Quantcast
Channel: 崔吉城との対話
Viewing all 2349 articles
Browse latest View live

「何が不幸な歴史か分からない」

$
0
0

 何が不幸な歴史か分からない。昨日ワンアジア講座で中国・大連大学の呂秀一助教授による講義は面白かった。講義はSkypeで公開され、大連理工大学の林楽青先生と学生たちと質疑などが行われた。呂氏は満洲国における朝鮮族の国籍の曖昧さから満洲国や日本帝国への帰化問題を扱った。当時、朝鮮人は日本と満洲国の両側から時には怪しい存在と思われることがあった。日本の満洲国への態度に因んだことであろう。つまり満洲国が日本の植民地か独立国かという曖昧さにあったのではと思われた。そこで私が万宝山事件(入植中の朝鮮人と中国人農民衝突事件)を論点とし議論し、朝鮮人は時には侵入者とか厄介な存在であったことを指摘した。そこで林楽青先生と当大学材料学部材料日本語強化班2年生15人が受講、何宇、孫戩、孔奇の三人学生が発言した。日本の満洲支配について、否定的ではなかった。今は仲良く暮らすという、むしろ朝鮮人たちは中国語と朝鮮語、日本語ができる国際的な人になっていると言った。そこで私はマージナルな朝鮮人の国際性を指摘し、「何が不幸な歴史か分からない」とコメントした。ある市民はもったいない授業をもっと多くの市民が参加して聞いたらよかったのにと言った。


拙著への関心

$
0
0

 拙著への関心が高い。まだ書評は多くない。ネット上の投稿は多い。まだ読んでいなく、タイトルや本帯文、広告文をもって書いているのが大部分である。政治的な反響、「韓国人」ということでその参反は大きく分かれている。なぜそれが強く意識されているのか。少なくとも拙著を読んでからのコメントが欲しい。数人の知人が読んでコメントをすると聞いているので本欄などでも紹介したい。明後日台湾で拙著について基調講演をする。台湾在住の方とは会場でお会いできればと思っている。

「文化存亡興衰的未來挑戰:族群和解/共生的可能」

研討會議程

時間:2017.12.8-10     

地點:中研院民族所第一會議室

 

12月8日(五)

時間

主持人

發表人/題目

8:30-9:00

報到

9:30-9:40

開幕致詞    胡台麗/中央研究院民族學研究所所長

黃智慧/中央研究院民族學研究所、會議主辦人

9:40-11:10

 

周玉慧

 

 

基調演講

崔吉城/日本東亞大學教授・廣島大學名譽教授

韓国におけるセックス・ナショナリズム

 

エルサレム

$
0
0

 クリスマスを目前にして危険なニュースが入ってきた。クリスチャンだけではない。聖書を読む人はエルサレム(ジェルサレム)は親しい。私も一度巡礼してみたいところである。平和と人類愛の発祥地として、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教がその聖地として独占しようとして争っている宗教紛争の火種、同時に政治的な紛争の核心地である。ユダヤ人とパレスチナ人が雑居したこの地域をイギリスが植民化し、イスラエルを建国させた。以後中東の紛争地となっている。そこをトランプ大統領がイスラエルの首都に認定すると言った。中東の情勢悪化を招く恐れがある。平和と和解の地が紛争と戦争の地になりそうな現象である。
 

台湾国立・中央研究院の「中心」

$
0
0

 ここは台北市台湾国立・中央研究院の「中心」(ホテル)である。台湾には久しぶりである。雨の中の、空港まで中央研究院の車で黄智慧先生が迎えに来てくれた。日本では寒いが気温は10度ほど高いがお湯以外に暖房設備がなく温かさは感じない。ホテルには暖房がなく、布団を重ねてゆっくりと、休んだ。
 黄先生とは古い縁、彼女の恩師の劉枝万先生と初めてお会いしたのは1960年代、台湾での私の太いパイプである。先生はご健在、お会い出来るかもしれないとの話もある。民族研究所の黄先生の研究室で同僚や助手たちと会い挨拶と笑顔、夕食は漢民族起源の台湾式味の牛の筋肉スープの麺など美味しかった。
 今日のトップバッターの基調講演は通訳と討論を入れて1時間半だという。問題点とポイントに絞って話なさなければならない。なぜ韓国がそれほど慰安婦を問題とするのか、戦争と「従軍慰安婦」、慰安と売春とはどう異なるのか、研究と政治の関連性などに絞って話したい。

