屋で飼っていた。犬が食卓に近づくだけ嫌だった。まして食べ物を噛んであげることに酷く抵抗感を持った。そんな私が今では家内のようにしている。私の人生観が大きく変わった。韓国から犬を連れて日本に着き、空港では犬が人気者になった。20歳を超える長寿だった。ある日犬をめぐる夫婦喧嘩になった中年夫婦が訪ねてきた。私の経験談を語った。犬に関わった経験のある方もない方も、この本はぜひ愛読されるように勧めたい。


山のドローン写真

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 大学のオープンキャンパスに参加した。在学生の学科紹介が面白かった。漫才式、独談式などそれぞれ工夫している。櫛田学長、山田千秋副学長と学食で昼食を共にし、東アジア文化研究所にある映画フィルムを見せ、利用について相談した。山田氏は16ミリ映写機を持っているところを探すために数か所に連絡、後電話である場所を知らせてくれた。速戦型の方であり、感謝であり、気が合うと思った。鵜澤和宏副学長と1時間ほど放談、韓国語学習の状況を聞いた。文法書を読み通し、これからは語彙とリスニングが順調に進むことに期待する。田辺氏家族企業のリサイクルセンターに寄って広い山のドロ-ン写真を見せていただいた。濃い緑の写真、それは彼らの青写真である。夢を語る彼らの話に私の夢も膨らんだ。

前川喜平氏の証言

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私は今日から出版向けのインタービューが始まる。ただ、高齢者として選ばれたのではないと思う。もちろんストーリーテーラーではない。人生と学問を時間軸で語らなければならない。昨日は前川喜平氏の証言を長く視聴した。多くの人が登場した。表情やジェスチャーなど非言語的言語nonverbalなコミュニケーションの時であった。証言者は単純な物語りや事実や事件を語るのではなく、人格やパーソナリティを見せるのである。また観る人の人格やパーソナリティ、識見が問われる。生の言葉の次元であるのに政府官職の菅氏や山本氏はメモを見たり棒読みをしたりした。異様な場面だった。私は前川氏の語る様子が、識見や深度のあるものとして信頼できると感じた。汚れのない、正直な人が政治の枠から外れやすいことは私は知っている。

 

インタービューを受けた

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 昨日の午前中、以前コラム担当の記者から取材を受けた。取材とは言ってもいつもただの放談のようであり、逆取材の感もなくはない。私はこの地域に生きながらこの地方の資料を発掘して地域住民と世界的に共有したいと強調した。午後は京都国際日本文化研究センターの招へい研究教授の金容儀氏からインタービューを受けた。彼は日韓関係について微妙な点を録音しながら質問した。私はアカデミズムと民衆、韓国の反日運動と闘った過去を語らざるを得なかった。韓国で日本学を先進的に行ったと賛嘆されながら、私の人生は脚本通りではない、その都度判断して生きて来ただけであると言った。反日感情の強いその時期に植民地時代の日本村の巨文島調査を行った。彼は引揚者の堀麗子氏に会ってみたいという。今日行かれることになった。彼が特に評価してくれたのは私の北朝鮮訪問、それは意外なことであった。私はこれからの出版企画、予定などを語った。彼の表情から私が高齢者であることを意識していない(?)と不思議に思ったのではないかと感じた。

授業参観のコメント

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 今朝の4時台ラジオ深夜便で100才の吉沢久子氏、夫の死後から一人暮らしの幸話を楽しんだ。質問者は山登りの下り坂に比喩して聞いているが、私にはまだ下り坂とは感じない話であった。加齢によってメガネなど文明の利器の利用が増えると言う、肯定的な生き方を語った。台所の変化も先端の利器が揃っていくと言う。家事評論家だったという。  年寄りの頑固さについてもノー。私はどうであろう。講義には最善を尽くしていると頑固な自信をもっているが、どうであろうか、考えている。先週私の授業に参観した家根橋伸子氏からコメントをいただいた。専門知識と授業方法が生かされた講義であり、簡単に真似できないほどだという。明日は私が授業参観に行くこととなっている。私はまだ現職であることに感謝している。      

