韓国から本学を尋ねて来た高校生はネットや説明会の紹介で聞いたより実際来てみて良かったという印象を語った。留学生の在学生が韓国の高3生に語るのを横で聞いた。日本(大学)では注入式教育ではなく、好きなテーマと先生を選んで勉強するという。韓国の知識注入式教育、競争の試験地獄から脱出しようとする気持ちが私にも伝わってきた。なるほど日本の大学のゼミ式の教育の特徴を新しく認識した。前回講義で話題にしたキンヒョンイル君が言った「植民地教育でも質qualityが高かった?」と言っのを思い出した。読書会でも議論した。教育では植民地と被植民地という状況に左右されない。教育の基本が人間開発である以上、それは普遍性の強い「質高い」教育だといえる。
「質高い」教育
親切と笑顔
昨日下関は34℃最高気温である猛暑中、韓国から30数名の高校生と父兄が本学のオープンキャンパスに参加した。そこで明るく握手を求める方、韓国全州のゲーム科学専門高校の崔弘奎校長先生である。奥さんと一緒に教室まで訪ねて来られて放談した。崔校長は20回ほど日本に来られて観察した話をした。日本人の親切とか配慮、迷惑をかけないようにする文化について触れられた。木の椅子の上にクッションを用意している写真をみせながら日本人の配慮と親切さを語った。講義ではベトナムからの女子留学生のレーティさんが親切や笑顔がセールスマン的なものもあると言った。私は表情や言葉が配慮と装置、行動などと繋がらなければならないことなど、私が日本とアメリカで天候の都合で予定空港ではないところに着陸した時の親切さと配慮装置に驚き、感謝したことを語った。
夏は熟成期
猛暑の校舎に鳩が入らないようにと、密閉して40度以上にもなっているように感じられる校舎、土曜日に研究室と所長室を往来しながら資料を探し、執筆した。ソウルから来られた知人と昼食、スターバックスでは友人の穴見社長と彼のご家族と偶然の出会い、港では我が大学のオープンキャンパスに参加し、韓国へ帰国する団体を歓送し、夕食は前田よしみ氏の誕生日祝いの食事になった。高層マンションの我が家も熱い、冷房にスウィッチ、作動が不具合であった。夏は暑いのが普通、そして農作物が実るというのが慰めになる。私の古稀記念の時に上水流氏らが作り始めた本がやっと私の喜寿の年に出るという。7年間の収穫を以て考えると私の本はまだ準備中で、出てないものがある。今熟成中、秋には収穫になるだろうか。
オープンキャンパス
ファションでもキャジューアルでもないが気に入って愛用している下駄をはいて日曜日の研究所へ作業に行った。職場には相応しくなく、抵抗があったが、国際交流学科のオープンキャンパスに顔を出した。本当に久しぶりにしかも予定外のことであった。学科長の古川智教授か国際化について説明があった。その中にワンアジア財団の支援講義について触れられて、私には意外な新鮮さであった。すぐ後期には2年目の講義が始まるのでその準備もつめなければと思った。アジアからの留学生は増えるが日本人の学生は少ない。日本にとってとても難しいアジアとの関係に関心を持つ日本の学生が多く来てほしい。
フレンドシップ
血縁、地縁は人間関係の基礎である。韓ドラではピッチュル(핏줄血の紐)の話が多く、政治的腐敗も親族や姻族の話が多い。それに比して西洋先進型は学縁、友人関係が重要だと言われる。しかし今韓国の朴クネ氏、日本の安倍首相も「友人関係」が問題になっている。先進型の不正なのか。安倍氏は長い間の友人からは一度も利害関係で頼まれたことがないと、あくまでも純粋な「友」をカバーする。テレビを見ながら私にはそれが美談のように聞こえた。この世相にまだそのよう話が残っているのか。真と偽り、公平と不公平などの政治的な話とはまた別であろう。
「丑の日」
帰路に家内の買い物に同行。私はショッピング篭になかなか入れないが、家内はうなぎを入れた。昨飯は「丑の日」の祝いの食事であった。その数日前は天ぷらの日、猛暑と不似合いである。