台湾は寒い

$
0
0

 台湾は寒い。以前韓国から下関へ来られた方は「日本は寒い」と言った言葉を思い出す。暖房施設が不備であるからである。台中から170余キロ走って来たファンの頼氏が会場で待っていた。基調講演は通訳者が来られず黄智慧先生がしてくれた。始まる時間が遅れられたが私は時間を守った。話をより簡単にわかりやすくしようと思いながら慎重に進んだ。日本語の講演で、通訳前にフィードバックがよかった。FBの友である天江氏が質問、この事例をもってすべての慰安婦の状況といえるのか、セックスナショナリズムとはの質問、また、ビルマでおじいさんが遊郭を経営したという貴重な証言があった。会議で発表者の中のシンガポール大学のIon氏に旧慰安所の建物の調査へ協力を得ることができた。私の後に朴裕河氏の本を台湾で翻訳した劉夏如氏の発表が長すぎるほど説明があったが私には通訳がなく画像だけで想像の時間であった。人権運動と言ってもドイツと韓国のものが異なるという内容のようである。後も通訳なしで進行されてその状況は続いた。夕食会では八尾氏、頼氏も参加し、通訳があって楽しかった。今日も寒い日、しかし楽しい時間であろうと期待する。朗報がある。伊東順子氏の拙著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』への読後感が届いた。公開してよろしいと承諾を得た。まずここで紹介する。

崔吉城先生へ

(略)届いた日に一気に読んでしまいました。「従軍慰安婦問題」を扱った本で、こんなに一気に読めたのは、大沼先生の本を除いては初めてです。私自身が変わったのかなと思って、随分前に中断していた『帝国の慰安婦』(朴裕河)を、もう一度読み始めましたのですが、やはり続きません。なぜ、先生の方は読めたのか、ちょっと考えてみました。崔先生の本の表紙には、「慰安婦の真実」とか「本当に強制連行、性奴隷はあったのか」などのテーマがありました。おそらく出版社にとっては、これらが現在の日本の読者にとって、最も関心のあるテーマだという判断があったのでしょう。

でも、私はそこには、あまり関心がありません。「真実」とか「本当に」いう言葉は信頼していないし、「強制連行」「性奴隷」は、対立する人々の認識のズレが激しすぎて、政治家や専門研究者ならともかく、私自身がそこで何だかの言葉の定義を得る必要を感じてはいません。

私が先生の本を読みふけってしまったのは、そこではなく別の部分に深く引き込まれたからです。

1、先生がハングル・日本語仮名まじり・漢字まじりの日記を読むのに、ご自身が最もふさわしいと思われたこと。

2、韓国語訳が出ているにもかかわらず、原本所有者を何度も訪ねて、原文を複写させてもらい、そこから読み込んだこと。

3,しかも、1人で読まずに、研究会を作って、お仲間の皆さんとを1年間かけて読んだということ。

4,日記に出てくる、東南アジア当地を実際に訪ね歩いたこと。さすが文化人類学者だと、これだけでも敬服しました。

5,政治的に誤読されるリスクを犯しても、ちゃんと出版しようとしたこと。

 先生が本の冒頭で「日記とは?」「日記を書く人間とは?」に非常にこだわった理由は、後半になるとわかりますね。日記に現れる筆者の、日本国への忠誠をどう解釈したらいいのか? 彼は慰安所の仕事に「誇り」をもっていたのではないか、という仮定。

「日記」からは「慰安所」も「慰安婦」も、「一億総火の玉」的なものの中にあったことがわかります。その意味では「挺身隊」という言葉が長らく「慰安婦」と混同されたのも、大きくは間違っていない印象をうけます。「国家、天皇に身を挺する」という意味では、文字通りの「挺身」隊であったわけです。朴裕河さんの『帝国の慰安婦』もこのあたりの問題が出ていますが、先生の本が私にとって新鮮だったのは、別の視点が提起されていたことです。

