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Channel: 崔吉城との対話
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産経新聞に紹介された

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 ハート出版の西山世司彦氏の寄稿文「編集長が薦める一冊の本」が産経新聞に掲載された。


Merry Christmas

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メリークリスマス
今日はクリスマスイブですが、日本の多くの教会は、今日の礼拝を、クリスマスを祝う礼拝とします。従って今日はイブとクリスマスのお祝いの日です。もちろん明日礼拝をする教会もあります。世界的には明日がクリスマスです。ただし正教会では1月6日です。

日本では多くの自然災害に合いながらも、今は平和な朝です。今この時間のにもフィリピンの水害、米国カリフォルニアの山の火災など大災害が起きています。平和と安全を祈ります。

私の一生は、苦難と冒険の連続でした。子供の時代は原始時代でした。今食べる食品は、昔の王様よりもよく、贅沢です。まさに私の一生は、原始時代から超現代を生きています。感謝です。

クリスマスにあたって私からメッセージがあります。それは肯定的に生きることです。クリスマスは単にイエスの生誕を意味するわけではありません。愛を実践しながら生き、不正な時代を否定し、犠牲になった人がイエス・キリストです。肯定的な生き方は自然に不正を否定することもできます。につまり肯定的に生きるということはただ人の言うことに合わせて要領よく生きることだけではありません。

私の周辺には3人の否定的な人がいます。一人は常に反対する人です。まず彼は人の意見に必ず反対します。最終的に彼は仕事で多く失敗してます。もう一人は不平不満に定義を主張し、社会運動をします。彼の顔は常に不満でいっぱいです。もう一人はクリスチャンであると主張しながら否定的な言動をします。彼には感謝がありません。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。世俗的な祝祭の1つでもあります。しかしその意味は深いのです。肯定的に正義に生きていたイエス・キリストを考える意味は大きいです。幸せへの道を開いてくださいます。

メリークリスマス

메리 크리스마스
오늘은 크리스마스이브인데 일본의 많은교회들은 오늘 크리스마스 축하예배를 드립니다. 그러므로오늘은 이브와 크리스마스의 이중축하의 날입니다. 물론 내일 예배를 보는 교회도 드물게는있습니다. 세계적으로는 내일이 크리스마스이지요. 그러나 동방정교회에서는 1월6일이지요.

 일본에서는 많은 자연피해를 겼으면서도
지금은 평화로운 아침입니다. 지금 이시간에는 필리핀의 수해, 미국 캘리포니아의 산화재 등 큰 재난이 일고 있습니다.
평화와 안전을기도합니다.

나의 일생은 고난과 모험의 연속이었습니다. 어린시대는 원시시대이었습니다. 지금 먹는 음식은 옛날 임금님보다 좋고 사치스럽습니다. 그야말로 나의 일생은 원시시대에서 초현대를 살고있습니다. 감사합니다.

 크리스마스에 즈음하여
나의 멧시지가 있습니다. 긍정적으로 사는 것입니다. 이는 단순히 예스맨을 의미하는 것은 아닙니다. 사랑을 실천하면서 산 삶 자체가 시대를 부정하고 희생된 것이 예수입니다. 긍정적인 삶이 부정적일 수도 있습니다. 그러므로 긍정적으로 산다는 것이 반드시 요령 좋은 예스맨만이 아닙니다.

 나의 주변에는 세사람의 부정적인 사람이 있습니다. 한 사람은 늘 반대하는사람입니다. 무슨 의견을 내어도 그는 우선 반대합니다. 결국 그는 실패합니다. 또 한 사람은 불평과 불만으로 정의를 주장하면서 사회운동을 합니다. 그의 얼굴은 늘 불만입니다. 또 한 사람은 크리스쳔을 내세우면서 남의실패를 꼬집는 선수입니다.

 크리스마스는 예수 탄생을 축하하는 것입니다. 세속적인 축제의 하나입니다. 그러나 의미는 깊고 큽니다. 긍정적으로 정의롭게 산 예수를 생각하는 의미가 큽니다. 행복의 길을 열어 줍니다.

메리크리스마스   

 

Merry Christmas, Today is Christmas Eve, but many churches in Japan are celebrating Christmas. So today is Eve and Christmas dual festival day. Of course, most churches attend worship service tomorrow. Worldwidely tomorrow is Christmas without January 6 in Oriental Orthodox.

 In Japan,  peaceful morning now, but Philippine Flood, Flames catastrophe in the  California. I wish peace and security. My life was a continuation of suffering and adventure. The child age was primitive. The food we eat now is better and more luxurious than the old king. My life began very primitive.

Thank you. I can be happy by Christmas. It is living positively. It does not simply mean a word. Jesus Christ is the one who, while practicing love, sacrificed it.Positive life may be negative. Therefore, living a positive life is not necessarily a good example.
  There are three negative people around me. One person is always the opposite. Whatever you do, he will oppose you first. Eventually he fails at work. Another person makes social movements claiming justice with complaints and complaints. His face is always a complaint. Another person is always negative player who pinpoints other's mistakes.
  Christmas is to celebrate the birth of Jesus. It is one of secular festivals. But the meaning is deep and large. It is meaningful to think of Jesus who was positively justified. It opens the way of happiness.
Merry Christmas

 

海水の味は?

