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Channel: 崔吉城との対話
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「軍は国民の保険」

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 一般的に軍隊は戦争の象徴的なものと思われる。トランプ大統領中枢に軍出身が多いということで危険だと指摘した人に軍事評論家香田洋二氏(写真)は軍は戦争を、その怖さを知っているから慎重にすると言った。よいコメント。私は陸軍士官教官をして教えられたことは「軍は国民の保険」のような存在であるという言葉である。以前も本欄で触れたように沖縄は米軍駐屯を火薬庫のような危険を主張するが、必ずしもそうではない。昨日北朝鮮がミサイル1発を発射して大騒ぎだった。軍の初歩知識では武器の情報を秘密にする。基本的には軍事秘密、奇襲が戦術である。武器を発射し自慢、誇示することは戦争の真意とは思えない。また先軍節など記念日に打ち上げるのは戦争行為とは言えない。祝砲、花火、示威に過ぎない。しかしその火遊びが火事になり、戦争になるので中止させるべきである。昨日発射直後韓国の教え子から電話があった。戦争の脅威に関する話であろうと思ったが意外に研究の話であった。日本とはかけ離れた反応であった。総理は北朝鮮とは対話ではない圧力というがまだ「対話」の余地はある。


「親日宣言ではない

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 私はいかに短文であっても家内にチェックしてもらうことに慣れている。論文などにも編集者のコメントに感謝している。本欄にはコメントのレベルを越えて非難、誹謗、中傷もあったが、それでも対応して今はほぼ肯定的なコメントになっている。非難より寂しいのは無反応である。ご意見を下さるように願う。筆者によっては一点、一句も変えられないという態度をとるが、私は編集者等のコメントに肯定的に対応している。今大学はまだ夏休み中であり、論文と著書に集中している。論文「植民地研究の断絶と継承」の初校にコメントが届いて、そこから補充の作業をしている。植民地朝鮮での日本人の研究に関する内容である。帝国大学の日本人教授が韓国人の助手や協力者によって大きい成果を出したことへのコメント、心痛めながら考えた。実は私の恩師がその一人だった。それは韓国で言われがちである植民者への協力者ということになる。その系統は私に流れる。しかしそれは親日宣言ではなく、教育の普遍性を探ったことに過ぎない。

「武運」

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 戦争の話の多い月、8月の末日にも戦争の話があった。戦争時に奉納された出征兵士の写真を整理した写真家の秦穴拳壱氏から読書会で説明をしていただいた。6月24日わが夫婦が狗留孫山修禅寺に登山して見せていただいた、本欄で紹介したことがある写真に関する話であった。彼は3回の展示会、出征記念碑を建てるなどの活躍をし、メディアでも報道されているものである。しかしその運動はそれほど広がらない。一般的に戦争の話は被害に焦点が絞られているからである。戦争賛美、戦争を肯定的に見がちなことはタブーとされている。死んで靖国に戻ると考えられた時代になぜ奉納祈願したのか。「武運」とはなにか、考えさせられた。「無事で生き帰って」という祈願は「武運」とは言えない。この戦争中の人間の平安の願いが込められていることに注意すべきであろう。秦穴氏の貴重な発題と参加者との質疑応答、懇談が良かった。*写真は秦穴氏FBから

喜寿祝い

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 日韓親善協会のリーダーの友人たちによる喜寿祝い、石本弘之、友松弘幸、伊藤巧の三氏とわが夫婦との晩餐があった。石本氏は富士山を描いたパステル画、伊藤氏から吉見名産の蒲鉾をいただいた。私が酒宴に不都合であることが残念だと思われる席であった。手術前の私の病状を見て生きる可能性がないと思ったが元気になり、バリバリ仕事ができることを祝う場と心温まるお話しをいただいた。今月末から始まる「楽しい韓国文化論」に関する話で、バスに慰安婦像を載せている国に行きたくない日本人、韓国から赴任して何年もなる韓国からの派遣公務員が柳美里、芥川賞などを知らないと知ってびっくりした話もでたが、大まかに知名度のある方との出会いも楽しめるという話に傾いていた。

