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Channel: 崔吉城との対話
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銃乱射事件

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 オリンピックから競争と友和の話の美談がある。小平と李の抱きあう美しい姿もあった。競争について聞かれ、個人競技であり、相手ではなく自分との闘いだと応える羽生氏のコメントは意味深い。一方危険なニュースも多い。アメリカでは銃乱射事件が頻発する。銃を持つことが危険であろうか、・・・核を持つのが危険であろうか、根本的な問題に逢着する。包丁もカミソリも危険であるから無くせよということになるのかなど極端な疑問も出る。全ての道具、文明利器も危険なものであろうか。何が危険か問われているのである。平和と友愛の心がなく、敵愾心が溢れるのが危険であろう。昨日教会で突然牧師が私の出版記念会を報じ、祈ってくれた。初めてのことであった。拙著『慰安婦の真実』の5刷が届いた。


「郵便遅配はなぜおきたか」

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 休祝日にも宅急便は即届くが郵便はかなり遅れて届く。先週金曜日東京発行の新聞が今日火曜日朝まで下関に届いていない。郵便局は以前のように官公署のように終務する。我が家には毎日4時以降一回だけの配達となっている。民営化の変化、良い点は感じられない。受け取り本人確認は最も厳しい。なぜか公務員然とした遺制がある。小泉政権のときのスローガンはなんだったのだろうか。先日も触れたように韓国に送って意外に配達が遅かったことには当然韓国側での事情があろうと思われがたがそうではないと思うようになった。「WILL」3月号の「郵便遅配はなぜおきたか」を読んで日本の事情であると確信した。信頼されてきた郵便局の運営がより迅速、親切になって欲しい。

東洋経済日報へ寄稿文2018.2.16「平昌オリンピックと江原道」

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平昌オリンピック

崔吉城   平昌オリンピックの映像をみながら私は貧困時代の1960年代の韓国で、もっとも辺鄙な、貧困極まりない江原道の山村へ旅をしたことを思い出す。米は不作でジャガイモしか採れない。一般人はあまり住んでいない軍事施設があった山村の田舎というイメージを持っている。この地域は太白(黄池)と寧越の炭鉱村、旌善アリラン、李孝石の「ソバの花が咲くころ」(小説)に出てくる山村。 友人のソウル大学名誉教授の故李光奎氏と話している途中で、私の友人が軍警として派遣されているという情報だけ持って二人で夜行列車に乗った。彼はオーストリアウィン大学での留学から帰国したばかり、目的地は今は太白市となっている黄池であった。列車の座席は3人の若い美女たちの向側に座り、旅の幸運を感じていた。 話が好きな私たち二人と3人の美女は夜中一瞬も寝ず談笑が続いた。彼女らは某名門女子大の学生、夏休みに二人の友人を実家へ遊びに連れて行くという。列車は峠を越えることができず都渓駅で逆方面からの車両に移動する。乗り換える客の荷物を運んでくれる仕事もあるという。私たちは彼女の話を聞いて一駅前の桶里駅で早朝に一緒に降りた。待機しているバスは一日一回だけ、私たち二人は切符の精算などで時間が掛って、バスは出発してしまった。黄池まで歩かなければならない。彼女たちのカバンを持ったまま4キロ以上の山道を歩くことになり、困ってしまった。彼女らは私たちが満員バスに乗ったと思って出発したようである。歩るく途中でカバンを届けるために身分を確認しようとカバンを開けてみたら韓国の民俗衣装ばかりだった。とても女子学生の服装とは思えない。 昼頃に目的地に到着した。小さい山村であり、町の両側を一軒つつ訪ねて歩いて結局料亭で彼女たちにカバンを渡すことができた。カバンの持ち主は隠れてしまった。前夜嘘をついたことが恥ずかしかったようである。なぜこんな貧しい町に料亭があり、ソウルから美女の芸者が来るのだろうか。 私たちははこの地域が炭鉱地であること、そこには黄金があり料亭が存在することを初めて知った。予備知識のなかった私たちには炭鉱地と芸者の関係は異様なものであった。この体験が私がずっと後にサハリンと日本の炭鉱を研究する基礎になった。炭鉱の寒村と料亭・芸者の相反するイメージの通りに、今そんな思い出のある寒い山村、そこで華麗なパーフォーマンス、国際的なオリンピックが行われているのである。山村と豪華な祭り、夜空の光、私は60年ほどの韓国の発展を見ている。 私たちは火田をする山村の存在を聞いて数か所の山に登ってみて、ついに都渓谷邑新里を見つけた。黄池から美人瀑布、山を越えて火田民村の新里を訪ねた。苦労して調査したものは韓国では初めであり、調査記などは李光奎・崔吉城「新里火田民調査記」「『韓國文化人類學』(1968)に掲載され、日本語でも『東北学』(2003)に訳されている。