自分ではなんでもよく食べると思ったが実はそうでもない。日本食に慣れながらも異様な感も多い。熱油で揚げてサクサクしたてんぷらをうどんスープに入れて、また海苔を入れて食べる、不思議な食べ方である。最高味のようにいって言って高価なマツタケやウナギ、フグなども本当に味を知っているのかと皮肉に思う。昨飯のうなぎは愛犬ミミの反応が強く、美味しく食べた。日本人は本当に美味さを知っているかと思い始めるようになった。 秦穴拳壱氏欄 本日、東亜大学東アジア文化研究所の崔 吉城先生を訪問。そこで貴重な16mmフィルムが204巻あり、映写機を探していることを伺う。広島の原爆投下被害に関するフィルムもあり、内容を早く観たい衝動を覚える。で、再度のお願いです。16mm映写機を探しています。貸出可能な個人、団体などご存知の方は、お教え下さい。
夢は望hope
韓ドラでは悪い夢が多い(꿈자리 사납다)。韓国には解夢の占い、シャーマンの儀礼も多い。私も悪い夢を見るのが多い。それは悪くないと解釈する。現実が良く感ずるからである。一般的に「夢を持ちなさい」と肯定的に言うが、それは近代以降の西洋の影響かも知れない。英語では「夢を実現する」(Dreams come true)といい、夢は望hopeであり、始まりである。終わりではない。私にも望がある。
昨日9月30日から始まる第6回「楽しい韓国文化論」講座の日程を確定した。芥川賞作家ユミリ氏の「文学と人生」、下関歴史博物館の町田館長の「通信使」、フリーライター真弓氏の「通信使行列ワーク」、土井が浜人類学ミュージアムの吉留副館長の「稲作と神竿」、そして私の「韓国日本村」である。
転機
二人の中年の研究者に人生の転機になるだろうと思い、中国での日本語教師を勧めても返答がない。なぜか。私は無謀な(?)留学、転職などで転機を作って、日本にまで来た。私の体験を生かして勧めても反応がない。日本人の学生も留学を好まない。国際化になっていないのかも知れない。中国や韓国では海外への移住者が多い。日本に住もうと希望する人も多い。それはただの国際化の性向だけではなく、自国の住環境がそれほど望ましくないという意味もある。極端な例が脱北者が多い北朝鮮であろう。その自由に往来が禁じられた国に行って見たくて、私は3度訪問した。私と同行した坂内宗男氏が最近訪問した山田寛人氏に通話、私との人脈が繋がっていると報じてくれた。参照「北朝鮮訪問記」(『韓国朝鮮の文化と社会』風響社、2002)。http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003545307-00
「厳重に抗議する」
政治家がよく使われる「しっかり」、安倍総理がよく使われる言葉が「厳重に抗議する」である。また言っている。深夜北朝鮮がミサイルを発射した。武器、玩具、祝砲、花火・・・のようなもの。また騒ぎ報道、それは最近の慣れ事である。なぜ迎撃しないか、政府の対応に不満の声も多い。「しっかり」「厳重」は虚言であろうか。昨日同僚たちと遅くまでワンアジア講義と楽しい韓国文化論の準備をして帰宅して数時間後の深夜、北朝鮮の発射があった。植民地と戦争の負の遺産を以て平和を考える講義計画に冷水を掛けられた感がする。でも「しっかり」考えるしかない。
死線dead line
今年2番目の論文を一応脱稿、これから家内の校正を待っている。コメントも聞いてから最終稿にします。締め切りは守るつもりである。私は軍隊で死線dead lineの厳格、重要性について学んだ。目標を立てて仕事をするにはもう一つの活動線life lineであろう。二つの線は執筆から出版までであるが、私には販売までも気になるものがある。私が「企画・監修」で韓国で出版された『絵葉書で見る近代朝鮮』(全7巻セット)のことである。オークラ情報サービスが日本総代理店として販売することとなった。日本での販売価格は76,000円+税 (送料込)で高価である。一方読書会ではこの絵葉書の本の解釈本を準備している。一枚つつ大型画像としてメンバーたちが自由に語る作業をしている。死線をいつどこにおくかはまだである。