「36年間の植民地支配」「皇国臣民化教育」がどんな風に人間を変え、というよりも、人間のどの部分を変えたのか。

先生が書かれていましたね。「でもやはり、彼の日記の中の日本語は『私と同じミスを犯している』」と。やはりネイティブにはなれない。それは、「同じく36年間、日本で暮らした」先生と同様であること。これまで『慰安所日記』はその内容にばかり関心がもたれてきました。でも、先生はその「文字」(彼の肉筆)に関心を持たれた。

大日本帝国による「同化」は、植民地の人々に限られたテーマではありません。終戦のその瞬間には呆然としながらも、しばらくした瞬間に太極旗を手にした朝鮮半島の人々。敗戦に涙しながらも、その夜には電灯の明るさに喜んだ日本内地の人々。

先生の著書を読み終えた今、私はこの真面目な帳場人に好感をもっています。

それが彼自身の本当の姿なのか、実はお書きになった崔吉城という研究者の分身なのか、実はよくわかりません。

これからも少しずつ、先生の著書を読ませていただきます。

どうもありがとうございました。

 

2017年12月8日 伊東順子

 

追伸、今日は真珠湾の日ですね。今、気づきました。

 

伊東順子氏の読後感

$
0
0

伊東順子氏:フリージャーナリスト1961年愛知県豊橋市生まれ。愛知大学文学部中国文学科卒業。1990年に渡韓、延世大学梨花女子大学韓国語を学ぶ。ソウル日本語学校、テレビ番組の制作会社、朝日新聞社などでの勤務を経てフリーに。

著書

『病としての韓国ナショナリズム洋泉社.新書 2001

『ピビンバの国の女性たち』2004.8.講談社文庫

『もう日本を気にしなくなった韓国人洋泉社.新書y 2007

崔吉城先生へ

(略)本は、届いた日に一気に読んでしまいました。「従軍慰安婦問題」を扱った本で、こんなに一気に読めたのは、大沼先生の本を除いては初めてです。私自身が変わったのかなと思って、随分前に中断していた『帝国の慰安婦』(朴裕河)を、もう一度読み始めましたのですが、やはり続きません。なぜ、先生の方は読めたのか、ちょっと考えてみました。
 崔先生の本の表紙には、「慰安婦の真実」とか「本当に強制連行、性奴隷はあったのか」などのテーマがありました。おそらく出版社にとっては、これらが現在の日本の読者にとって、最も関心のあるテーマだという判断があったのでしょう。
 でも、私はそこには、あまり関心がありません。「真実」とか「本当に」いう言葉は信頼していないし、「強制連行」「性奴隷」は、対立する人々の認識のズレが激しすぎて、政治家や専門研究者ならともかく、私自身がそこで何だかの言葉の定義を得る必要を感じてはいません。

私が先生の本を読みふけってしまったのは、そこではなく別の部分に深く引き込まれたからです。

1、先生がハングル・日本語仮名まじり・漢字まじりの日記を読むのに、ご自身が最もふさわしいと思われたこと。

2、韓国語訳が出ているにもかかわらず、原本所有者を何度も訪ねて、原文を複写させてもらい、そこから読み込んだこと。

3,しかも、1人で読まずに、研究会を作って、お仲間の皆さんとを1年間かけて読んだということ。

4,日記に出てくる、東南アジア当地を実際に訪ね歩いたこと。さすが文化人類学者だと、これだけでも敬服しました。

5,政治的に誤読されるリスクを犯しても、ちゃんと出版しようとしたこと。

 先生が本の冒頭で「日記とは?」「日記を書く人間とは?」に非常にこだわった理由は、後半になるとわかりますね。日記に現れる筆者の、日本国への忠誠をどう解釈したらいいのか? 彼は慰安所の仕事に「誇り」をもっていたのではないか、という仮定。