ノンフィクション作家の林えいだい氏

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 私が広島大学在職の時、主要な研究テーマはサハリンであった。戦前強制動員されてサハリンに定着した「朝鮮人」への調査であった。それが炭鉱の研究につながり、北海島から長崎まで広がった。福岡筑豊ではノンフィクション作家の林えいだい氏宅を数回訪ねてインタービューをし、ロシア語の裁判文書などの資料を大量にいただいて、他者に翻訳を頼み、分析し、『樺太朝鮮人の悲劇:サハリン朝鮮人の現在』(第一書房、2007)を出版した。私が下関に住むようになり訪れた時、彼は視力が弱くなっておられ、太い万年筆で原稿を書いておられた。調査、仕事に熱心な様子を見て、感嘆したことがある。その彼が亡くなられた。ご冥福を祈る。彼とは重要な点について一致した話がある。戦時中など無法、無秩序の危機の時、人々は判断力が低下し、危険な行動をする。そんな時、人はなぜ人を殺すのか、なぜ性暴行するか。関東大震災の記念日と彼の死を持って改めて思う。

田園化

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 古い空き家が壊され空地や駐車場などになっていくのが視野に入る。密集街が田園化するのではないか。都市化から田園化のような現象が起きている。寂しく思ってもしょうがない。大きい変化であり心から受けいれざるを得ない。本が売れない。読まれない。漫画、絵、話、画像、映像の時代になっている。説教を聞いた。レジュメもなく、マイクの調子もよくなく、「柔和な人は幸いせある」という聖句をもってモーセ、モンテスキュー、内村鑑三の話を引用しながら「高慢は隠せるが謙遜は隠せない」(モンテスキュー)と語る。語る時代に留まっている。語り文化であった。文字以前の時代に留まっている。しかし私には考える時間であり、彼の説教は有益だった。大学の印刷物も来年からレポジトリー化する。芥川賞作家羽田圭介氏(写真はasahi.com)は受賞したからと言って有名度に乗って、その上にあぐらをかいていては自ら滅びるのではないかという。本が売れなくなるということに彼は元々文学愛好者は多くはなかったという視点に戻って考えるべきであるという。大衆文学から純粋文学への変化のチャンスかもしれない。

根の鑑賞

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 6月に出版記念会でいただいた蘭の鉢の花は終わっても、たくましく生きている。ラン栽培が専門ではないが、長い間、花を観察していると栽培方法も自得するようになる。ランの栽培、観察の部分は根である。水をやりすぎると根が腐蝕し、強い日差しに当たると日焼けする。常温、涼しく、かわかない程度の水分の維持状況にする。この環境は人間にも住良い環境かも知れない。ランの栽培の楽しみは根の鑑賞だともいえる。根を見ることはその先を見る、花の観賞、希望である。それは教育精神であろう。今週は市内の高校を訪問する予定。教育者たちに会って教育に関して意見交換したい。

「ホームレス」

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 私が日本語、それも東北弁の多い小説を読むということは平易なことではない。論文などとは違って日本語のボキャブラリーなど相当異なる読みになる。しかも純粋文学を読むということはただ分かる程度ではなく面白く、理解し、感動することだ思っているから難しい。柳美里の「JR上野駅公園口」を完全読破、感動を持している。その感動はおそらく読者それぞれ特異なものであろう。当分の間、この感動を自分のものとして保持したい。ホームレスは乞食のように私は思っていたが彼女が描いたホームレスは誰にも起こりうる人生を語っている。栄華と尊敬を持っている天皇と対照する意味を深く考えている。「いま舞っている葉も、雨に濡れ人に踏まれた葉も、まだ枝についている葉も…」(河出文庫159頁)。お話を聞きたい。9月30日午後2時東亜大学、13号館で柳美里氏に会う。