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 新著を出して1ッカ月になろうとしている。売れ行きが良いのはネットでわかる。そろそろ感想や反響が出ても良いのではないかと気になる。今のうちは数人の知人の誠意ある感想しかない。しかし私が住んでいる所では意外にその反響は微々たるものである。なぜであろうか。それは本題にある「慰安婦」「真実」という単語の所為であろう。それは火種であることを指す。日韓の喧嘩と論争、我々と敵の彼我の対立、味方と敵対の間にある核であろうという先入観や識見が横たわっているからであろう。慰安婦の真実を知りたがらない群集心理もあるだろう。しかし本書は日本帝国の臣民であった人の日記を真面目に読んだものにすぎない。その人、その日記に書かれているところの真実に過ぎないかという意見がある。そうかもしれない。しかし日本帝国の枠中の真実であろう。海水の味を知るために全海水を飲まないといけないのかと反論したくなる。

 


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 今日は月曜日。
 通常は青山繁晴さんの「虎ノ門ニュース」書き起こしの日ですが、今週、青山さんは海外出張中につき、残念ながら番組不参加でした。

 そこで、今日は趣向を変えて、最近私が読んだ本の感想を。
 3冊分、一気に行きます~(^_^;

※表紙の画像はいずれもクリックすると拡大表示されます。

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「小池劇場」の真実(有本香 著)

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 今年6月上旬に出版された「『小池劇場』が日本を滅ぼす」の文庫版。
 有本さんのトーク同様、切れ味鋭い文体で、あれよあれよという間に引き込まれます。

 実は、最初に単行本となって出版された時、買うつもりでいました。
 が、読みかけの本が手元にたくさんあったので(今もありますが)、「そのうち買って読もう」と思っているうちに、ずるずると時が過ぎてしまって…。

 単行本が出た後の、小池百合子さんをめぐる動きは、まさにジェットコースターのようでしたね。
 都議選圧勝、希望の党の結党、総選挙での惨敗…。

 小池さんへの興味をなくしかけていたところにスピード文庫化。
 今読まずしていつ読むのか!ということで、今度は迷わず購入しました。

 小池百合子さんは今は東京都知事に専念してるから、大阪府民の私にはあまり関わりのない人になったようにも見えます。
 が、今後、また国政に戻ってきたり、何らかの形で国政に関わってくることもあるでしょう。
 それに備えるためにも、この本は読んでおくべきだと思いました。
 実際、私の中で小池百合子という政治家(政治屋?)を総括する、大変貴重な機会となりました。

 「小池劇場」には3点の「ないない尽くし」があると、有本さんは言います。

 ・これといった演目(ビジョン・政策)がない。
 ・正規の手続きがない。
 ・ファクト(事実)に基づくロジック(論理)がない。

 私はよく知りませんでしたが、「豊洲への移転について市場内の合意が形成されるまでの年月は長く、壮絶なものだった」そうです。
 賛成派と反対派の気持ちが、石原慎太郎都知事(当時)の配慮もあってようやくひとつになったのに、小池さんは「自身の『感性』での決断一つで、この人たちを分断と不安のなかに落とし放置」していると。

 読み進めるうち、小池さんが鳩山由紀夫元首相とだぶって見えてきました。
 普天間基地の移設先を「最低でも県外」と突然言って、問題をややこしくしたのと似ているなと。

 もちろん悪いのは小池さんだけじゃありません。
 「小池劇場」に乗っかったメディアも共犯です。

 「メディアが広めた豊洲のウソを正す」の項で、有本さんは読者にこう呼び掛けています。

【マスメディアが広めた10項目のウソに基づくストーリーについて、公開されている資料を使って正解を挙げていく。読者の皆様には、これを一人でも多くの人に知らせ、豊洲や市場関係者が被った風評被害を減らすことにご協力いただきたい】

 とはいえ、「正解」の部分までここに引用してしまうと、本が売れなくなってしまう恐れもあるので、「ウソ」の部分だけ引用しておきます。

《小池劇場で広められた市場問題のストーリー》
 ①汚染があって市場には不適切な豊洲という土地に
 ②石原慎太郎が利権のために強引に移転を決め
 ③高い値段で土地を買い
 ④土壌汚染対策と建物の工事費に多額の費用をかけたにもかかわらず
 ⑤まだ、地下水のベンゼンの濃度は高く
 ⑥床の下には盛土がなく、「謎の空間」が広がっていた
 ⑦これら一切を石原さんと一緒に進めてきたのが「ドン」率いる都議会自民党である
 ⑧豊洲市場は今もまだ安全だとは言えない施設で
 ⑨そんなものに6000億円もの税金が使われた
 ⑩こうした間違いを小池さんが丁寧にチェックしている

 これら10項目の「ウソ」を、有本さんが1つ1つ正していってくれています。

 メディアが本来の役割を果たしていれば、東京都もここまで酷くはならなかっただろうに…。
 どうか有本さんのこの声を真摯に受け止めてほしいものです。

【報道に携わる者は、何よりも「事実」に誠実に向き合わなければならない。政治を監視するのは「メディア」ではなく、有権者だ。メディアはその有権者の監視に有用な「事実」を提供する媒体に過ぎない、という謙虚さを忘れてはいけない】

 これは、未だに尾を引いている「森友・加計」についても言えることですよね。

 「小池劇場」で広められたストーリーについて、特に、大ざっぱな情報しか入ってこない関西では、未だに信じている人が大半のように思えます。
 東京の皆さんはどうなのでしょうか。
 もしまだ信じている人が皆さんの近くにいるようなら、是非お勧めしていただきたい本です。
 
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朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』(崔吉城 著)

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 戦時中、日本軍の占領地であったビルマ、シンガポールで慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、朴氏が残した日記。
 広島大学名誉教授で東亜大学教授の崔吉城氏が、その日記の記述を紹介しつつ、丁寧に解説しています。

