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Channel: 崔吉城との対話
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吉留徹(人類学ミュージアム副館長)「神竿と稲作」

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「楽しい韓国文化論」のお知らせ


 吉留徹(人類学ミュージアム副館長)神竿と稲作「幟」-柱・樹木との関わり、幟幡を用いた祭り-下関市忌宮神社の数方庭行事について語る。

 下関市長府忌宮神社において、毎年8月7日~13日の間、社殿西側境内にある「鬼石」を抱え立て、女性はキリコ(切籠)を持って回る行事。→『映像資料』「長府數方庭祭幟舞の由來」、「仲哀天皇の代に朝鮮より渡来した塵輪が態襲を扇動し、豊浦の宮を襲撃し、助麻呂高麻呂兄弟を射殺した。天皇は尋常の夷ならずと弓を執り、塵輪を射討ちし熊襲を征伐した。世人は塵輪の屍を見て怪しき鬼というので、これを埋めて石を覆い「鬼塚」と称す。これにより毎年七月七日皇軍旗をかついで舞う。もし数方庭の神事ができない場合は天災地変がおこる。

Ⅰ精霊を招魂鎮魂するための念仏踊という説→近藤清石・小川五郎
Ⅱ韓半島の蘇塗系農耕行事の影響/風鎮祭が変容したという説→国分直一・伊藤彰「鳥竿」(崔吉城「韓国における鳥竿」)
Ⅲ八幡信仰・神功皇后伝承を背景とする安産・子育て信仰という説 →宮崎敬義 

 


鳥竿

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 昨日の「楽しい韓国文化論」は「楽しい日本文化論」のようになった。日韓が共有する話題、下関の長府の数方庭祭りの紹介であった。私が90年代に研究した(崔吉城「韓国における鳥竿」『巨木と鳥竿』)が引用された。私は朝鮮半島の鳥竿との関係について説明したが私自身、鳥竿などの研究をした時から年月が大部過ぎて、民俗学からは遠く離れているとも痛感した。今はより現実的な問題、戦争と植民地、歴史認識などに関心をもっている。この講座の楽しみのクライマックスは私の研究室であったかもしれない。持ち込みのお土産を出し合って食べながら笑話、近刊拙著についての話もした。雨中の夜、南風泊まで家内の友人を送り、帰り道は良く知らない道でスリルいっぱい。

「アジアの軍隊」

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 グローバリゼーションに漠然と期待と希望を持って国際化が進んでいたが、民族主義の復活により反難民運動や少数民族の独立運動さえ起っている。東アジアは核をめぐる軍事的な不安、緊張状況が存在している。今日行われるワンアジア財団支援講座では軍隊に関して、京都大学田中雅一教授により「アジアの軍隊」が講義される。学生以外に市民の方々にも公開されている。私たちは軍隊と在日米軍について何を知っているのか? 軍隊とは何か?軍隊とは法的に認められている暴力装置・戦闘集団であり、勝たなければならない。韓国には徴兵制度がある。成人式のようなものである。留学生の中には兵役の義務を終えた韓国の学生もいて反応を聞きたい。軍隊と性、慰安婦の問題もある。沖縄の米軍基地の問題もある。

  

 

米軍ベースは世界中

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 昨日の講義「アジアの軍隊」は大変楽しい時間であった。効果的なパーワーポイント、分かりやすい説明、しかも重要な問題が提示された。模範講義ともいえる。軍隊とは何か。兵役をすました二人の韓国の留学生が軍生活を通して規則正しくなり、何でもできるという自信、そして国家を守る愛国精神を語った。米軍ベースは世界中、それぞれアメリカと協約などによって駐屯国の法律とは関係なく、点々と世界中に存在するという現実が明らかになった。日本は米軍の基地問題として危険視していると否定的な態度が紹介された。韓国は米軍によって民主主義国家を守ることができたという感謝があり、駐屯にはあまり否定的ではない。米軍との経済的関係について学生から質問があったが時間不足で議論ができなかった。