肩書

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 昨日今度の土曜日に行われる小生の出版記念会の打ち合わせ会が午後長く行われた。式次第と参加者名簿を作成した。下関近郊中心にしたが結局東京から沖縄まで広がって70余人、名簿には肩書をつけるのが難しかった。ある新聞社の人に私が週刊ポストに「韓国人のジャーナリスト」という肩書で引用されているように、彼にもジャーナリストと付けてみたが反対者が多く辞めた。肩書をつけることが差別云々まで話が広がり、結果的には全てはの参加者に付けないことにした。私自身「韓国のジャーナリスト」に新鮮さを感じた。人から見られる視線とも思った。そもそも肩書や役職名などは仕事や機能を指すものである。多くの人は高齢者になって肩書を失っていく。人によっては存在感を失う。しかし自然な人間、人格になる新鮮さがある。

 「韓国人のジャーナリスト」と引用されている週刊ポストの記事に話は戻るが、朝鮮戦争当時の農民にとっては共産主義と民主主義の認識がなく、李承晩か金日成か、どちらが良いかと話すのを幼い時に聞いた話の中で、ある人は統一が良いと言う人もいたという話がそのように引用されたことをつけ加えたい。

 

美の祭典

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 韓国ではオリンピックの最中、世界が注目している。政治的に利用するとは言われても政治的な成果はあるのか、疑問である。朝鮮半島の南北だけではなく、世界では紛争や戦争が続いている。自然発生的な民族はそれほど敵対性があったとは言えないが国民国家、帝国主義、ナショナリズムによって敵対視、戦争などが多くなった。植民地と独立運動、戦争と平和への課題は多い。昨日ワンアジア財団支援講座の全講義を終えて総合討議を行った。私は予め打ち合わせなく話を始めた。なんとなくオリンピックの美の祭典、美の伝播力、国際化の力に関する話をした。言葉の壁、留学生、教育などの問題に討論は広がり、そしてよくまとめることができた。映像を編集して良い作品として教育に活用できれば嬉しい。
 私は疲れても気持ちよく夜の談話会「街角文化サロンおもしろ文化塾」の木原豊美氏の「詩人・金子みすゞの秘密を語る」に出席した。当時の下関の繁栄、武部塾長は金子が長門から下関へ、カルチャーショックであっだろうと言った。東京震災後、東京の有名人や出版社も下関へ、そんな環境の中で金子みすずが詩作を続けたことが分かった。私は下関愛を深めるようになっていく。

本音を語る

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 今日は拙著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』の出版記念講演会が開かれる。昨日東京方面と沖縄からのお客さんを迎えた。「慰安婦問題」にアレルギーを持っている方が多いと感じている。それはそうであろう。日韓においてあまりも長く繰り返し、社会的、国際的、なお政治的カードに使われて、呆れていた。そんな最中に拙著が出版されることなった。本書を読んでおらず、慰安婦という題だけで拒否感を持っている人が多いように感ずる。しかし本書は反日か親日、嫌韓などのレベルを越えた話である。深く読んでもらえたら日韓関係も理解されると期待している。今日の記念会に折角集まっていただく方々に何を語ろうかと只今考え中。その場だけでの話、そこだけで聞ける話をしたい。周辺的な話と本で書き尽くせなかった本音を語ることになると思う。