 戦後になってから、戦前戦中を振り返って書かれたノンフィクションや自叙伝はたくさんあります。
 が、それらの中には、ある目的を持って意図的に話を膨らませてあったり、そのつもりはなくても無意識に戦後の価値観が入ってしまっていたり、というものが少なくありません。

 朴氏の日記はそうではなく、まさにリアルタイムの記述です。
 戦後歴史観のバイアスがかかっていない、貴重な一次資料です。

 読後、私なりに概要をざっくりまとめようと思ったのですが、Amazon掲載の出版社のコメントに、これ以上ないぐらい見事にまとめられていたので、引用させていただきます(^^ゞ

【著者の崔教授が研究の対象にしているのは、戦時中、日本軍占領地(ビルマ、シンガポール)で慰安所の帳場人をしていた朝鮮人、朴氏が残した日記である。この日記は、『日本軍慰安所管理人の日記』というタイトルですでに韓国で出版され、日本軍による朝鮮人女性強制連行の決定的資料だとされている。

 崔教授は戦後のバイアスのかかっていない日記原本にあたり、朴氏の足跡を尋ねて現地調査も行っている。
 崔教授のスタンスは明確だ。日韓の政治的な立場から意識して離れ、あくまで学術的に、日記から客観的な情報を、可能な限り引き出そうというものである。
 引き出された情報は慰安婦に関するものにとどまらない。
 崔教授は「日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なもの」とも述べている。

 この日記を精読した崔教授によれば、
 「そうした慰安婦の連行などに関する記述は一切ない」
 「『強制連行』に繋がるような言葉すらない」ということであった。
 そして、この日記が強制連行の証拠だという主張に対して、親日の日記を反日に利用するのは矛盾している、と指摘している。

 本書では「朝鮮人たちは当時、中国や東南アジアなどの日本軍占領地や前線地域で、食堂や慰安所などの商売を営んでいた。当地において朝鮮人は、ビルマ、シンガポール、インドネシアの東ティモールやスマトラ、マレーシア、タイ、ボルネオなどに広くネットワークを持っており、慰安業以外にも食堂、料理屋、餅屋、製菓所、豆腐屋、製油工場、写真館などを経営していた」という点も指摘されている。
 日本軍占領地で慰安所を含む経済活動に、多くの朝鮮人が事業主として重要な役割を担っていたのである。

 そして、この日記を書いた朴氏は、遠く離れた異国の地から、東方宮城に向かって遥拝し、皇軍の武運長久、戦没将兵の冥福を祈る、典型的な大日本帝国臣民であった。
 崔教授は「日記全体の文脈からは、彼が日本の帝国主義に不満を持ち、母国の独立を願う気持ちを持っていたとは、とうてい思えない」と述べている。
 戦後の日本人が教えられてきた「日本に虐げられた朝鮮人」の姿は、この日記には見られない。

 本書は、極めて客観的な姿勢で貫かれており、「慰安婦問題」まで生み出した戦後歴史観のバイアスの大きさを、日本人に気づかせてくれるものと言えよう。】

 戦時中とはいえ、一般人が日常生活を綴った日記です。
 私のように歴史に詳しくない人間が読んでいると、さらっと見過ごしてしまう記述も多い。
 それが崔教授の解説のおかげで、ポイントがいくつも浮かび上がってきます。

 たとえば、慰安所の売買の記述。
 慰安所は、軍政下で管理されている中でも売却ができました。
 慰安所が「事業所」であったことの証拠だと、崔教授は指摘しています。

 また、慰安婦は、手続きによって廃業、休業できました。
 朴氏の日記には、実名(源氏名?)とともに、誰が何名廃業したとか、誰が妊娠何ヶ月であるので休業届を提出した、という記述があります。

 慰安所が軍の命令に従わなかったこともありました。
 ある師団から、慰安所を別の場所に移転せよとの命令があり、部隊長が来て「行こう」というのだが、「慰安婦一同は絶対反対で、行けないといった」と。

 慰安所が軍の所轄や施設であったなら、こんなことはできなかったはずで、だからこそ慰安所の建物は民間のものであり、売買もできたのだという、崔教授の解説です。
 それ以前に、もし慰安婦が韓国や反日勢力が主張するような『性奴隷』であれば、慰安所の移転に反対を表明すること自体、全くあり得ない話ですよね。

 崔教授はこの本で、朴氏の日記と、元慰安婦の証言を付き合わせる作業もしています。
 たとえば、文玉珠という有名な元慰安婦がいますが(ネットでは郵便貯金簿の画像で有名?)、朴氏と文玉珠は、1942年7月10日に釜山港を出発した同じ船に乗っていたことが分かったそうです。

 やや余談ですが、実はこの時代、朝鮮人が日記を書くのはポピュラーではなかったとのこと。
 併合時代の日本の教育の一環で、日記をつけることが教育されたのだそうです。
 韓国で近代風の日記を書くようになったのは、朝鮮で日本の教育が定着していったからであろうと、崔教授は述べています。

 で、こちらは完全に余談ですが、朴氏の日記について拙ブログで以前、全く別の形で紹介したことが。
13/8/10:【これはひどい】慰安所従業員日記を発見した安秉直ソウル大名誉教授の“手柄”を高麗大学韓国史研究所の朴漢竜研究教授が横取り!?
 お時間のある方はどうぞ(^^ゞ

 それにしても、ハート出版さんは良い本をよく出してますね。
 「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」が代表的でしょうか(僭越ながら書評)。

 崔吉城教授の別の本も、ハート出版さんから出ていることに今回気づきました。
 「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか―『中立派』文化人類学者による告発と弁明」
 機会があればこちらも読んでみたいと思います。

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北朝鮮は“普通の国”