「日記」からは「慰安所」も「慰安婦」も、「一億総火の玉」的なものの中にあったことがわかります。その意味では「挺身隊」という言葉が長らく「慰安婦」と混同されたのも、大きくは間違っていない印象をうけます。「国家、天皇に身を挺する」という意味では、文字通りの「挺身」隊であったわけです。朴裕河さんの『帝国の慰安婦』もこのあたりの問題が出ていますが、先生の本が私にとって新鮮だったのは、別の視点が提起されていたことです。

「36年間の植民地支配」「皇国臣民化教育」がどんな風に人間を変え、というよりも、人間のどの部分を変えたのか。

先生が書かれていましたね。「でもやはり、彼の日記の中の日本語は『私と同じミスを犯している』」と。やはりネイティブにはなれない。それは、「同じく36年間、日本で暮らした」先生と同様であること。これまで『慰安所日記』はその内容にばかり関心がもたれてきました。でも、先生はその「文字」(彼の肉筆)に関心を持たれた。

大日本帝国による「同化」は、植民地の人々に限られたテーマではありません。終戦のその瞬間には呆然としながらも、しばらくした瞬間に太極旗を手にした朝鮮半島の人々。敗戦に涙しながらも、その夜には電灯の明るさに喜んだ日本内地の人々。

先生の著書を読み終えた今、私はこの真面目な帳場人に好感をもっています。

それが彼自身の本当の姿なのか、実はお書きになった崔吉城という研究者の分身なのか、実はよくわかりません。

これからも少しずつ、先生の著書を読ませていただきます。

どうもありがとうございました。

 

2017年12月8日 伊東順子

 

追伸、今日は真珠湾の日ですね。今、気づきました。

台湾万歳

$
0
0

 韓国造語の「親日」ではすまない。「親しい」という国がある。台湾である。昨日の研究会でも中国、台湾、沖縄、朝鮮半島などがテーマだったが日韓関係の悪さが時々話題になった。最後の総合ディスカッションでは和解へのメッセージの発言があった。私は経験的に日韓関係は悪いのが常であったが一回だけ最良の時があった。それは「冬のソナタ」のテレビドラマ放映時であった。文化が政治を先導した。しかし李明博大統領によって悪化させられた。つまり政治によって悪化した。文化のダイナミックパーワーにもっと注目すべきであると最後の発言をした。正式な国際会議は終わったようで続いた。民族学博物館で黄智慧(コウチエ)先生の知恵ある説明と案内、石丸雅邦氏の同時通訳で観覧した。凌純声(Ling,Shun-Sheng)先生の洗骨の論文などを読んで勉強した若かった時の私がこの博物館創立者となった凌先生と写真で出会った。
 最後に20余人が乗用車に分乗して旧日本街の「昭和町」へ、帝国の支配者たちの住宅を保存するだけではなく食堂、展示室、茶室など多様に公開、利用している。今の日本人たちはここを訪ねて懐かしく、あるいは帝国臣民であったプライドを感じるのだろうか。私は半分悪く、半分危険な冗談を言った。八尾祥平氏が驚いた。とにかく私は台湾の日本文化の「親しさ」を強く印象付けられた。反日文化圏から解放された友情、大げさかも知れないが人類愛を感じた。大国ではなくてよろしい。蒋介石以来の独裁政権の後、李登輝時代を経て民主化した模範的な台湾に万歳したい感じである。

台湾は暑い

$
0
0

 台湾は暑い。一作日台湾は寒いと書いたが昨日は暑かった。そこで火の上で焼くようなものが目に入った。それに「熱狗」と書かれた宣伝文である。犬肉を焼いて売るのかと嫌な思いをしたが、それはホッドクだという。英語のHot Dogの訳語「熱狗」になったのである。中国語が無知であるのも楽しい。台湾は冬なのに紅葉もなく植物が茂ったままでで、まるで植物園のようだ。ブーゲンビリア、コスモス、ポインセチア、サンバチェンスなどの花が満開、稲刈りなどの風景も見かけた。一行は14人、ニューフェイスの一人は黄智慧先生のご主人の歴史学者であり彼女の同僚である。