鈴木牧師の大学訪問

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 昨日日本基督教団の西教会の鈴木恭子牧師と日韓親善グループの鍬野保雄氏が研究所に訪ねて来られた。鈴木牧師は下関に長く住んでいるが東亜大学には初めて来られたという。担任の西教会は来年創立100周年とのこと、記念行事を考えているようである。100年でも信者は数人である。先週、会った三輪牧師は下関で定年したのにまだ東亜大学に来られたことがないという。東亜大学をはじめ大学は多くの公開講座なども行っているのに交流が全くなかったということである。しかし二人の牧師は朝鮮半島の南北関係に関心を持っていると言っておられた。鈴木牧師はそれについて毎日祈っているという。牧師達は常に宣教、伝道に努めているという。「宣教しなさい」と熱弁説教をした彼らは人的交流はしない。教会の存在を知らせるなどホームページやネットも利用していない。どうして宣教ができるか。

어제 일본기독교 교단 교회의 스즈끼교코 목사와 한일친선그룹의 구와노씨가 연구소를 방문해 왔다. 스즈끼목사는 시모노세끼에 오랫동안 살고 있는 분인데 동아대학에는 처음 방문한다고 하였다. 담임하고 있는 서교회는 내년에 창립100주년,기념 행사를 생각하고 있다고 한다. 100년 되어도 신자는 몇 사람이다. 기념회보다 반성회를 할 필요가 있겠다. 지난 주에 만난 미와목사도 시모노세키에서 은퇴한 목사인데 아직 동아대학에 온 적이 없다고 한다. 대학은 많은 공개 강좌 등을 하지만 전혀 관심이 없다는것이다. 목사들은 항상 선교,전도에 노력하라고「선교하라」라고 설교를 한다. 그러나 그들은 인적 교류하지 않는다. 교회의 존재를 알리는 홈페이지와 인터넷도 사용하지 않는다. 

不倫

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 大学はまだ夏休みであるが私は休みではない。私は休みと聞くと暇と怠けものになりがちだと思う傾向がある。昨日の読書会には冒頭に「楽しい韓国文化論」の講師の人類学ミュージアムの副館長吉留徹氏が参加し、自己紹介をした。彼は二十数年前私が熊本大学で集中講義をした時からの学縁のある方である。小児科医師である倉光誠氏は「絵はがきから見る子供」という題で発表した。私は子供の基準は何だろう。大人のミニチュア、無責任、未熟、人格的にはどうであろうか、質問し話題とした。逆に大人とは何か。不倫は若者、大人の象徴か。テレビでは山尾氏の不倫の話題で満杯。観る人は自らの危険な過去(?)に照らし合わせて楽しむのか。家庭を大事にするということなのか。日本は性モラルが厳しい国とは思わないがなぜ不倫騒動なのだろうか。

「負けること」

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 日本では大学以外の教育の現場を知らない。日本の中高の現場を見たい。昨日宇部の慶進中高学校を訪問した。櫛田学長と同行、応接室に案内された。花田崇校長と名刺交換、私は校長に一つだけ質問した。修学旅行、国際交流についてであった。英語圏との交流に集中している。高校は大学にとって一番のお客様になる可能性が高く、緊張する雰囲気であった。私の提案で記念写真を撮らせてもらった。学校の現場を知りたくて同行したが一人の生徒も見かけることなく、残念であった。授業参観を申請したら準備をするという。帰路に寄った「花の海」は花の季節が終わり、きれいに刈られていた。昼食は案内してくれた広報担当の古三庄浩司氏と櫛田学長の教育鼎談になった。古三庄氏は高校教師を長くした経歴の方で、柔道選手。櫛田氏は剣道。私はその話にはのれない。私はおそらく負けるのが嫌でスポーツができなかったのではないかといった。元教員の古三庄氏は「負けること」を教えるという。