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 2017年12月25日クリスマスに今年最後のワンアジア共同体の授業が行われた。講師との連絡不通、弁当を準備して打ち合わせの時間が過ぎ、講義時間が切迫しても現れず、慌ただしく不安になり、代講まで考えていたが直前に教室に来られて無事であった。これで2017年の授業は終わった。ほっとした。緊張緊迫の北朝鮮に彼は頻繫に往来しながら研究を続けてきた。私は最初に彼に北朝鮮研究を勧め博士論文を指導したことを思い出しながら彼の研究状況に耳を傾けた。
 日本では世襲的権力継承の独裁、拉致・核・ミサイル、戦争用語などで不思議、かつ異様な国と思われているが「北朝鮮は“普通の国”である」と前提して講義が始まった。目下北朝鮮の危機について国際関係について詳しい説明があり、テレビで知り尽くしたものであり、分かりやすかった。ただ北朝鮮の宿願である統一のために戦争になれば約7兆ドル(急変事態の3倍強)かかるという数字を出した。私は学者が見た実情に関心があったのでもの足りなかった。調査が難しいのか、話し難いのか、やはり禁断の国家なのであろうか。

 

再放送

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 拙著にベストセラーのマークがまだ付いてはいるが順位は上下、下がる傾向がある。それを応援するように今晩、先日生出演したものが編集されて再放送されるという。テレビ朝日の「みのもんたの夜バズ」の総合篇なので、極一部分であろう。それとは別に月刊雑誌への掲載も確定されていると聞いている。1月16日には拙著をこれから読んでみたい方、またすでに読んだ方の読書感想を聞く会を企画している。20人ほどの規模で行う予定なので参加希望の方は一報を願う。
 今日から年末年始の冬休みに入る。昨日研究室では反省と新年の計画が議論された。また、お世話になった印刷所からの訪問がありカレンダーをいただいた。業者でありながら親しい友人のようになった。なぜか私がけっこうたくさんの詐欺にあったことが話題になった。私は礼儀正しく話し上手な人に騙されないが、素朴な純粋型詐欺師に騙されたことが多い。純粋さで洗練味をアマルガムした人は怖い。ただの笑い話のような人生論であった。

桜井よしこ氏のコメント

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新しく見つけた拙著への桜井よしこ氏のコメントを紹介します。ありがとうございます。


2017.12.14 (木)
桜井よしこ「 「慰安所の帳場人の日記」は何を物語るか 」
『週刊新潮』 2017年12月14日号
日本ルネッサンス 第782回
東亜大学人間科学部教授の崔吉城氏の近著に、『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実 文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』(ハート出版)がある。