出版記念会

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朝、東京の出版社の西山氏を迎えた。スタンド花はハート出版の日高社長、東亜大学の櫛田学長から送られて会場を華やかに飾ってくださった。開会の辞に鵜澤副学長の迫力ある言葉、出版に至る経緯(倉光誠)、下関前田晋太郎氏の祝辞は職員が用意した文を手に持っていながら、ご本人の言葉で日韓の友好にプラスになるだろうと力強く語ってくれた。
出版記念会場で演壇に立って本当に皆様の目が私に集中していることを強く感じた。慰安婦問題を本に書いたことに関心を持つ聴衆の視線に注意しながら日記の価値、客観的に見ることを強調したが、日記に書かれていないことには触れないことこも語った。つまりそれによると強制連行とか性奴隷云々は言えない。
4人(原田、堀、李、朴)のコメントは私の研究業績を踏まえて慰安婦の見方を評価してくれた。田中、野村、矢壁、前田の諸氏からは花束をいただいた。80余人満席、盛会、権藤・富田氏の映像カメラと一緒にテーブルごとに回りながらインタビュー、秦穴氏のカメラで場内は賑わい、宴の雰囲気が高調した。はご参加くださった市民の方々と準備に関わった友人、同僚、学生に感謝する。

謝々

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 昨夜平昌オリンピックの閉幕式が行われた。「感謝します(감사합니다)」が多く聞こえた。出版記念会で私は中国語の「謝々」を思い、「感謝、感謝」だけであいさつの言葉を済ませた。閉幕式の多くの場面は圧倒的に映像であった。その分、人の存在感が委縮された感じがした。今は後進国であってもコンピューターによるグラフィックデザインなどで可能になった。私もPCでデザイン、映像編集などをしているので映像では感動が少ない。相撲や野球などで人物ををアピールする。より直接的な実感を人に影響することを考えなければならない。例えば映像による講義と教室で直接行う講義では教育が違うことを考えたい。


羽生結弦選手

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今回のオリンピックではフィギュアスケートなどを見ながら半分舞踊やダンスのような美の祭典のように感ずるところが多い。音楽と振り、ダンス、芸、テクニックなどの総合芸術であった。つまりスポーツゲームの美化、パフォーマンスを重要視することを強く感じた。スポーツは練習、力、技の試合だと強く主張する人にとって観衆による勝負が明確ではないなど、このようなスポーツに否定的な人もいるかもしれない。私は女性監督のレニーがヒトラーやオリンピックを美的に撮影したのを称賛した時、冷笑した人が多かったことを覚えている。オリンピックをテーマに討議した時もこのスポーツの芸術化の問題を提議しても載らなかったことを今でも残念と思っている。しかし、いま多くのゲームが美化、芸術化していることをシンクロナイズ、スケートなどで見ることができる。オリンピックはスポーツの美化にも貢献できると思う。羽生結弦選手の勝利はその頂点に立った。日本は早くも満州で当時アジアでは先進的なスポーツとしてスケートやアイスホッケーなどを奨励した。満洲映画にはそれが歴々と残っている。昨日の博士論文発表会でも触れられた。学位論文まで頑張った林氏の3年間のご苦労の慰労夕食会が倉光誠氏家族と一緒であった。
  
 

銃乱射事件

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 オリンピックから競争と友和の話の美談がある。小平と李の抱きあう美しい姿もあった。競争について聞かれ、個人競技であり、相手ではなく自分との闘いだと応える羽生氏のコメントは意味深い。一方危険なニュースも多い。アメリカでは銃乱射事件が頻発する。銃を持つことが危険であろうか、・・・核を持つのが危険であろうか、根本的な問題に逢着する。包丁もカミソリも危険であるから無くせよということになるのかなど極端な疑問も出る。全ての道具、文明利器も危険なものであろうか。何が危険か問われているのである。平和と友愛の心がなく、敵愾心が溢れるのが危険であろう。昨日教会で突然牧師が私の出版記念会を報じ、祈ってくれた。初めてのことであった。拙著『慰安婦の真実』の5刷が届いた。