メディアより口コミ

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 空き家を壊して駐車場や公園などにしていることが目の前で行われている。全国的に800万戸も超えている。私はそれについて都市から田舎への傾向として、本欄で「田園化」と書いたことがある。その現象は疲弊という否定的な見方もあるが自然環境へ復帰するなどの肯定的な面もある。それは外面だけではない。昨日長府の町の商店街を散歩した。観光地を持っていながらもシャットダウン現象は歴然としている。しかし家内が訪ねた靴屋は顧客も多く3人の従業員は忙しい。店主は客の足を診察して靴を選び試着させる。そこで面識のある人にも会った。口コミで来られた客だけであった。そこの風景は「田園化」ではない。都会でも口コミがないわけではないが、口コミと専門店に変わっていくことを痛感した。メディアより口コミ、CMより相談ができる商行為が行われていることは希望である。国政政治も希望から絶望へ、小都市の疲弊から「田園化」へ、メディアから口コミへと社会は変化している。*写真は長府靴屋のヤマツル

私が研究される

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 昨日家根橋先生の日本語授業に留学生と市民を交え討論するところにお邪魔した。日本語の基礎のない私には羨ましい。その基礎のない私に日本語の授業を受けた学生で教授になった人は多い。その一人が慶南大学校の張竜傑教授である。彼は東亞細亞日本學會、東北亞細亞文化學會、日本文藝硏究會の聯合主催で東亞大學校(2017 10 27~28日、富民國際館)で開かれた國際學術大會で「『なぜ米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』に表れた民衆の慰安婦に関する両義性の一考察」を発表した。それは拙著の分析である。私が朝鮮戦争中の体験を書いた部分に彼は注目した。国民が戦争に巻き込まれるのは当然である。彼は国民とは異なる民衆の存在に注目すべきであるという。つまり接戦中には村人は国家をあまり意識しない。ただ生存しようとする。敵ではない味方と思った国連軍、米軍が性暴行をするということに対備しなければならなかった。儒教的貞操倫理を捨てて売春村にならざるを得なかった。そこで彼は国民と民衆を区別して国家とは何かへと文脈が流れる。鋭い。彼から私は研究される。嬉しい。そして怖い。

 

朝鮮通信使の記録物がユネスコに

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 慰安婦問題で悪く、通信使で友好が今の日韓関係である。朝鮮通信使の記録物がユネスコに世界記録遺産となって日韓から歓迎の声が出ている。下關市の前田晋太郞市長の日韓友好が深くなって欲しいという言葉が韓国でも報道されている。明日は楽しい韓国文化講座で通信使調査研究の一人者である町田一仁氏(下関市立歴史博物館長)が東亜大学で講義をする。11日は釜山の東亜大学校の総長の講演会がある。私は12月初めに新著を出し、台湾で慰安婦に関して講演をする。友好のためには広場の騒ぎも良いが、静かに考えることも必要だろう。

   

日本社会に馴染むことができない

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 8人の女性を殺して死体の処理か解剖か、恐ろしいニュースが流れる。何が原因か、犯罪心理学者が話題を広げる。日本人がこんなに残酷かなと思う。否、1億も超える人口には病気としか思えない人間もいる。日本社会はどんな社会か。柳美里の『国家への道順』を読んでいる。世界で海外の韓国人が差別されるのは例外的に日本だけであると海外韓民族大会でその不思議論が話題になったことは記憶に新しい。柳氏は日本で生まれ育ち、母語を日本語とする在日二世三世であっても、日本社会に馴染むとは限らないとのべている。朝鮮民族、運動場で全裸にされた強烈な恥ずかしさ。記憶喪失、差別と孤独、読書、そして今、小説家になって、日本人と韓国人を語っている。それは日本という特定な地域、社会、国家を指すものであるのかと考えた。私の田舎からソウルに転学し、孤独、ふざけてオシッコを飲まされたこと、沈黙、読書、文学そして研究者に至る経路とそれほど異なっていない。