この「慰安所日記」とは、戦中、ビルマ(現ミャンマー)やシンガポールの慰安所で帳場人として働いていた朝鮮人男性の日記だ(以下『帳場人の日記』)。慰安所の実態を誰よりもよく知る立場にあった人物の記録であり、慰安婦の実態を知るこの上ない手掛かりとなる。それだけに、意気込んで手に取ってみた。
しかし、読んでもどかしい思いが残る。もっとはっきり知りたいと思うところに中々行きつかない。
崔氏は3年前、同じ出版社から『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』も上梓している。合わせて読めば、氏が『帳場人の日記』に深い関心を寄せ続けてきたこと、日記をできるだけ客観的に読み解こうとしていることも、明らかである。
氏は、「国家や戦争などを通じて性を考察すること」をテーマとしてきたという。背景には、10歳の頃に勃発した朝鮮戦争の体験があった。序章から引用する。 
「国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使のような軍だと思われていた。だからみんなが手を振って迎えたのに、村の女性に性暴行するとは、思いもよらないことであった」
氏の生まれ故郷の村では儒教的な倫理観が強かった。しかし、「戦争という不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦、つまり『米軍慰安婦』を認めざるを得なかった」、「国連軍に翻弄された小さな私の故郷の村は、売春村となった」、それによって「一般の女性たちが性暴行を免れることができた。いま問題となっている慰安婦問題にも、そうした側面があったのか」と、氏は問うている。重要な問いだ。
慰安婦問題は日本だけではなく、国連軍や各国の軍を含めた問題である。さらに加害、被害の両面において、韓国自身も関係するという認識が、崔氏の分析を公正なものにする力となっている。
韓国では「慰安婦は被害者から愛国者へと変換され、民族的英雄のように銅像が建てられ、拝まれているが、実はその現象は、新しいものではない」と氏は指摘し、 妓生(きーせん)の論介(のんげ)の例を引用する。
当時の事実
朝鮮の人々が日本人を「倭」と呼んでいた時代、妓生の論介は国を守るため、敵である日本の武将を抱いて川に身を投じたそうだ。韓国の人々は慶尚南道晋州に彼女を奉る『義妓祠』を建てて、彼女を英雄から神に祭り上げた。妓生や売春は儒教的道徳観によって否定されるが、政治的要素で状況は大きく変わり得るということだ。
『帳場人の日記』は4年前の2013年8月、ソウル大学名誉教授の安秉直(アンビョンジク)氏が解説する形をとって韓国で出版された。同書は韓国において、慰安所は「揺るぎない日本軍の経営」の下にあり、従って慰安婦も厳しく監視されていたという主張の論拠となる資料だとされた。反対に日本では、慰安所が公娼制度の下で営まれていたことを示す証拠と見做された。
前述のように崔氏は、どちらの側にも与(くみ)しないよう、慎重に本にまとめた。内容が物足りないのは、日記の日本語訳が部分的な引用にとどまり全体として示されていないからであろう。全てを日本語訳で出版できないわけを私は知る由もないが、慰安婦問題を正しく知る上で残念なことだと思う。
それでも崔氏の著作は、当時、慰安所がどのように位置づけられていたのか、どんな人々が関わっていたのかを、教えてくれる。過去の事象に現代の価値観や見方を当てはめるのではなく、帳場人だった朴氏の視線を通じて当時の事実を見せてくれる。朴氏は1942年7月に釜山からビルマのラングーンに向かう船上にいた。第4次慰安団の一員だったのだ。同じ船に、高額の貯金を残したことが日本でも知られている慰安婦の文玉珠氏も乗っていた。
ラングーン到着後、朴氏は暫くして慰安所で働き始める。11月にはアキャブという所に移動しているが、この地にあるシットウェーという港は、近年中国が巨額の資金を投じて整備し、中国海軍が拠点としている。年が変わった43年、氏は再びラングーンに戻り、その後幾つもの市や町を移動した。慰安所は1カ所に定着して営業することはあまりないのだと実感する。
各地を移動し、43年の9月末にはシンガポールに移り、朴氏は翌年の44年12月に故郷に戻った。
その間に朴氏は自分や同僚のために、また慰安婦の女性のためにも驚く程の送金をしている。たとえばビルマに戻って日も浅い43年1月16日、朴氏は慰安所経営者の山本龍宅氏から3万2000円を故郷の家族に送金するよう指示されたと書いている。実はこの山本氏は、朴氏の妻の兄弟である。朴氏の働いた慰安所は同胞が経営していたのだ。朴氏の日記には慰安所経営者として多くの日本名が登場するが、人間関係を辿っていくと、その多くが朝鮮人だと崔氏は指摘する。
「本人に戻るブーメラン」
朴氏が、妻の兄弟から送金を頼まれた3万2000円は現在の貨幣価値ではどのくらいなのか。崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。
「実に、1億円近い大金が、行き来していたわけである」と崔氏は驚いているが、朴氏が朝鮮の家族や自分の口座に送金した中に、1万円台、2万円台、3万円台の額が目につく。1億円近い額を2年の間に数回送金できた程、慰安所経営は利益が上がったということだ。
他の多くの慰安所でも同じような状況があったはずだ。女性たちも高額の収入を手にし、経営者は慰安所を営み、時にはそれ自体を売買していた。
わずかだが、慰安所での生活も紹介されている。朴氏は公休日には映画をよく見たようだ。「たいていは同業者と一緒」だが、「時には慰安婦たちや仲居などと一緒」だった。「鉄道部隊で映画があり、慰安婦たちが見てきた」という記述もある。
朴氏の日記を精読した崔氏が結論づけている。そこには慰安婦の強制連行に繋がるような言葉すらない、と。氏は、「性的被害をもって問題とすることは、どの国、どの民族でも可能だ」、従って「韓国が、セックスや貞操への倫理から相手を非難することは、韓国自身のことを語ることに繋が」る「いつか必ず本人に戻るブーメラン」だと強調する。韓国はそのような対日非難をただちに中止すべきだというのが氏の結論だ。私は同感だが、トランプ大統領との晩餐会に元慰安婦を招く政権の耳には、この直言は届かないのである。

2016.08.27 (土)
「 事実を認めず思考の自由なき韓国で始まった日本統治時代の研究 」
『週刊ダイヤモンド』 2016年8月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1146
国立静岡大学教授の楊海英氏から日本文化人類学会発行の専門誌、「文化人類学」(巻81-1、2016)を渡された。雑誌には韓国東亜大学教授、崔吉城氏のインタビューが掲載されていた。
 
崔氏は1940年生まれ、国立ソウル大学を卒業し、日本の筑波大学で文化人類学博士号を取得、中部大学、広島大学でも教鞭を執った。氏の研究は韓国のシャーマニズムから始まり、キリスト教、日韓の文化、慰安婦の研究と幅広い。日本留学の結果、氏は「親日派」とされ、長年にわたる差別に直面して今日に至る。
 
氏は反日の原因は植民地(併合)にあると考え、88年、日本統治時代の研究に乗り出す。当時はまだ「タブー」だった日本統治の研究を、反日感情のとても強い時代に開始し、90年には「植民地調査報告書」を世に問い、総督府による『朝鮮の風水』の韓国語訳も刊行した。
「それを契機に(日本統治の研究の)タブー視が一挙に全部なくなった。それでもう、自由になった」と氏は語る。
 
研究が自由になったとはいえ、内容は事実に即するというよりイデオロギー色の強い反日である。
「歴史学者たちが抗日運動とか独立運動の研究をして、日本側が行った暴力に関する研究は山ほど出ている」「日本を悪く言う生き方は韓国では今、一番楽だと言える」と語る崔氏は、自身はそのような「世間(の波)には乗らない」「いつか客観的に見る時代が来るでしょうという気持ち」「いつも自分の歩みが(時代より)先すぎて(これまで)苦労はした」とも述べている。
 
崔氏は慰安婦についても指摘する。
「朝鮮戦争では、韓国で米軍キャンプにも売春婦がつくけど、韓国軍にはつかない。貧乏な中国軍隊には売春婦がつかない。日本軍は金を持っている軍隊だった」
 
右の主張の根拠の1つとして、崔氏は英領ビルマ(現在のミャンマー)・シットウェーの慰安所の事例を示す。日本軍が集中していた同地域の慰安所では、「一晩で日本円で大金といわれるほどの収入があった」と。
 
右の件は当時日本軍慰安所の管理人だった朝鮮人が残した2年分の日記によっても明らかだという。氏は日記を入手し、裏付け調査を行って、「現在、出版に向けて準備中」だ。氏へのインタビューが2015年12月15日になされたことから、出版はそう遠いことではないだろう。
 