「郵便遅配はなぜおきたか」

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 休祝日にも宅急便は即届くが郵便はかなり遅れて届く。先週金曜日東京発行の新聞が今日火曜日朝まで下関に届いていない。郵便局は以前のように官公署のように終務する。我が家には毎日4時以降一回だけの配達となっている。民営化の変化、良い点は感じられない。受け取り本人確認は最も厳しい。なぜか公務員然とした遺制がある。小泉政権のときのスローガンはなんだったのだろうか。先日も触れたように韓国に送って意外に配達が遅かったことには当然韓国側での事情があろうと思われがたがそうではないと思うようになった。「WILL」3月号の「郵便遅配はなぜおきたか」を読んで日本の事情であると確信した。信頼されてきた郵便局の運営がより迅速、親切になって欲しい。

東洋経済日報へ寄稿文2018.2.16「平昌オリンピックと江原道」

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平昌オリンピック

崔吉城   平昌オリンピックの映像をみながら私は貧困時代の1960年代の韓国で、もっとも辺鄙な、貧困極まりない江原道の山村へ旅をしたことを思い出す。米は不作でジャガイモしか採れない。一般人はあまり住んでいない軍事施設があった山村の田舎というイメージを持っている。この地域は太白(黄池)と寧越の炭鉱村、旌善アリラン、李孝石の「ソバの花が咲くころ」(小説)に出てくる山村。 友人のソウル大学名誉教授の故李光奎氏と話している途中で、私の友人が軍警として派遣されているという情報だけ持って二人で夜行列車に乗った。彼はオーストリアウィン大学での留学から帰国したばかり、目的地は今は太白市となっている黄池であった。列車の座席は3人の若い美女たちの向側に座り、旅の幸運を感じていた。 話が好きな私たち二人と3人の美女は夜中一瞬も寝ず談笑が続いた。彼女らは某名門女子大の学生、夏休みに二人の友人を実家へ遊びに連れて行くという。列車は峠を越えることができず都渓駅で逆方面からの車両に移動する。乗り換える客の荷物を運んでくれる仕事もあるという。私たちは彼女の話を聞いて一駅前の桶里駅で早朝に一緒に降りた。待機しているバスは一日一回だけ、私たち二人は切符の精算などで時間が掛って、バスは出発してしまった。黄池まで歩かなければならない。彼女たちのカバンを持ったまま4キロ以上の山道を歩くことになり、困ってしまった。彼女らは私たちが満員バスに乗ったと思って出発したようである。歩るく途中でカバンを届けるために身分を確認しようとカバンを開けてみたら韓国の民俗衣装ばかりだった。とても女子学生の服装とは思えない。 昼頃に目的地に到着した。小さい山村であり、町の両側を一軒つつ訪ねて歩いて結局料亭で彼女たちにカバンを渡すことができた。カバンの持ち主は隠れてしまった。前夜嘘をついたことが恥ずかしかったようである。なぜこんな貧しい町に料亭があり、ソウルから美女の芸者が来るのだろうか。 私たちははこの地域が炭鉱地であること、そこには黄金があり料亭が存在することを初めて知った。予備知識のなかった私たちには炭鉱地と芸者の関係は異様なものであった。この体験が私がずっと後にサハリンと日本の炭鉱を研究する基礎になった。炭鉱の寒村と料亭・芸者の相反するイメージの通りに、今そんな思い出のある寒い山村、そこで華麗なパーフォーマンス、国際的なオリンピックが行われているのである。山村と豪華な祭り、夜空の光、私は60年ほどの韓国の発展を見ている。 私たちは火田をする山村の存在を聞いて数か所の山に登ってみて、ついに都渓谷邑新里を見つけた。黄池から美人瀑布、山を越えて火田民村の新里を訪ねた。苦労して調査したものは韓国では初めであり、調査記などは李光奎・崔吉城「新里火田民調査記」「『韓國文化人類學』(1968)に掲載され、日本語でも『東北学』(2003)に訳されている。

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 昨日今度の土曜日に行われる小生の出版記念会の打ち合わせ会が午後長く行われた。式次第と参加者名簿を作成した。下関近郊中心にしたが結局東京から沖縄まで広がって70余人、名簿には肩書をつけるのが難しかった。ある新聞社の人に私が週刊ポストに「韓国人のジャーナリスト」という肩書で引用されているように、彼にもジャーナリストと付けてみたが反対者が多く辞めた。肩書をつけることが差別云々まで話が広がり、結果的には全てはの参加者に付けないことにした。私自身「韓国のジャーナリスト」に新鮮さを感じた。人から見られる視線とも思った。そもそも肩書や役職名などは仕事や機能を指すものである。多くの人は高齢者になって肩書を失っていく。人によっては存在感を失う。しかし自然な人間、人格になる新鮮さがある。