 蒋介石文化記念公園に行った。11時丁度10分ほど「霊堂」の前に不動姿勢の二人の警備憲兵の交代儀式があって見た。それで集合時間が過ぎて早足にバス乗り場に急いで戻ったが早すぎ、それから記念銅像が羅列している公園を回りながら鑑賞した。なぜこのように蒋介石銅像が多いのか。独裁時代、小中学校などに建てられたものが時代が過ぎ、無用になったものを破壊をせずここに移動させたのだという。多くの国では破壊するが、ここでは独裁政権からスムースに民主化した国であることが分かる。中国本土からの観光客も多い。
 次のところは北浦の客家町であった。客家人は真面目な文化をもってせおり、勉強家が多く、、出世した人が多いという。日曜日であり、街は祭り風景、客家料理10皿ほどを皆で楽しく食べ、そこで天江氏が偶然入った店で日本統治時代に志願兵として東ティモールまで行かれた96歳の男性に出会った。彼は既にメディアなどに報道されて話題にもなっている。そこからそれほど遠くない第2次戦争の戦没者3万人弱の位牌が祀られている所に行った。靖国から移したという。このように戦争を記念する。台湾では日本家屋が保存されているが日本本島ではなくしているという現象、植民地遺産が肯定的に残っている現場、さらに戦士が記念されていること、私は位牌室の中で複雑な気持であった。帰りは渋滞、遅く帰り皆と別れ、遠くから来られた頼氏とは夕食後に別れた。皆さんに感謝である。
 

 


アルコールは一滴もなかった

$
0
0

 早朝現地時間5時半、配慮してくださった乗用車で空港へ向かった。運転手さんは無言で自分のスマートフォンを差し出すので受け取ったら黄智慧先生からの確認とご挨拶、恐縮、そして嬉しく、感謝であった。空はうす暗く、地上には星のような点灯、桃園機場には人山人海、無事に福岡へ、寒い。4泊の中央研究院で台湾、否韓国を、そして東アジア全体を深く考えた。それは平和な心を持っているところと不平不満の葛藤の地域と国家の相違の点であった。ある人は東アジアで一番大きい問題は中台の問題であると言った。それは大国と小国の比ではない。心の問題であろう。
 中央研究院という国立研究機関の存在は大きい。しかし、それだけではなく、人の研究組織、協力と熱心さに感動した。4泊の間飲食を共にしたがアルコールは一滴もなかった。飲めない私にとってはラッキーであった。また、研究者たちの真面目さを感じた。黄智慧先生ご夫婦、陳・宋先生ご夫婦と娘さん、日本からの天江先生、八尾先生、高誠晩先生、シンガポールからのIan先生、台中からの頼氏らとの現地調査は楽しく、大いに学んだ。多くの方に深く感謝したい。帰宅してミミの喜ぶ姿に平安とテーブルの上のソウルから送られてきたキムチ、上流水氏からのメロンなどを見て年末が間近いことを感じた。*写真は檳榔樹

「地元宣言」

$
0
0

 昨夜春帆楼での忘年会に参加した。これで私の下関への「地元宣言」となった気分である。直木賞作家古川薫氏が塾長であり地域歴史文化名勝一番地の春帆楼、郷土名士たちの集まり「海峡の裏町文化塾」の忘年会である。そこで来年「雀様が語る日本」をテーマで講師として語ることになっている。会の始まりは突然の指名により私が乾杯の音頭を取らせていただいた。前日台湾での国際学会で基調講演をして帰国したばかりであること、新著『慰安婦の真実』など下関で数々著作活動ができたことへの感謝、多くの地域の人に支えられて生きることの幸せを言い、「乾杯!」を先唱した。参加者44名、半分ほどは私が知っている方たち、また半分が私を知っている人たちであった。踊り、民謡、抽選が続いた。和気あいあい、楽しい時間であった。このように忘年して「過歳」(韓国語)年を重ねていく。それは「喜悲희비」の両面である。

 