ちなみに慰安婦として働いて2万6145円を貯金した、それを払い戻してほしいと、戦後日本政府を訴えた文玉珠氏も同じ慰安所にいた。彼女は現在の額で1億3000万円相当ともいわれる貯金の他に、金融機関を介し実家に送金していたことが知られている。
 
崔氏は、中国共産党軍についても興味深いことを書いている。慰安婦は貧しい中国共産党軍には近づかなかったが、彼らは性的暴力を働かなかったというのだ。彼らは農民の食糧支援などで支えられるゲリラ戦を戦っており、女性への性暴力は現実論として到底許されなかったからだという。
 
人間の実際の行動を研究して史実に迫るのが文化人類学である。実際に起きたことを正確に把握することを最も大事にする崔氏らの研究が、慰安婦は日本軍による強制連行だった、性奴隷だったという主張を否定している。現在、韓国の人々の多くはそうしたことを認めようとしない。昨年12月の慰安婦に関する日韓合意に強く反対する韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の運動家も同様だ。崔氏はそのような韓国には、思考の自由がないのだと、喝破する。
 
時間の経過とともに多くの韓国人も事実を認識せざるを得ないときが必ず来る。そのためにも私は日本人に崔氏の『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』(ハート出版)を薦めたい。

桜井よしこ様へ

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 ネット上で桜井よしこ氏の拙著へのコメントを見つけた。書店に行って見たが『週刊新潮』2017年12月14日号はすでになかった。昨日本欄で桜井よしこ氏の日本ルネッサンス欄に「『慰安所の帳場人の日記』は何を物語るか」を紹介した。桜井氏は拙著の『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』と合わせて読んでくださっておられる。私は桜井氏を画像・映像、本を通して知ってはいるがまだ面識はない。彼女は有名な方であり、私のような研究者には全く関心がないだろうと思っていた。しかしそうではなかった。ショックだった。それはただ拙著に触れてくださったことだけではない。本を読んでいない人たちが慰安婦問題について参反に分かれて論争する例が多い中、彼女の学識、研究熱、さらに正確な読書力、評価に私は驚いた。韓国から来られたある婦人は私に言っていた。強制連行された女性は慰安婦として軍服を着て軍慰安所でセックスに務めたと。
 桜井氏は拙著が「慰安婦の実態を知るこの上ない」ものであり、「崔氏は、どちらの側にも与(くみ)しないよう、慎重に本にまとめた」という。私が「客観的に読み解こうとしている」と指摘した。「崔氏の分析を公正なものにする力、妓生や売春は政治的になりうる。「崔氏は過去の事象に現代の価値観や見方を当てはめるのではなく、帳場人だった朴氏の視線を通じて当時の事実を見せてくれる」と評価してくれた。*写真は産経新聞から

 

大統領として学識、教養人と言えるか

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 国家間の外交も個人的な人間関係の延長であると思ったことがある。また個人間より国家間ではより倫理的であろうとも期待したことがある。しかし、そうではない。アメリカをはじめ日本、韓国なども台湾との国交を断絶し、社会主義の中国と国交を結んだ。それは義理の裏切りだった。ナショナリズムの国家間では義理を無視することが常例のように考えざるを得ない。大局的に、長期的な視野、より多くの民衆のためには、それは裏切りを超えたものとも思える。慰安婦像、徴用工像など銅像は時期が過ぎると「無用ノ物」になる。フセイン、毛沢東、スターリンなどの偉人像(?)など、今はどうなっているのだろうか。文在寅氏は慰安婦問題の日韓合意を「欠陥があった」といい、否定した。国家間の信頼関係はどうなるのか、また国内政策の連続性はどうなるのか。直前の大統領への批判、日本との合意破棄、文氏には失望している。大統領として学識、教養人と言えるのだろうか。このままで本当に国家を守り、国民を幸せにできるのだろうか。


緊張関係の日韓関係

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 拙著が出て1か月になり多くの方から書評やコメントをいただき、感謝と恐縮している。伊東順子、山路勝弘、桜井よしこ、酒井董美、荻久保真司 、頼菲特、平井 愛山、アマゾンのブックレビュー者たちの諸氏には感謝し、参考にし、次の執筆に参考にしたい。中には侮辱的な品のない言葉で悪意が含まれているので消去したものもある。読了後のコメントに限り、返答や反応をすることとする。当分の間ブログのコメントは不許とするのでご了承いただきたい。一方コメントを期待している方々からの不反応は気になるところである。特に数人の言論人、メディア関係者、研究者からのコメントがないのは気になる。緊張関係の日韓関係に気を付けているのだろうと推測している。*写真:出版社を訪ねて

大晦日

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 いただいたお歳暮に感謝している。メディアでは1年を繰り返す総合篇が多く面白くない。時間という流れに変わりはない。ただ時間によって自然現象は変化する。人間はその時間に折り目をつけて年中行事などを行う。今日は年末、大晦日でありそのような折り目の日である。私の1年はどうだったか。一番感謝すべきことは本の出版である。一昨日読売新聞朝刊の3面下の全面広告にはハート出版が拙著の広告をしてくださった。出版に至るまでには多くの方々の協力を得たことを思い出す。明日は元日、「謹賀新年」になる。時間の流れを「祝賀」することになる。何々祝賀パーティーを否定することになるかもしれないが、老いた私には「年賀」が嫌になることもある。