「楽しい韓国文化論」終了

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 第6回「楽しい韓国文化論」は長府博物館長町田一仁氏の講義で終わり、韓国旅行だけが残っている。昨日は「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコの「世界の記憶」に登録されたのでその記念講演のように突発的参加者も多く、盛り上がった(写真)。もとより決まった日程ではあったが、ユネスコ登録を機にしたようになった。下関の市民であれば「朝鮮通信使」に対しては一般教養として知識を持っているが、もう一度概要が整理された。私は以前から江戸登城行列図を韓国で出版するように出版社民俗苑洪鐘和社長と具智賢氏を案内し複写作業を終えており、それが登録文化財になっていると紹介された画像を見ながら嬉しく、またまだ出版されていないことを残念にも思った。私が注目したいのは文化交流である。具氏の本には通信使の筆談などが紹介されている。日本人が謙遜して言った言葉を聞いた朝鮮通信使側の人が謙遜とは解らず話した文例を紹介した。これから私がその分析に取り込みたくなった。私の研究室では館長を囲んで市役所の大江氏らと談話が長く続いた。彼は言う。韓国国史編纂委員会が所蔵しているものは植民地時代に韓国に持ち込んだもので文化財返還は相互交換であり、その返還を求めるべきであろうと言った。私は賛成した。韓国国立中央博物館とソウル大学博物館に所蔵されている鳥居龍蔵と秋葉隆のガラス乾パン写真も返還してもらうべきであろうと、私が以前本欄で指摘したことがある。

妄言、失言、ハラスメント

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 昨日はここ下関でもマラソンで交通規制があった。我がマンションは道路辺にあり、走る光景を見下ろせる。裏道を通って教会に出席し、日本人の牧師が説教をした。律法、正義、愛の話であると耳を傾いている中突然(私に)「内村鑑三をよく知らない」と言われた。瞬間耳を疑った。説教で人の面前で傷つけることばが出たからである。彼と前週対話中に私が内村を引用して信仰によって人が変わると言ったことへの反応であった。主に二人の会話で、言ったのに私に「知らない」と言い切っていいだろうか。もしかしたらその時、私が彼を傷つけてしまったことがあっただろうか。私は彼から傷つけられた。しかし他の人は全く気が付くはずがない。我々はこのように意識せずして人を傷つけやすいことがるあのではないか。礼拝後、ソウルから来られた金カンス氏と楽しいコーヒータイム。会話、作文などの言動があるが、生の話に危険性がある。多くの妄言、失言、ハラスメントが起きやすい。 

「スペイン植民地」

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 「1492」は小学校以来憶えているコロンブスの「新大陸発見の年」である。昨日ワンアジア支援講座の講義は鵜澤和宏教授の「スペイン植民地」であった。新大陸は無人地ではなかった。スペイン人は先住民に出会った。残酷極まりない征服があった 。数隻に亘る悲惨な歴史が続いた。

 彼らは、誰が一太刀で真二つに斬られるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。

南京虐殺の残虐の戦争物語のような歴史であった。しかし先住民と征服者の混合、独立の長い歴史があって、現在がある。征服と統合にはカソリックの宗教による歴史でもあった。残酷史はあっても信仰は生き残っている。インカ帝国が勢力を伸ばしていたがピサロはその帝国を征服した。そしてスペイン式の伝統に基づいて、リマ市を建設した。彼は暗殺された。スペイン人を頂点とする厳格で抑圧的な植民地支配の体制が確立されていった。多人種、国際化の社会に日本人が移住するようになった。本講義は長い植民地史と家根橋伸子教授の個人史的な調査に基づいて日本人の移住史が合わさって非情に面白くなった。議論すべき点が多かった。植民地残酷史の後でも継承されるのは国際化(移住、征服など)宗教の力である。私は植民地征服者のピサロの銅像が大統領宮の前に立っている写真を見ながら南アフリカの征服者イギリス人ローズ像を思い出した。ペルーの反日・排日は東アジアのものとは質が異なっていて、反日文化圏を広げて考察すべきであろうと感じた。私は今、南米へ残酷史の調査旅行に行きたいと考えている。