出版話題

$
0
0

 年末なのに新年のスケジュールが決まっていく。年明け直ぐ最新著の説明と読後感を披露する集いを研究所主催で行うことになった。3月には萩の比較文明学会、関西・九州支部共催で小倉紀蔵氏と対談が決まっている。8月には海峡裏町文化塾で大越清美氏と対談が決まっている。
 昨夜Amazonの売れ筋ランキング:で拙著 『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が
1位 ─ 本 > 人文・思想 > 女性学 > 女性史
1位 ─ 本 > 歴史・地理 > 日本史 > 日中・太平洋戦争
1位 ─ 本 > 歴史・地理 > 日本史 > 一般 > 日本史一般
だったが若干上下を繰り返している。しかしここ地元のくまざわ書店では店頭に積んで並べられているが、まだ売れていないようである。ここ田舎の人の出版が話題になっており、東京からはメディアからの声かけがあり、スケージュルを調整している。しかし、地元では一切声がない。なぜだろう。危険微妙な日韓関係には触れたくないからだろうか、メディアの反応、無反応が面白い。*写真は下関のくまざわ書店の店頭に陳列されている拙著

慰安婦問題と直面

$
0
0

 突然明日の夜テレビ生出演することになった。みのもんた氏が司会、ケント・ギルバート、武藤正敏氏らと「反日」「嫌韓」がテーマ、慰安婦問題についても討論予定。私はできれば上京せず映像参加を希望したが直接会って話すようにと言われて行くことにした。生放送だからである。
 慰安婦問題について本を出したので主にそれについて話をすることだと思っている。しかし慰安婦について多くの論客たちは政治などに触れられているのでそのような論争にならないことを期待する。私はそのような側面から植民地の負を糧にするわけではないからである。私は朝鮮社会の性、結婚、日韓の比較、植民地への長い路程から慰安婦と直面したのである。
 植民地研究者として避けられない宿命的な問題でもある。しかし戦争では命を落とした犠牲者たちへの問題、死者儀礼などにも触れてきた。傷痍軍人、慰安婦などは死なず尊い命を持つことでその次の問題になっていることから人権問題を考えている。その話は具体的にできないと思うので別冊として書きたい。

対話のために

$
0
0

 韓国春海保健大学校の10余名の学生が大学を訪問してきた。金熙珍総長からのお土産をいただいた。韓国からの留学生の通訳による授業を参観した。新著『慰安婦の真実』が3刷重版になった。読者に感謝である。日韓関係の対立感情による関心からであろうと思う。しかし私は時代や政治的なレベルを越えて真実に迫っている点を理解してほしいと願っている。小倉紀蔵氏らの編『対話のために:「帝国の慰安婦」という問いをひらく』を読んでいる。天江喜久氏は「他山の石」で『帝国の慰安婦』の真実より著者がどの国、どの民族であるかが話題になっている点を指摘した。小倉氏の指摘のように読んでいない人同士の参反になっているという傾向は私自身一番嫌なことである。拙著は読み終えないと結論はわからない。それが面白さであろう。読者の感想を聞きたい。

テレビ朝日「討論、激論」?

$
0
0
昨夜のテレビ討論会はどうだったのだろうか。一緒に出演した方々を私は番組を通してよく知っているが彼らは私とは初対面であったのであろう。私はシンガポールの慰安所の写真を見せながら慰安婦帳場人の日記を紹介し、それが豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に妓生の論介が日本兵の首を絞めながら一緒に南江に身を投じたという伝説を紹介した。視聴者にはそれが伝わったか、心配である。慰安所日記に関心を見せたのはギルバート氏、CM後スタッフが作ってくれたパネルを利用して説明することができて良かった。みのもんた氏は読んでみますと言った。
 冒頭に「討論、激論」といわれたが問題を深めることができなかった。私は研究会の延長線のような気分で参加したが評論家たちとの討論には慣れていないことが分かった。番組予告には12月16日(土)午後8時から放送の「みのもんたのよるバズ!」「お楽しみに・・・」となっていたがもの足りなかった。昨日のFB朴仙容氏からの 「嫌韓派と親韓派の対立、その醜い論争…その餌食にならないように気を付けてください」という投稿文を思い出した。拙著に関してはやはり研究所主催などで説明と感想を語る機会を作った方が良いと思った。
 