新年おめでとうございます

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 昨年の最終日には力強い説教を聞いた。いつも平凡に読み通している「耕作地を耕す」の聖句をもって金明均牧師はそれを深めた。土地、種、農夫、天候などの状況が備わなければならない。人の心、信仰心が必須であると強く主張した。よい説教を聞いた。留学生とソウルから来られた教友の金氏を迎え、我が家で家内の手つくりの韓国料理で午餐の時間を持った(写真)。
 金氏は日韓関係が悪くなったのは李明博、日本の安倍と言い切った。慰安婦日韓合意は無効であるという。日本が謝罪しないという。少なくとも日本が過去8回、いやそれ以上謝罪をしているがそれは全く知らない。韓国語で言われている「手が足になるまで謝る(손이 발이 되도록 빈다)」には足りないのか、伝達不通であるかであろう。討論は無効である。
 世界ニュースに注目しなければならない。イランの民主化デモが激しくなっている。イスラム独裁政権下での動き、新年へのメッセージであろう。もう一回アラブの春になって欲しい。新年おめでとうございます。新年礼拝は宇部教会へ、牧師ご夫妻と信者たちを顔を浮かべている朝である。

新年のメッセージ

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 昨日の元日は宇部教会の新年礼拝に出席した。家内の運転、満員で時間前に着いた。礼拝後の「茶会」で私の新年メッセージを語る時間が用意されていた。突然ではあるが私は応じた。これで2回目になる。教え子の李茂玉さんの夫の牧師の教会である。
 私は洗礼を受けて57年、キリスト教によって何が変わったのか。私の人生はドラマのようである。否定的な態度から肯定的な生き方に変わったこと、その人生ドラマには劇的要素があった。それはほぼ偶然と思われることである。一般的に運命と言われるかもしれない。しかし私の人生には見えない力があって、体内に流れていたと今私は悟る。重い話になってしまった。祈った。私の本がベストセラーであることを知っている人は一人もいなかった。都会から田舎へ、世間の情報の届かない奥地、仙郷に来ているような、帰省のような気分だった。

ブーメラン

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 ソウルから来られた日本をよく知る知日派ともいわれる中年男性と話をした。彼に慰安婦問題への意見を求めてみた。彼曰く、日本はドイツのように謝罪すべき、日韓合意は守るべきではないと言う。韓国の世論をそのまま反映している。以前韓国のある女性は私に慰安婦は軍服を着た軍人だったのだと教えてくれた。韓国の一般人は専門家や研究者に教えなければならないと思う人が多い。多くの読者から私は「中立的である」と評価されているのは嬉しい。この度の拙著には慰安婦問題は日韓関係の懸案であるがより根本的なことは韓国社会、あるいは戦争と性の問題であると書いた。韓国社会へのブーメランであるとも書いた。ベトナム戦争での韓国軍の民間人虐殺や強姦について謝罪して現地に慰霊碑を建てる動きがあるという話がある。日本人(?)はどうだろう。日韓の壁は高い。

本が売れ切れている

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 市内の書店に寄った。数日前拙著が店頭に平積みされていたが宣伝表示だけで本が売れ切れていた。下関でも10冊がアッという間に売れ切れたことは珍しい。本屋さんに追加入荷を依頼した。百貨店の占いコーナーに長い列ができていた。新年の運を気にしている人々であろう。年賀状を読んで、情報が入る。ソウルの友人李相日氏から年賀の電話、彼は80代の後半でも元気、友人グループはほぼ高齢となり、病弱だという。東京の高齢の友人からも転倒し、入院している話。また下関近隣の知り合いも緊急入院などのニュースばかりの新年である。今の内は私は何とか元気で仕事を続けている。ソウルの李氏は私の近況を聞いて健康以外の話は世間話として「つまらない」という。高齢者にとって最大の関心は元気、健康、家族、友人である。仕事から解放され、世俗から離れ、不浄から清められていくようである。死を考えながら生きるのは高齢者の特徴である。私は健康保持と仕事を並行していきたい。

棗文化

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 大学は事務開始はまだされず静か、寂しい風景、新年初めの読書会には固定メンバーは来ず、中国から来られた林楽青氏を囲んで茶会となった。彼の奥さんの孫氏が用意してくれたお土産の棗が話題になった。私はもちろん中国人と韓国人の好物、日本人にはなじみのない味、齧る古川先生のお顔をちらっとみた。日本ではなぜ棗文化が根付いていないがのか。韓国では祖先祭祀や結婚式などで大事な供物、漢方薬材、民謡などにも出てくる共同井戸の周りに植えた木、馴染み深く、有名な果実である。林さんは日清戦争の時、乃木大将が棗の木を日本に持ってきたという伝説を聞き、下関の乃木神社を思い出した。しかし棗の木が普及されるには至っていない。日照時間が長いところによくできる果実で日本のように湿度が高いところでは実り難いのが根本的な差であろう。果実は風土によるもの、人間もそうであろうか。イモ文化から粘り強い真面目文化が生じるのか。否、芋文化にも怠け文化がある。

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/ナツメ


済州島都庁がセマウル運動で迷信打破

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 韓国から来られた丁田 隆氏に会った。尊敬する旧友先輩の竹田旦先生のお弟子さんであり、本欄を通して親しさを感じた。彼は日本文学から民俗学へ転身し、最近韓国学中央研究院で博士号を取得された方である。現在韓国昌原大学校の日本語の教師である。彼はまだ40代でありながら私と共通の人物、事柄を知っておられ、2時間ほど話を楽しんだ。彼は最新の拙著の『慰安婦の真実』を購入して読んできた。彼は昔学会で私にあいさつしたことがあるという。特に私が1960年代末に文化財専門委員として済州島都庁がセマウル運動で迷信打破の報告を受けて出張し、現場を視察して打破すべきか保護すべきか悩んだ上報告書を任晳宰・玄容駿との共同名で書いた。彼がその文にヒントを得て研究をはじめ博士論文にまで発展させたことを知り驚いたことも述べた。彼はその時がシャーマニズムが迷信打破の対象から文化財に変わる変換政策の時であり、注目すべき研究テーマであると思ったとのこと。私は彼の研究を称賛した。逆に彼は韓国政府の中央のセンターで働いていたのに日本に留学した私の人生、変化に富んだ生き方に関心を持っていた。