 「韓国人のジャーナリスト」と引用されている週刊ポストの記事に話は戻るが、朝鮮戦争当時の農民にとっては共産主義と民主主義の認識がなく、李承晩か金日成か、どちらが良いかと話すのを幼い時に聞いた話の中で、ある人は統一が良いと言う人もいたという話がそのように引用されたことをつけ加えたい。

 

美の祭典

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 韓国ではオリンピックの最中、世界が注目している。政治的に利用するとは言われても政治的な成果はあるのか、疑問である。朝鮮半島の南北だけではなく、世界では紛争や戦争が続いている。自然発生的な民族はそれほど敵対性があったとは言えないが国民国家、帝国主義、ナショナリズムによって敵対視、戦争などが多くなった。植民地と独立運動、戦争と平和への課題は多い。昨日ワンアジア財団支援講座の全講義を終えて総合討議を行った。私は予め打ち合わせなく話を始めた。なんとなくオリンピックの美の祭典、美の伝播力、国際化の力に関する話をした。言葉の壁、留学生、教育などの問題に討論は広がり、そしてよくまとめることができた。映像を編集して良い作品として教育に活用できれば嬉しい。
 私は疲れても気持ちよく夜の談話会「街角文化サロンおもしろ文化塾」の木原豊美氏の「詩人・金子みすゞの秘密を語る」に出席した。当時の下関の繁栄、武部塾長は金子が長門から下関へ、カルチャーショックであっだろうと言った。東京震災後、東京の有名人や出版社も下関へ、そんな環境の中で金子みすずが詩作を続けたことが分かった。私は下関愛を深めるようになっていく。

本音を語る

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 今日は拙著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』の出版記念講演会が開かれる。昨日東京方面と沖縄からのお客さんを迎えた。「慰安婦問題」にアレルギーを持っている方が多いと感じている。それはそうであろう。日韓においてあまりも長く繰り返し、社会的、国際的、なお政治的カードに使われて、呆れていた。そんな最中に拙著が出版されることなった。本書を読んでおらず、慰安婦という題だけで拒否感を持っている人が多いように感ずる。しかし本書は反日か親日、嫌韓などのレベルを越えた話である。深く読んでもらえたら日韓関係も理解されると期待している。今日の記念会に折角集まっていただく方々に何を語ろうかと只今考え中。その場だけでの話、そこだけで聞ける話をしたい。周辺的な話と本で書き尽くせなかった本音を語ることになると思う。


出版記念会

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朝、東京の出版社の西山氏を迎えた。スタンド花はハート出版の日高社長、東亜大学の櫛田学長から送られて会場を華やかに飾ってくださった。開会の辞に鵜澤副学長の迫力ある言葉、出版に至る経緯(倉光誠)、下関前田晋太郎氏の祝辞は職員が用意した文を手に持っていながら、ご本人の言葉で日韓の友好にプラスになるだろうと力強く語ってくれた。
出版記念会場で演壇に立って本当に皆様の目が私に集中していることを強く感じた。慰安婦問題を本に書いたことに関心を持つ聴衆の視線に注意しながら日記の価値、客観的に見ることを強調したが、日記に書かれていないことには触れないことこも語った。つまりそれによると強制連行とか性奴隷云々は言えない。
4人(原田、堀、李、朴)のコメントは私の研究業績を踏まえて慰安婦の見方を評価してくれた。田中、野村、矢壁、前田の諸氏からは花束をいただいた。80余人満席、盛会、権藤・富田氏の映像カメラと一緒にテーブルごとに回りながらインタビュー、秦穴氏のカメラで場内は賑わい、宴の雰囲気が高調した。はご参加くださった市民の方々と準備に関わった友人、同僚、学生に感謝する。