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亀山八幡宮花火
韓国の3人の留学生と一緒に猛暑の中、礼拝参加。李恵蘭牧師による韓国語の説教であった。「働きたくない者は、食べてはならない」という聖句を以て説教、好評だった。私は黙っていた。聖書によるだけではよいが、働けない障碍者などへの配慮が欲しかった。働けない障害者と老弱者は必要ではないと集団殺人事件が起きたばかりであり、危険な説教とも思った。私は説教には直接コメントはしない。教会には担任の牧師がいなくなり1年が過ぎた。総合的にみると以前より信者たちの意識が高まり良くなっていると感じている。夜にはキリスト教とは異なる神社信仰の亀山八幡宮の花火を発砲点近くで鑑賞した。日本の夏、猛暑に熱くなるが、さらに北朝鮮の花火(?)が加わり、東アジアが熱くなっている。
今日から8月
戦争のイメージがある8月のカレンダーが今日から始まる。今週末名古屋で開かれるワンアジア財団主催の国際コンベンションに参加する。発表の機会は得られず残念である。愛知県春日井市には以前4年間住んだことがある。今は疎遠になってただ懐かしい。去年カンボジア会議で会った多くの人の顔が浮かぶ。
夏休みで空っぽになる校舎は寂しい。しかし読書会はより活発に続く。過去の文献を読まず外歩き調査が多いが、私の研究グループは過去を読む。昨日、締め切りだった原稿は戦前京城大学教授秋葉隆氏の遺稿、ノート、メモなど(写真)を検討、分析したものである。脱稿したもう一本は1975年に宮古島で私が撮影した洗骨の写真と解説である。半世紀を超える研究、教壇の生活が続いて今に至っている。
「文学と人生」
前期講義の最終時間で学生たちの感想を聞いた。意外に授業に関するコメントが多かった。先生と学生の対等な関係、ベトナムでは先生は怖い存在である、対話式の授業方式が良かったなど。私のために発言はマイクを使わせたことが学習につながった、という意見もあった。日本文化論で扱った「恥」「親切」などにも意見が多かった。アルバイトの経験から親切さは形式か礼であり本質ではないという批判もあった。その比較にもなりそうな「楽しい韓国文化論」が後期に行われる。一般市民向けの公開講演、柳美里氏の「文学と人生」のチラシが出来上がった。写真は鈴木愛子氏、デザインは鵜澤和宏氏によって作成された。この講座はワンアジア財団の講座「アジア共同体」と並行されるので忙しくなる。いずれも市民に公開する。
『境域の人類学』
縁故主義、友たち内閣と言われている改造への期待が充満している。輪郭が報じられ今日正式に発表される。組閣人事に客観的ルールはあるのか。「人づくり革命」といってもそれはその人の生きている人脈を越えることではない。永田町にはベストの政治家ばかりだろうか、そのベストの中からベスト(one of bests)が登場するのか。ベストの羅列ではチームワークが上手くいかない。小さい集まりでも同様である。ベストなる人物の総網羅式の集まりでは効果的な協力関係は難しい。友情や尊敬による縁故がなければならない。国民は自分を考え、政治を考えるべきであろう。
私は多くの大学に学縁も多い。韓国や中国などの教え子たちの多くは就職に満足、研究を続けない。日本では教職に就かなくても研究を続ける人もいる。県立広島大学の准教授の上水流久彦氏・村上和弘・西村一之編の『境域の人類学』が届いた。私も小論を投じたがあまりにも出版に時間がかかり放棄、あるいは無関心に近い気分になっていた時、ようやく手にして読み始めた。100年史を持つ人類学は現実社会から離れたところで縁の遠い村での現地調査をしてきた。全般的に植民地を扱ったものがすくない。韓国研究も原始民間信仰や家族親族研究に限られているといえる。世相の表面的な研究ではなく、現実とつながる研究が必要である。本書は今現在を問う研究成果である。
「粕」のように