「日本人が美しく見た韓国」東洋経済日報への寄稿、2017.9,8

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日本人が美しく見た韓国 崔吉城    それほど古い歴史ではない。支配、開拓、出稼ぎなどのために多くの日本人が植民地に夢をもって移住した。彼らのアルバムにはその夢の時代を物語る写真が多い。引揚の苦労話とは対照的に日本人の植民地での生活の痕跡として観光や旅行の時に撮った写真が多い。  植民地時代に日本帝国全体の台湾、満洲、樺太、南洋、東南アジア、日本などの絵葉書が三十数万枚ある。その中から朝鮮半島に限って『絵葉書から見る近代朝鮮』(全7巻)が韓国民俗苑から出版された。実は出版社が7年ほど前から企画し、浦川和也氏の解説、小生が監修したものである。日本文、韓国文と英語のキャプション付きで出版した。韓日のフォント調整、地名表記など細かい作業が大変だったが、日本では大手書店の紀伊國屋書店から販売されることになった。  大部分は写真ハガキであるが、「絵葉書」といったのはなぜであろうか。版画印刷から色分解式印刷への発展過程を意味するが、白黒の写真に着色した葉書を絵葉書と考えたら分かりやすい。カーラー写真のない時代に白黒写真に色付けした、いわば「着色写真」が多く混ざっている。朝鮮総督府の青銅ドームは青に塗られたり赤に塗られたりしている。着色写真はリアルな写真とはいえない。証明力が低下する反面、美格が上昇し、商品価値が高い写真である。白黒写真は美化され(?)絵ハガキに変身する。リアルとは言っても日本人が見た朝鮮のリアルと絵にされたものはどう異なるのか。さらに偏見やバイアスもあり宣伝PR、プロパガンダ的なものも多い。白黒写真はリアルなものを見、着色写真は美しさを見るというように、その見方も変えなければならない。  情報が少ない時代に先んじて画像媒体としての役割を果たしてきた絵ハガキを私たちは今どのように見るのだろうか。絵はがきは他の媒体とは違った特性がある。絵ハガキには単純な画報や写真以上の意味がある。今のように映像が優先されるメディア時代を先行した媒体が絵ハガキである。関東大震災を伝えるものも多い。葉書きの余白に個人的な通信が入る点が特徴であり、特に魅力的だといえる。当時の生活文化をリアルに見せているからである。  当時日本人たちは植民地朝鮮で何を見て何を感じたのだろうか。ヘアースタイル、屋根、道路などへの日本人の視線が分かる。私が絵葉書から受けた強い印象は日本人が朝鮮を美しく見たことであり、絵葉書によって観光名所が開発され、今まで継承されていることを知ることができる。観光政策の以前に見て撮られた絵葉書から現在の金剛山、閑麗水道など多くの観光名所が生まれたといえる。私はこれからも続けて絵葉書の共同研究を進め、新たに分析、議論して出版していきたい。それは単なる写真集ではなく、深く考察するものにしたい。

繊細さも美

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 私が教会で座っているだけで嬉しいと言ってくれた女性がいた。以前も数回聞いた言葉であるが嬉しい。名誉長老の具氏から私の最新編著の本に感想、在日の過去を思い出したという。時々出席する韓国の女性に声を掛けた。釜山から来られた方である。5000人の信徒がいる釜山の永楽教会の信者、関釜フェリーで30余年間、下関と釜山を往来しながら行商をしている。日韓交流に生きる張本人。私のインタビューが始まったような時間であった。
 下関市立美術館で展示中の「川原慶賀の植物図譜」展を見た。私は西洋植民者たちが植民地において現地の記録としての写実画に関心を持っており、足を運んだが虫眼鏡で鑑賞するほど細密な植物図には驚いた。またそれが日本人の絵師川原慶賀の作品であることにもびっくり。枝の表裏、筋、花、種などが絵描かれている。オランダ商館員らの依頼で描いた当時の長崎の庶民の正月や七夕など年中行事、婚礼、出産といった人々の暮らしを描いた作品約50点も展示している。薄暗い照明で美しく展示されている。リアル自体は美ではないという意見があるが、なぜか私は繊細さも美であると日本文化に感嘆してしまった。

 

地元の反響を得ることは難しい

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  高齢者たちが会うと病気の話から始まる。昨日の昼食は地元の知識人の山口新聞の佐々木正一氏と文化協会会長の野村忠司氏と一緒だった。病院、服薬の話、自分自身で注射をする話もあった。私は大手術は受けても今だに採血は苦手、それほど健康が回復した。お二人は地元出身で40余年前に一緒に撮った写真を見せてくれた。お二人の若い時代の人物像は私には全く分からなかった。地元の有識者の前で、私は冗談っぽく地元の文化を発掘して出版しているのに山口新聞からの反響はないことを話した。
 午後もう一人の地元の名人大越清美氏とホテルの喫茶店で茶話、92才の古川薫氏のお見舞い直後のニュースを聞いた。新聞に連載しながら長生きすること、羨ましく思った。私の高校の同級生のオーストラリア元シドニー大学教授で現在シドニー在住の韓国講座の校長を務めている友人からシドニーに講演に来ないかと誘いを受け、断れない、行きたい気持ちだけである。