劉暁波氏死去

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 豪雨で多くの人が死んで猛烈な暑さに脅迫されるような中で中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が昨日死去した。ただの死去とは言えない。中国の民主化の貴重な犠牲である。国外での治療を希望していたが認められず死んだ。昨日私の広大時代の最初の教え子の山田寛人氏が読書会に来られ、禁断の国家の北朝鮮訪問について写真などを見せながら話した。15年ほど前訪問した私と多く同感、ただ国産「平和自動車」の写真は異様な印象であった。ミサイルだけではなく自動車産業も発展、独裁国でも繁栄はするものだろうか。

市長表敬訪問

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  猛暑の中、猛烈なスケジュールとなった。まずクーラーもない教室での英語の授業参観、楽しかった。日本人教師馬場先生の英語で、ネパール、韓国、中国からの留学生3人の授業で面白く聞いていた。私は毎日ほぼ欠かさずBBCなどヒアリングをして学習をしていて学生の気持ちになって聞いた。本欄でも触れたことのある非言語的nonverbalなコミュニケーションが主であり、アメリカのカジュアルcasual日本の正装文化と比較になった。日本では正装formal文化が著しい。
 その直後私は上着を着用、正装formalな姿で、友松氏と車で同行し、下関前田晋太郎市長に会った。待機している方々の中に親しい大江課長クラスの職員と市長室へ入室、彼とは久しぶりに握手した。私は以前彼からもらった名刺を見せながらいつお会いしたか記憶が曖昧なのに、市長は弁論大会の時であると記憶していてくれた。下関のグリーンモール薬局の息子、同席した人全員が下関地元の方、私は韓国出身の余所者であり、「差別しないで」と冗談を言った。親善訪問であり、大学にも来てくれるようにも話すなど、放談した。彼は今日もこれから12名の人に会うというスケージュルの中でこの時間を作って下さって嬉しそうな表情で退室した。


海岸の景観

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 海辺の高層ビルに住んで幸せ、特に猛暑時にはそう思う。他のマンションには「景観を守れ」という垂れ幕が張られている。海岸の景観のよいロケ地は高価である。しかしそうではないところがある。近くにの関門医療センターがあるところにマックスバリュー、ダイソウ、ナフコなどは海岸の景観をふさいている。その反対側の道路辺にコーヒーショップがある。私はこのショッピングセンターを時々利用しながら非常に違和感を感じている。海辺を後に設計しているのなぜだろうか。瀬戸内海で津波の恐れだろうか。地形の問題?、設計上の問題?汚物処理?何が問題で、何が難しいのか解らない、すばらしい景観を楽しめるように建て直して下関の名所にしてほしい。もったいない。