*写真:トルヒーヨのマヨール広場に Francisco Pizarro (スペインのペルー征服者) の像。

 

お知らせ:釜山・東亜大学校韓錫政総長の講演会

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 關釜 連絡船, あるいは文化的拡散の出発点(抜粋)

 戰前に京都で留学した父が初めて日本の土を踏んだこの下関にきて、また韓国東亜大学校の総長として同じ名前の日本東亜大学で講演をすることができ、 感無量です。’東亜’という言葉は戰前に日本の膨張主義者によりかえられましたが元々東アジア人たちの団結と協力をとなえた意味のある用語です。私は今日、釜山、下関間路線により近代東北アジアの文化的交流を歴史的に考えてみたいと思います。
 韓国現代史で最も重要な人物の一人である朴正熙元大統領は、1942年に日本陸軍士官学校本科に進学するために釜山で下関行きの船に乗った。日本行き移住者たちは、知識階層だけではなかった。多数の貧困層もむやみに日本に向かった。その結果、解放当時の日本内の朝鮮人人口が約2百萬に達した。日本の労働市場を保護するために渡航證のある朝鮮人だけが下関行きフェリーに乗ることができた。1930年代に渡航証を所持できず、日本に行こうとした朝鮮人たちの約60%が出身地域や釜山で阻止された。その結果、長い間渡航証の偽造が朝鮮南部に存続した。下関と釜山税関は朝鮮と日本、双方の脱走者や不法人事を取り締まる境界であった。日本で事故や問題をおこし、朝鮮に逃げようとした日本人もこの二つの港で簡単に捕まえられた。關釜フェリーは挫折した恋人たちが極端な選択をしていた手段でもあった。「死の讚美」という歌で有名な朝鮮最高の歌手、尹心悳(ユン・シンドック)と彼女の既婚男性の恋人キム・ウジンは、1926年関釜連絡船德壽丸(ドクジュマル)に乗って釜山にいく途中、玄海灘(ゲンカイナダ))に身を投げた。その情死は当時一大事件だった。・・・・・・

 

「東方礼儀の国」

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 韓国人には「韓国が東方礼儀の国だ」という自負心がある。日本も礼儀作法がうるさい国である。両国には礼儀を表す「敬語」がある。その礼儀の本質は相手を尊敬、自分を謙譲するものである。それに反して相手を気持ち悪くさせたり傷つけたりすることは極力控えるべきである。礼儀は個人はもちろん国家間の外交においても同様である。トランプ大統領訪問をめぐって外交、礼儀が問われている。韓国の米大統領との夕食会に、元慰安婦の女性が招待されたり、「独島(トクト)エビ」が出されたりしたのが日本のメディアで話題にしている。日韓関係の微妙なこと、日本を配慮せず、あるいは日本を意識してそのようにしたことは礼儀上不都合なことだとの指摘である。韓国は本当に礼儀の国であるのか、問われている。私は台湾で開かれる国際学会で慰安婦をテーマにして基調講演をし、慰安婦に関する本の出版を目前にしている。礼儀のレベルを超えた話である。

 

中央研究院民族學研究所「行動人類學」研究群主辦 

「文化存亡興衰的未來挑戰:族群和解/共生的可能」

研討會議程

時間:2017.12.8-10     

地點:中研院民族所第一會議室

 

12月8日(五)

時間

主持人

發表人/題目

8:30-9:00

報到

9:30-9:40

開幕致詞    胡台麗/中央研究院民族學研究所所長

黃智慧/中央研究院民族學研究所、會議主辦人

9:40-11:10

 

周玉慧

 

 

基調演講

崔吉城/日本東亞大學教授・廣島大學名譽教授

韓国におけるセックス・ナショナリズム

 