名言

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 ブログなどには奇抜なアイディア、名言のようなことを書く人もいる。しかし名言は大きい業績や人格などを背景に成り立つものである。韓国の文大統領が独立記念日を1919年にするという名言(?)を言った。それには『月刊朝鮮』9月号に鋭い批判がある。私は決して学歴主義者ではないと思いながらも彼の発言やアイディアには「学識」が問題だと思ってしまう。彼は1919年から1945年間の歴史は植民地歴史ではなく、大韓民国の歴史だという。つまり日本統治を実際的に大韓民国の歴史として認めるということになる。それは左派を代弁しているのかもしれないが、妄言であろう。このような類が氾濫する社会、それが歌の歌詞にも出てくる「塵だらけのこの世相」であろう。


公開講座の案内

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 ワンアジア財団支援による公開講座「アジアの民族と国家」が9月25日から始まる。アジアが一つになろうとする願いを込めてワンアジアに向けて、有名な講師により講義が行われる。1年生向けの共通教養科目ではあるが市民にも公開する。講義は映像でも記録され、また報告書としても公開される。優秀な学生には財団から奨学金が授与される。真面目な市民の参加者(無料)には記念品が授与される。今東アジアは難しい問題に直面している。一緒に考える時間にしたい。

時:毎回月曜日12時50分から14時20分まで
場:東亜大学13号館102 連絡処dgpyc081@yahoo.co.jp 崔吉城

 

月/日

テーマ

実施内容(発表/コメント)

1 

9/25 

ワンアジアに向けて 

崔吉城(東亜大学教授)・櫛田宏冶(東亜大学学長)

2 

10/2 

日本語と国語

上田崇仁(愛知教育大学准教授)/山田寛人(山口大学非常勤講師)

3 

10/23 

植民地からみる地図 

礒永和貴(東亜大学准教授)

4 

10/30 

アジアの軍隊 

田中雅一(京都大学教授)

5 

11/6 

スペインの植民地

鵜澤和宏(東亜大学教授)/家根橋伸子(東亜大学准教授)

6 

11/13 

ベトナム・フランス植民地 

李鎮栄(名桜大学教授)/馬場晶子(東亜大学准教授)

7 

11/20 

台湾と南洋の植民地

植野弘子(東洋大学教授)/上水流久彦(県立広島大学准教授)  

8 

11/27 

「東アジアのカフェ文化:1930年代の消費社会」 

山路勝彦(関西学院大学名誉教授)/瀧田修一(東亜大学准教授)

9 

12/4 

満洲国の建国 

呂秀一(大連大学教授)*Skype林楽青(大連理工大学准教授)

10 

12/11 

国家と戦争

纐纈厚(山口大学名誉教授)/楊小平(東亜大学東アジア文化研究所非常勤研究員)

11 

12/18 

東南アジア経済

西沢信善(東亜大学教授)/古川智(東亜大学教授)

12 

12/25 

日朝関係北朝鮮

福原裕二(島根県立大学教授)

13 

1/15 

東アジアに探る日本建築の源流 

諏訪春雄(学習院大学名誉教授)/川野裕一郎(東亜大学教授)

14 

1/22 

中華思想清末改革

金俊(淅江工商大学教授)/原田環(県立広島大学名誉教授)  

15 

1/29 

民族と国家 

鄭俊坤(ワンアジア財団首席研究員)奨学金授与

「日本語の障害」

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 植民地朝鮮で20余年間も住んだ京城帝大の秋葉隆教授が残した文に「朝鮮語の障害」と記していた。今私自身はは「日本語の障害」があると思っている。その言葉の障害という背景には母語の存在がある。異文化をこなすのに自文化が障害になりうる。そろそろ柳美里氏の講演が間近になった。在日として在日、家族、民族、国家などをどう考えるか私は聞いてみたい。先日直接いただいた本について私の感想文をつけておく。