 「私の人脈」

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 「私の人脈」
 東洋経済日報へ投稿コラム(2017.7.14)
 今ネット上に私の人脈」という題で写真を公開している。ネット上に公開し共有したい。多くの方々が登場するので華麗な人脈のようになっている。整理もせず、ランダムに大雑把に古い順に少しづつ、懐かしい写真、人の顔写真も公開している。公開するのにはわけがある。それは捨てる癖のある私の保存の仕方の一つともいえる。取捨選択する。ある写真にある友人から学会史的資料だと言われた。公開は友情など好意をもってしているので了承してほしい。関連ある人は自由に使ってもよい。不都合な人は連絡いただいたら消去する。しかし今のところそれは全くない。むしろ多くの方から良い反響ばかりで、嬉しい。大切な友人、知人が多い。中にはご自分が写っていないという意見もある。これからも 続けて投稿していくので待っていてほしい。また私と一緒に写っている写真を送ってくださるよう願う。
 アルバム写真は他人には大した資料とは思われなくとも私には知人、交際、友情などの生の歴史として重要である。一般的にアルバムは日記と違って選別されたもの、華麗なものが多い。人は華麗な洒落た写真を残したい。特に記念写真には微笑みやVサインをする人が多い。私の子供時代の写真はない。貧困な農村生まれだからであり、また保存していないからでもある。否、暗黒な時代のものは残していないからかも知れない。
 残っている写真もかなり変色し、ホームページなどに保存しようとしたがそれも更新するたびに替えなければならないなど面倒なことである。分厚い写真アルバム冊を捨てて、使いこなし安い方法があった。初めて外デスケットで保存したが本体を落とし間違えて消失してしまった。過去を証明する自分史を無くしてしまったようで失望した。しかし、それで私の過去や歴史がなくなってしまったのだろうか。私の過去の写真が無くなっても証明することができなくとも私の歴史や過去が無いわけではない。少なくとも私の記憶や無意識の中に生きているはずである。近刊書では朝鮮戦争の記憶に基づいて書いた。記憶には特に記憶したくないものもある。だが、それは消そうとしても消すことができな い。その嫌な記憶もその人の人生にはダイナミックに影響しているはずである。したがって個人の嫌な記憶、国家の負の遺産も貴重なものである。
 まだ古い写真が若干残っていて嬉しい。「私の人脈」の写真は私が撮ったものではない。必ず私と一緒に撮られたものである。シャッターを執った人は私をどう撮ったのか。私に良く映りたいという心はあったのか、写真を見ながらどうだったのか。被写体になるのは生きていることを証明することになろう。今は被写体になれたくなくても撮られる時代になっている。
 ネットに公開していることに「終活」といってくれた読者がいる。しかし、今私にはそんな懸念はない。残したい写真を公開するだけである。

 

隣の愛犬

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 昨日海の日の休日、隣の愛犬モッコちゃんが手術し、入院した。我が家のミミと同年輩犬として高齢である。犬のママ同士は看護師、夫の看護とともに犬の世話が大変だと思う。昨夜雷が頻繁でミミは恐怖、吠えた。抱っこしてあげた。愛犬家に対して人がハンガーなのに犬を贅沢に扱う(?)ことを理解しない人が多い。それは趣味や暇つぶし、癒しなどを越えて人類愛につながっていることを知らなければならない。

死から頂く教訓

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 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が105歳で亡くなられた。延命治療を「やらない」と拒否後に退院し、自宅で呼吸不全で死亡したと報じられている。多くの人は長生きの秘訣に関心があるが、それより先生の死から頂く教訓がある。命に感謝、肯定的な生き方、死を自然に迎える態度などである。先生が院長の時、家内が聖路加国際病院に勤めたことがあり、2011年下関に講演に来られた際お会いした思い出がある。心からご冥福を祈る。家内は私に先生が肺結核の傷痕がありながら長生きできることを証明して下さったねと言った。私の病歴が先生に似ていることが慰めになるからであろう。*写真中央は日野原先生、左端中沢氏、右端は櫛田氏。

死を迎える心構え

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 川村博忠先生を囲んで昼食、二人の若い先生は仕事が忙しいと言った。それは悲鳴か、自慢か。退職の川村先生は「仕事が欲しい」と対答。この短い対話には職業観や人生観が凝縮されているようであった。市内の伝統ある小さい本屋が縮小改装したので寄ってから帰宅した。夜のプライムニュースでは日野原先生の終末を期に長寿は幸福ではあるが無理に寿命を延ばそうとすることは不幸になりかねないという話しだった。実はその趣旨の言葉は2010年に私がいった言葉でもある。東京大学で開かれたアジアがんフォーラムのシンポジウムで、死を迎える心構えについて触れたことである。永六輔、真鍋祐子氏らとパネラーとして私は「高齢者が多い中、死を迎える態度も成熟していくべきである」と主張した。しかしそれは議論できなかった。多くの高齢者に失礼になるかという憂いからだと思いながらも残念だと思っていた。*写真は手術による元気になった隣の愛犬モコチャン

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