堀麗子氏逝去

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 2018年1月6日午前1時半に堀麗子氏が逝去された。湯玉の善念寺で今日10時から葬式が行われる。わが夫婦と倉光誠氏は昨日お通夜には遅れてしまったがお別れの挨拶ができた。弔問客はほぼ帰り、近いご親族がおられた。中には私も知っている方も多く、親族の一員のような雰囲気で焼香し麗子氏と対面した。私は私の植民地史の柱がなくなった気がした。彼女は巨文島で生まれ91才の直前に亡くなられた。植民地朝鮮と引揚の日本の生きた歴史をもって多くの資料を私に提供してくださり、一緒に旅行もした。私が彼女の存在を知ったのは1980年代巨文島でだった。その後1983年湯玉を訪ねた。そして弟さんの中村彰二氏らと縁が広がった。さらに長男の堀研氏、孫の堀まどか氏、ひ孫まで6代の家族史の付き合いの太い深い縁を感じた。その家族史を書きたい。心からご冥福をお祈りいたします。  

新年礼拝

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 大きい教会,寒い中で新年礼拝が行われた。在日の朴米雄牧師が高い教壇から降りてマイクなしで大きな声で、日本語と韓国語交じりで語った説教は「クリスチャンであること自体が幸せである」と繰り替え雄弁した。いつもとは異なり、家族ごとに祝福の祈りもして下さった。わが夫婦のためにも力強い祈りがあった。私は韓国シャーマンの神託コンスのようにも感じた。わが夫婦の健康と活躍、そして新著のベストセラー、10万部の売れ行きを祈ってくださった。寒い礼拝堂でそれぞれの信者、その家族のための祝福のお祈りは続き、信者たちは喜びと感謝で応えていた。後に福岡の大型書店の店頭で拙著の平積みを見て嬉しかったことも語り、私が韓国から来て、これほどになるまでは大きな、大変な努力があったのだろうとお褒めのことばもいただいた。*写真は記事と直接な関係ない。

「道楽じみた研究」

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 「道楽じみた研究」と書いた「私の歩んだ道」(川村博忠)の回顧録を読んだ。川村氏は1935年植民地朝鮮の京城生まれの方である。同僚から親友になった方である。典型的な真面目な日本人として私の脳にインプットされている。最近退職された人を多く知っている。研究という仕事から解放されて楽々と趣味に余生を楽しんでいる。しかし川村氏は研究という仕事ワークworkから解放されない。なぜだろうか。今度の回顧録を読んで確認することができた。何回も話を繰り返して聞いた話題が多いがなぜか新鮮に読んだ。それは「道楽じみた研究」ということであった。彼の不朽の業績が解る。

守節

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 烈女란 「臨亂冒白刃不以死生易其操者」(註:高麗史121.烈女伝序) 즉 危難을 당하여 목숨으로 貞操를 지킨 또는 오랜 歲月에 걸쳐 고난과 싸우며 守節한 婦女를 말한다. 그러한 烈女는 어느나라 어는 시대에나 있는 법이다. 그러나 朝鮮時代와 같이 貴賤을 막론하고 守節 안하는 女子가 드물게 되어 古之所稱烈女 今之所在寡婦也라는 정도로 열녀가 많았으며 가난과 외로움과 싸우면서 寡婦가 되면 의례히 守節할 줄 알았고 의[위]난을 당하면 목숨을 바쳐 貞操를 지키는 婦女는 헤아릴 수 없이 많았으니 守節은 과연 우리 여성들에게 있어서 傳統的인 固有의 美德이었던가.(烈女とは「臨亂冒白刃不以死生易其操者」すなわち危難の時に命をかけて貞操を守った、長い歲月にわたって苦難と戦いながら守節した婦女をいう。そのような烈女とはどの国、どの時代にもいるものである。しかし、朝鮮時代のように貴賤を問わず、守節しない女子が稀であって「古之所稱烈女今之所在寡婦也」という程、烈女が多く、貧困と孤独と戦いながら寡婦になっても、通常通り守節するべきだと思ったし、危難の時に命を捧げて貞操を守る婦女は計り知れないほど多いので守節とは韓国の女性にとって傳統的な固有の美德ではないのか)

上記の文章は金龍徳氏の「婦女守節考」(『李朝女性研究』淑明女子大学校亜細亜女性問題研究所、1976:133-4)の冒頭の文である。烈女などを慰安婦などに代置すれば今現在の慰安婦問題を指すような文になる。

 慰安婦とは危難の時に命をかけて貞操を守った、長い歲月にわたって苦難と戦いながら守節した女性を指す。そのような慰安婦はどの国、どの時代にもいるものである。しかし、朝鮮時代のように貴賤を問わず、守節しない女子が稀であって「古之所稱烈女今之所在寡婦也」という程、貧困と孤独と戦いながら未亡人になっても、当然守節するべきだと思ったし、危難の時に命を捧げて貞操を守る女性は計り知れないほど多いので守節とは韓国の女性にとって傳統的な固有の美德ではないのか。

 日韓両国はこのような歴史、伝統を理解してほしい。


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