ノーベル文学賞受賞作家イシクロ氏の対談

$
0
0

今朝の4時台BBCのハードトークでノーベル文学賞受賞作家イシクロ氏の対談を聞いた。私の英語の勉強にもなる。英語の話で英語字幕で視聴する。半分楽しみ、半分勉強である。今朝の内容は自著に関して語るものであった。ある夫婦が旅行を通して忘却と記憶をテーマであった。その対談を聞いている読者、参加者たちは笑い、フィードバックをする。このような読書文化が先進国であると感じた。羨ましい社会である。私も研究成果をもってこのように語りたい。昨日東京から下関へ、教会で昼食、韓国から来られた留学生の親たちと談話し、見送りした。その後、手をつなぐ福祉フェスタに参加した。


丁田隆氏の博士論文

$
0
0

 1960年代末私は若い文化財専門委員として政府のセマウル運動に精神的に葛藤した。済州道庁の伝統的な村祭堂を破壊したという報告を受けて大変困った。ソウルに戻って記者たちに文化財として保護の必要性を訴えて新聞に寄稿した。迷信打破が何か、何を保存すべきか、何を破壊すべきか、悩んだ。民俗総合調査報告にその実態を書いた。しかしその島の地元学者をはじめ反応がなかった。しかしそれに注目した博士論文が出た。現在韓国昌原大学校の丁田隆氏のハングルの博士論文を読んで新鮮な衝撃を受けた。正に彼は私の当時の悩みを理解し、博士論文のヒントとしている。昨日通話した。竹田旦先生のお弟子さんである日本民俗学者であるとのこと。楽しく話した。
 昨日のワンアジアの講義は東亜大学の西澤信善教授によって東南アジア、アセアンを中心に経済学から見たワンアジア共同体が話された。ロシア革命以降、社会主義の影響が強いことを指摘された。国家主導の計画経済の効果、市場経済の影響などが分かって良かった。市場経済をめぐる瀧田准教授のコメントを挟んで私が国家の独裁開発、人間の幸福問題まで引き出し討論する時終わりの鐘が鳴った。来週は北朝鮮問題になる。市民の参加を待っている。

「親しい、台湾」東洋経済日報へ紀行文2017.12.15

$
0
0

「親しい」という国、台湾

崔吉城 新拙著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が出版直後重版になり、アマゾンでベストセラーになっており嬉しい、一方不安と危惧のある中で慰安婦について基調講演をすることになった。その不安を解消するような数名からの読後感想文が届いた。その一つの伊東順子氏の感想文には、「一気に読めた」「36年間の植民地支配」「皇国臣民化教育」がどんな風に人間を変え、人間のどの部分を変えたのかに注目したと評価してくれた。
 台北空港には黄智慧先生が迎えに来てくださった。気温は10度ほどだが、温まりたくても暖房設備はなく、さ湯以外は温かいものはない。台湾は寒い。以前韓国から下関へ来られた方は「日本は寒い」と言った言葉を思い出す。暖房施設が不備であるからである。 台湾とは古い縁、1960年代に韓国で初めてお会いした、劉枝万先生はご健在とのこと、この度はお会いできなかったが、私の太いパイプがある。トップバッターの基調講演は通訳者が来られず黄智慧先生がしてくださった。私はなぜ韓国がそれほど慰安婦を問題とするのか、研究と政治の関連性などに絞って話した。長栄大学の天江喜久氏が一つの事例をもってすべての慰安婦の状況といえるのか、セックスナショナリズムとは何かという質問、宋和子氏はビルマで彼女のおじいさんが遊郭を経営したという貴重な証言をしてくださった。 このたびの学会のテーマは中国、台湾、沖縄、朝鮮半島などが主だったが日韓関係の悪さが時々話題になった。私は最後の総合ディスカッションで経験的に「冬のソナタ」のテレビドラマの影響で文化が政治を先導した例としてあげた。旧日本街の「昭和町」へ行った。当時の住宅を保存するだけではなく食堂、展示室、茶室など多様に公開、利用している。蒋介石文化記念文化公園にも行った。「霊堂」の前に不動姿勢の二人の警備憲兵の交代儀式があった。公園ではなぜこのように蒋介石銅像が多いのか。独裁時代、小中学校などに建てられたものが時代が過ぎ、無用になったものを破壊をせずここに移動させたという。
 北浦の客家町に行った。客家人は真面目な性格、勉強家が多く、出世した人が多いという。日本統治時代に志願兵として東ティモールまで行かれた96歳の男性に出会った。そこからそれほど遠くない第2次戦争の戦没者3万人弱の位牌が祀られている所に行った。靖国から位牌を移したという。台湾では植民地遺産が肯定的に残っている。日本家屋が保存されている。私は位牌室の中で複雑な気持であった。 4泊の台湾で平和な心を感じた。不平不満や葛藤の地域と国家の相違点を感じた。中台の問題も話題になった。それは大国と小国の比ではない。心の問題であろう。4泊の間、学界のメンバーたちと飲食を共にしたがアルコールは一滴もなかった。飲めない私にとってはラッキーであった。また、研究者たちの真面目さを感じた。韓国の造語の「親日」では済まされない。「親しい」国、台湾を感じた。