読書会のメンバーに田辺氏から「甘酒」がプレゼントされた。私は酒造過程で生ずるもの、韓国の술찌거미酒粕と思い酒という印象で口にしたことがない。ただ最近家内の勧めにより甘味を味わったことがある。田辺よし子氏からの電話ではお湯で薄めて飲む、日本の伝統的な甘味飲料であるという。
読書会では私が「日本人ほど日記をよく書く民族はない」という鴨下信一著『面白すぎる日記たち』を紹介し、出版予定の『慰安所日記』の註に加えようと思った。日記に面白いと言うには抵抗があった。人の日記を読むことはプライバシー侵害の1号と思っているからである。性について●○などの記号を使いながら書かれた日記を著者は面白く紹介している。死後のものとは言っても人権問題に触れる。人は特に日本人はなぜ日記を書くのか、日記を世の中に残すのか。着色の絵はがき画像を映した。白黒の原版、着色版、着色版からの白黒版をみせながら検討した。なぜ写真やアルバムを残すのか。残すのではなく、残るのである。粕のように。
「教育を通じた平和」
名古屋観光ホテルで600余人が参加するワンアジア財団のコンベンションに家内と一緒に参加した。去年カンボジアで会った方々にも会えて嬉しい再会の時であった。「教育を通じた平和」を日本語、英語、韓国語での発表があった。中国語での発表はなく、私はレシーバーを使用しなかった。発表者の一人のHook氏はシェフィールド大学から来られた方で、友人のグレーソンJames Grayson博士を思い、早速会って話した。懇親会で登場した人の中では衆議院議員の江島潔氏、久しぶりであり記念写真も撮った。写真右から江島議員、大村議員、自民党の中川氏、私、佐藤理事長、幸子である。あいさつを交わし、私は下関でこのような会議をと誘ったが下関出身の江島氏は下関にはこのような大きいホテルはないので残念と言った。再会したトルコ人はこれから山口大学に赴任するとのこと、今後協力しあうことを約束した。膨大なお金と努力により毎年行っている財団に感謝したい。テーマは平和。大きなテーマに教育を通して挑戦している。大きい過ぎではない、広すぎではない。
「九条の会」
「のぞみがない」
名古屋からの帰路は新幹線ヒカリとゴダマであった。高齢者割引ではのぞみは乗れない「望がない」からであった。ヒカリは便数も少なく、のぞみの通過待ちが多く、全6時間以上もかかった。しかし、ゴダマは車両内部構造を改良してスペースに余裕があり読書と作文ができて良かった。新下関駅には友人のタクシー運転手の青木氏が待っていた。彼は座ってする仕事なので運動をしなければならないと言いながら、野球をしてきたという。私も長く新幹線で座って来たばかりであり、私自身も座ってする仕事が多い。95才まで生きていらっしゃった私の恩師は一生座っている生活パターンであった。私は学者の基本姿勢として根気よく座ることであると学生たちによく言っている。私が車内読書が可能になったのは大手術以後のことである。昨日車内読書で夢中になった本はアメリカの韓国慰安婦出身の女性たちに関するものであった。新しく出版準備中の原稿の参考にしたい。JI-yeon Yuh, Beyond the Shadow of Camptown: Korean Military Brides in America ©2002,New York University。
売春婦
メディア「媒体」不信
朝起きてコンピューターを開きネット上の情報を読み、それからこれを書くのが変わらない私の日常である。トーフラが未来ショークFuture Shock(1970)にて予告したとおりネット中心の生活になった。トランプ大統領の直話ツイッターなどから情報を読みとる。新聞などの媒体の存在感が薄くなっている。情報源からメディアを通して伝わる体制、「媒体」とは情報を集めて伝えるが、それは「編集」や「偏執」によって捏造、隠ぺいなどが多く、情報源者からは不満があるのは事実である。トランプ大統領はCNNやNew York Timesなどと対立して直接投稿送信する。私も新聞の読者であるが、時には情報提供者にもなる。ある新聞は記者が取材を3回もしても編集者が載せない。直接ブログ、FB、ツイッターなどで報じている。