11:10-11:20

茶    敘

11:20-12:00

彭仁郁

劉夏如/玉山社編輯、『帝國的慰安婦』譯者

慰安婦問題與台灣日語世代:

日本「亞洲女性國民基金」在台活動的政治過程初探

12:00-13:00

午    餐

13:00-13:50

朱立熙

高誠晚/日本立命館大学衣笠総合研究機構

反共国家・韓国における「移行期正義」の収容と変容

―済州4・3事件の過去清算を事例に

13:50-14:40

天江喜久/長榮大學臺灣文化研究所

        殖民‧戰爭記憶之政治:台灣與韓國經驗比較

14:40-14:50

茶    敘

14:50-15:40

陳培豐

蔡亦竹/實踐大學應用日文系

 從台南飛虎將軍信仰看日本與台灣的和解與共生

15:40-16:30

黃智慧/中央研究院民族學研究所

在台灣的「殘留孤兒」:日式宿舍保存運動中的東亞和解意義

         

 

12月9日(六)

時間

主持人

發表人/題目

9:10-10:00

石丸

雅邦

八尾祥平/日本神奈川大學

沖縄における裏切られた移行期正義-

1987年日の丸焼き討ち事件を中心に

10:00-10:20

茶    敘

10:20-11:10

莊雅仲

林泉忠/中央研究院近代史研究所

「邊陲東亞」認同政治的新動態:

臺灣、香港、沖繩的新民族主義浪潮

11:10-12:00

Ian Rowen /新加坡南洋理工大學

Re-assembling the spatial dialectics of global resistance: The case of the Taiwan Sunflower and Hong Kong Umbrella Movements

12:00-13:00

午    餐

13:00-13:50

汪宏倫

陳奕麟/中央研究院民族學研究所

The “Legacy” of Heritage in the Dark Politics of the Nation-State

13:50-14:20

綜合討論:族群和解/共生的可能

14:20-15:00

民族所博物館導覽

15:00-18:00

參訪台北市舊「昭和町」「幸町」日式建築聚落群

18:00-

晚 宴

 

12月10日(日)參訪行程

時間

行程

9:00-10:00

中研院活動中心集合/出發至桃園

10:00-12:00

參訪桃園神社/慈湖蔣公陵寢

12:00-13:30

午餐

13:30-16:00

參訪新竹北埔濟化宮

16:00-

返回中研院活動中心

 

 

    主持人:

            周玉慧/中央研究院民族學研究所研究員兼副所長

            朱立熙/政治大學韓文系講師

            莊雅仲/交通大學客家學院人文學系教授

            石丸雅邦/慈濟科技大學全人教育中心助理教授

            汪宏倫/中央研究院社會學研究所副研究員

            陳培豐/中央研究院臺灣史研究所研究員

            彭仁郁/中央研究院民族學研究所副研究員

 

韓国の勝利、人類の勝利

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 新しい台風のようにあの男が東アジアにモテナシ旋風を起こした。アメリカのトランプ大統領である。私は韓国の国会での演説に感動した。それは私の生きた歴史を体験でもしたように生々しく(?)語ったからである。体験した私より彼の言葉に実感があるのはなぜであろうか。スピーチの上手さだけではない。彼のアメリカファーストに韓国が含まれているからであろう。彼は言う。
 朝鮮戦争の時連合軍の仁川上陸作戦、ソウルを奪還した話であった。血戦、時には後退しながらも北進し、1953年に停戦した。3万6000人余りの米国人が戦死し、15万人が負傷を負った。韓国は厳しい惨禍を乗り越え、地球上で最も富強な国の隊列へと上がった。今日、朝鮮半島で、我々は歴史の実験室で起きた悲劇的実験の結果を目撃している。一つの民族、二つの国家。自由と正義の韓国、他方は腐敗した指導者、圧制とファシズム、自国民たちを監獄に閉じ込めている。北朝鮮は、楽園ではない。地獄である。韓国の勝利、人類の勝利である。