柳美里の「JR上野駅公園口」

崔吉城

 私が日本語、それも東北弁の多い小説を読むということは平易なことではない。論文などとは違って日本語のボキャブラリーなど相当異なる読みになる。しかも純粋文学を読むということはただ分かる程度ではなく面白く、理解し、感動することだ思っているから難しい。柳美里の「JR上野駅公園口」を完全読破、感動を持している。その感動はおそらく読者それぞれ特異なものであろう。当分の間、この感動を自分のものとして保持したい。
 文化人類学者の私の印象としては現地調査、丹念に取材したことによって作られた調査報告書エスノグラフィー、上野駅の歴史民俗学の論文としても読める。上野駅、上野公園、美術展。西郷小説と言えばストーリー、キャラクター、プロットなど地域の歴史や現状を描き込んでいる。単純なストーリーテラーではない。福島県の相馬出身の73歳のホームレスのカズさん。家族を養う為に東京へ出稼ぎ、21歳の息子が亡くなり、妻も65歳で病死、郷里の福島へ戻り心配してくれる孫娘が大きな津波に飲み込まれる。キャラクターが王様や英雄ではないホームレスである。この小説の主人公、ホームレスは栄華と尊敬を持っている天皇と対極点に存在する。「いま舞っている葉も、雨に濡れ人に踏まれた葉も、まだ枝についている葉も…」(河出文庫159頁)。家族、友人、職業、社会階層や階級などから裸の個人化への挑戦を読み取ることができる。天皇とホームレスの対比、幸と不幸などに直面している。
 この作品を読んで昔、青年時代に読んだカミュを思い起こす。私はホームレスに関して知識が乏しく乞食のように思っていた。しかし彼女が描いたホームレスは真面目に生きてきても、誰にも起こりうる人生を語っている。乞食は働かず、依存型の生き方である。乞食依存型は社会には多く存在している。社会福祉を含めて考えなければならない。

 

私の系譜

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 私の二人の恩師、任晳宰・李杜鉉両先生を思い出している。私は両先生から世相の「俗的なこと」は学ばず妥協せず生きることを影響されているようである。先生方のその人生観はどこから縁由したものであろうか。30年ほど前に私と伊藤亜人氏が任先生にインタビュー、名桜大学の李君が撮影して残っている映像がある。その時、同席した有名な評論家の李相日氏が任先生に「任先生の人生観と関連して尊敬する人あるいは影響されたと思われる人は誰ですか」と質問した。先生は「京城帝国大学の先生たちだ」と答えた。われわれは一瞬戸惑った。先生自身より聞き手のわれわれが過剰に「親日」を意識していたからであろう。今の私に似ている現象がある。私が反日や親日を意識する以上に周りの人たちが、特に教え子たちが過剰に「親日」を意識しているのではないかと想われる感がある。

 

台風前夜

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 二つの危機前夜である。まだ静かな朝を迎えている。一つは台風18号が北上中であり、恐れている。もう一つは北朝鮮への武力行使が近づいている危機に晒されている。台風とハリケーンは地球の一部分における脅威である。戦争の危機も一部にある。中近東のような戦争の長い地域と、平和な日本は対照的である。今その日本で危機感を感じている。一人独裁の北朝鮮による脅威である。「一人独裁」は強そうで弱いものである。朴正熙大統領の暗殺で韓国は民主化が一気に進んできた。「一党独裁」の中国や日本より北朝鮮が「先軍」から「先進」するかもしれない。

敬老の日

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 台風警報に恐れ、鉢を室内へ、暴雨の中教会へ、台風は下関は無事通過した。今日は「敬老の日」、昨日ニューフェースの牧師の説教を思い出す。復活信仰、永遠に生きる生き方の話であった。イエスは30余年生きて死後2000年以上崇拝されていることとして私は掘り下げている。ニュートンなどの科学者もそのような存在である。敬老とは単なる長生きの願望を意味するだけではない。死後のことを考える意味があるだろう。死後、「あの世」を含めて考える人生観、高齢者に希望を与える。*写真はシャーマン李芝女氏の巫扇子絵

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