郵便事情

$
0
0

 北九州の広告画報誌社の下関支局長の藤中和岳氏が来られ拙著に関する記事が掲載されることとなった。彼は下関の出身の方であり、下関で出版記念会をすべく、それを先導してくれるとも言った。私は読者の感想会として考えたが少し広げるようになるかもしれない。拙著を発行直後韓国の大学(住所)へ送ったが1か月ほどたっても着いていないと言う。以前エッセー集を中国の4か所4人に送ったがいまだに着いていないことを思い出す。世界にはまだ郵便事情が良くないところも多い。それは信頼性、その制度化の問題であろう。日本の郵政民営化の政策で政権が変わったことがあり、留守の時の郵便配達に厳し過ぎの傾向も問題であることと対照的である。

「日朝関係北朝鮮」

$
0
0

 今年の最後の講義では「美」を以て話をした。「虹」(rainbow,무지개)はなぜ美しいのか。人の認識の創造、美意識は創られると。青年時に読んだロンフェーローの詩を思い出して引用しながら私の話は無限に拡がっていっていた。また化粧の話にもなった。ある女学生が「不美人が化粧をするものだ」と言った。化粧は不美人の専用か、欠損を補うものか、美容整形はファッションのためか。私の話はパーソナリティー、つまり個性の創造であるという結論に至った。2年生の留学生たちにこのような内容を日本語で講義ができるということが嬉しかった。新年も講義は続く。

 お知らせがある。2017.12.25の月曜日12時50分から今大きく話題になっている北朝鮮について島根県立大学の福原裕二教授によって「日朝関係北朝鮮」という講義がある。メディア中心の話題とどう違うのか、深められるか、考えてみたい。好き、嫌いの世間一般とアカデミズムとはどう違うのか、議論していきたい。日本はなぜ敵対対立しているのか。その実態に迫っていきたい。今年最後の講義である。関心のある方はぜひ参加して一緒に考えてほしい。

「話題の本」のコーナー

$
0
0

 昨日東京は寒くなかった。日帰りでのインタビューがあった。浜松町駅内の書店の店頭と八重洲ブックセンターの店頭にも最新著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が「話題の本」のコーナーに積まれていた。出版社の編集員たちに笑顔で迎えられ、編集長からイントロ、後には担当の編集員から読書付箋だらけの拙著を手にしてインタービューが始まった。「研究書がベストセラーになったことは異様なこと」と指摘された。私は元の原稿では研究文が多かったが軽くハンディに読まれるように編集したこと、放談のように語った。高田氏は前著の『韓国の慰安婦はなぜ生まれたのか』と合わせて、私の朝鮮戦争の体験と現地調査のところを評価してくれた。
 『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』のテキストになっている日記の筆者である朴氏の人物像にも迫った。彼は真面目な日本帝国の「忠良なる臣民」、その日記を以て反日カードに利用することは矛盾である。この日記の信頼性は高い。この点について慰安(売春)婦の文玉珠の口述記録とはかなり異なる。それは日記と口述の差とも言える。真実に迫るにこの日記の価値は高い。口述談を注意して解釈しなければならない。今の時点で戦前を批判する時代錯誤的な世間話には気をつけなければならない。

Viewing all 2349 articles
Browse latest View live