 一つの民族、二つの国家。民主と独裁の対照、対比の実態は世界の特異な例である。名言である。統一を盲信する人に警告するメッセージである。ベトナム式の統一は危険であるからである。共産主義の大国より小さい国でも一点の民主主義の砦を守ることが望ましい。

エキストラ

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 トランプ大統領とハーグした慰安婦話、昨日下関では関釜裁判といわれる慰安婦訴訟に関する閔ドンキュウ監督の映画撮影があった。私と相談で知り合いのメンバーたちがエキストラなどで協力するので呼ばれて見に行った。日本語と韓国語が飛び交う撮影と出演のチームが混雑していた。私は郵便局の入口で通訳者の在日、韓国人と名刺交換していた。その場面を一カッと入れるということで簡単にエキストラになった。その直後グランドホテルでは釜山東亜大学校の総長一行を迎えた。今度はガイドになった。唐戸市場、朝鮮通信使の上陸記念碑、赤間神宮などを案内して歩き、ティータイムと言って我がマンションに入った。ヴェランダからの眺める関門海峡の壮観、一行にはサプライズであった。*写真は田辺氏


東亜大学校の韓錫政総長講演

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 人を迎える時は「花嫁を迎える気持ちで」というのが聖書にある。「地域に生きる、グロバールに生きる大学」という学長の挨拶に続いて、私は釜山の東亜大学校の総長一行を朝鮮通信使を迎える気持ちであると前置きして、韓錫政総長を紹介した。彼はソウル大学で国文学、アメリカシカゴ大学で社会学、満洲国に関する研究で博士号を取られた方である。博学、教養、歌、スポーツ(ボクシング)など多方面で活躍されておられる。「満洲」は日本の植民地の中で一番短い、「幻の歴史」といわれる。下関と釜山の往来、日本が大陸へ進出、当時、多くの朝鮮人も開拓移民し、彼らが戦後の韓国近代化に貢献した話、特に朴正熙大統領時代の話、読み上げ式ではあっても意味深く、感動的であった。新鮮な話であった。教職員と市民、学生が参加して楽しんだ。

イルボンエドル(日本児たち)

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 週末には下関で韓国人が歩き、韓国語の会話が聞こえるのは日常的になっている。彼らの会話では日本人をイルボンエドル(日本児たち)という。北朝鮮で国家機関員が日本人をイルボンノン(日本の奴)という公的用語で話したことを思い出した。最近会った韓国人たちから「親北(北への宥和政策)政権」を「パルゲンイ(赤)」という人もいた。李明博元大統領の陰談もしばしば聞いた。そう悪口を言いながら在日韓国人へのヘイトスピーチを非難する人もいた。混乱する。このような状況を無視することはできない。それが蝋燭集会などになり大統領を拘束するまでいたるからである。

 *写真は金斗鉉画伯が書いた下関グリーンモール

韓国華僑

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 2年前、大手術を受けた病院に朝早く、定期健診に行った。気になるのは採血、担当看護師が大手術された方が採血を気にするのかと笑ったことで慰められる。昨日の採血もやはり内出血し、長時間の心エコー、執刀医であった阪田先生からこの先10年は大丈夫だろうと言われ、死ぬまでは良いだろうと安心した。即後大学へ講座講義に出席した。担当は沖縄名桜大学の李鎮栄教授であった。三十数年前の学部学生であった教え子、彼は韓国華僑の国際的移動と韓国の行政差別についての論文発表のような講義だった。在日の差別云々とは比較にならない。私は彼が軍将校として軍の選挙不正に反抗して難しい状況になった時を思い出した。夕食会でその青春時代の精神が生かされたことをと確かめた。

最先端技術とレトロ

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 最先端の技術は想像もつかないほど発展している。その陰で私たちの生活も変わる。宇宙衛生の世界、電気自動車の宣伝、掃除機やホースの新品CMなどが次々替わり、科学技術のスピードを感ずる。それとは逆にレトロ・ブームも起きている。私のレトロ、昨日16ミリフィルムの映写機を購入した。200本のフィルムを見れるように権藤・飯山氏らが設定してくれた。これから古い映画を観ることができる。
 その後、朝鮮総連の金剛山歌劇団の公演を鑑賞した。民団とは比較にならない総連の文化活動である。集客力が強い。7-800人ほどではあるが例年より少し観客が少なく感じた。日朝関係が影響していると思う。今度の公演は映像の活用が多くなり、舞台アナウンス、ガイドが長くなり、内容はシンプル、スマートになった感がした。印象的なのは韓国の名所の紹介、李朝時代の名画金弘道と申潤福の絵をコミックに舞踊劇化したものである。楽器の高音演奏、劇、快速走踊りの2時間を満喫した。

「アジア主義」

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11月11日(土)の講演について地域に着実に生きる「長周新聞」(竹下一記者)に報道された。  韓国の東亜大学校の韓錫政・総長の「関釜連絡船、あるいは文化的拡散 の出発点丨と題す論演会が、11日、下関の東亜大学でおこなわれた。韓教授は、戦前朝鮮と曰 本を結ぶ唯一の手段であ った関釜連絡船が地政学的に果たした役割を語っ た。とくに、「日本の傀儡である満洲」と朝鮮人や、戦後の韓国の産業化との関連について明らかにするとともに、「東亜とぃぅ言葉は戰前に曰本の膨張主義者により変えられたが、本来は東ア ジア人の団結と協力をとなえた用語である」と指摘。今日、学術を媒介にアジア人同士が対立ではなく共存を追求する意義を強調した。  韓教授は、当時日本に留学した朝鮮人、近代文学や音楽界など著名な朝鮮文化人が関釜連絡船を利用したこと、さらに、知識層だけでなく、多くの貧困層も何の計画もなく労働者として日本に向 かった結果、「終戦当時の日本国内の朝鮮人は約 200万人に達した」ことにもふれた。そこでは、朝鮮人は日本での労働を希望すれば、釜山から下関に渡れたのではな く、渡航証のある者だけが乗船を許された。また、釜山が下関とともに、不法者や犯罪者の脱出を取り締まる関所でもあったことを明らかにした。  韓教授はさらに満州事変以後、満州との連絡手段となったことに話を進めた。日本の植民地で、「五族協和」を掲げた満州に「朝鮮、日本、中国人の知識人・労働を含む数百万人」が流入するなかで、満州は朝鮮人と日本人の政治、教育、芸術交流の場になった。満州映画は北 東アジア一帯に広がった。  韓教授はさらに、朴正熙(元韓国大統領)が、日本の陸軍士官学校を卒業したあと満洲国軍将校 となった経験をもとに、関東軍が進めたような軍事政権による迅速な「総合」開発によって、60年代の都市計画や蔚山エ業地帯を建設したことを明らかにした。朴政府には多くの満州出身者らが参加していた。  韓教授はまた、「アジア主義」について、岡倉天心や中国の革命家・孫文が神戸で「被圧迫アジ ア人の団結と西欧帝国主義への抵抗」をとなえたことなどをあげて展開した。「アジア主義」がそ の後、「日本がアジアのぼう盟主といぅ志向」に変えられたことで、「日本帝国主義に栄養を提供」することになり、「大東亜共栄圏」にいたった反面の教訓を踏まえたうえで、「アジア人の協力は いくら強調してもしすぎ ることはない」と語った。
 そして、いま「韓国、中国、日本は歴史、領土紛争に巻き込まれている。学問の世界は、政治の世界から独立して、客観的な視点を介して、対立ではなく共存を叫ぶベきだ」と訴えた。 大学のホームページには次のように投稿されている。

記念式典では、前田晋太郎下関市長よりご祝辞を賜りました。また、記念講演には、韓国にある東亜大学校の総長である韓錫政(ハン ソクジョン)先生をお招きし、「関釜連絡船、あるいは文化的拡散の出発点」という演題でご講演いただきました。

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