謝々

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 昨夜平昌オリンピックの閉幕式が行われた。「感謝します(감사합니다)」が多く聞こえた。出版記念会で私は中国語の「謝々」を思い、「感謝、感謝」だけであいさつの言葉を済ませた。閉幕式の多くの場面は圧倒的に映像であった。その分、人の存在感が委縮された感じがした。今は後進国であってもコンピューターによるグラフィックデザインなどで可能になった。私もPCでデザイン、映像編集などをしているので映像では感動が少ない。相撲や野球などで人物ををアピールする。より直接的な実感を人に影響することを考えなければならない。例えば映像による講義と教室で直接行う講義では教育が違うことを考えたい。

永遠なる臨時寄留地

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 先日『WiLL』会社で高田岳志氏からインタビューされた記事が載った4月号が届いた。また月刊雑誌SAPIO4月号にも記事が載っている。拙著『慰安婦の真実』の出版からいる3か月、新聞、雑誌、TVなどに大きく報道されて嬉しい。地元の書店に平積みされ、販売されているが山口新聞に報道されただけで他の中央紙の地方版では一字も触れていない。
 地元出身の有名作家や映画監督が言った言葉を想起する。地元から認められず都会に脱出して有名になってから我が地元出身と叫び、歓迎されると皮肉を込めて語っておられた。イエスも地元では死ぬまで認められたことがない。私は生まれ故郷を脱出、転居を繰り返し、下関に辿りついて、ようやく地元人に認められるようになりそうになっるようにたが地元の反感はまだありそうである。本来の地元人以外の人にとっては永遠なる臨時寄留地に過ぎないのだろうか。

 今朝の山口新聞(2018.2.27)「四季風」に佐々木氏は次のように書いている。

 韓国では、日本を悪く言う生き方が一番楽だとよく言われる。しかし、韓国出身の崔吉城東亜大学教授は、文化人類学者の一人としてそんな「世間に流される」生き方ができなかった。➧これまでも『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか』などの著書で、政治的な制約を超え、ありのままの真実を明らかにするため研究者の立場を貫き、韓国でタブーとされる史実に挑んできた。➧昨年12月に出版後、すでに第5刷を重ねるベストセラー『慰安婦の真実』は、その象徴と言えるものだ。戦時中、慰安所に務めていた朝鮮人の2年間にわたる日記を2年かけて精査し、そこから見えてきた実態を解説した。➧先日、下関で出版を祝う会があったが、韓国で政治利用され続ける慰安婦問題だを扱う同書「世に出すことに躊躇がないわけではない。しかし同時に、あえて出す意味があると思う」と語る著者の勇気に大きな拍手を送った。➧平昌五輪が終わった。銀メダルを得ながらも、競技会場で国旗を前に、観衆に何度も土下座せざるを得なかった韓国選手の姿をテレビ映像で見た時、なぜそこまで選手個人への魔女狩りめいたバッシングを浴びせるのか。崔教授の著書がそこにかぶさった(佐)。

   


 


 

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朝鮮通信使展

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 拙著出版記念講演会の呼びかけ人の代表を務めた藤中和岳氏が評価して曰く、カラオケや飲み会ではない、講演と映像、書評などレベル高い文化交流会になってプライドを持つ時であったと。特記すべきことは下関前田市長が形式的な祝辞を読まず生の言葉で語り、多くの人と長く談笑をしたことである。それが自然の風景であるはずであるが、以前の市長たちは自分の挨拶だけですぐ退場する例を破ってくれた。私は前田市長の人柄に魅了されてしまった。
 もう一人、下関市歴史博物館長の町田一仁氏。昨日「朝鮮通信使特別展」をゆっくり見てから声をかけたら館長と副館長の古城氏が並んで歓迎してくれた。嬉しい。展示の中で一番関心を持ったのは筆談である。漢字文化圏で筆談は茶飯事、今でも多く行われ、私も中国やベトナムなどで体験した。私はそれを日韓の比較文化交流として分析したい。当時朝鮮人は素足の日本人を階級的に蔑視する態度、しかし日本では出版文化が活発であったことに感嘆するような意味が覗かれる。通信使行列式の行事を越えて、深みのある研究が進められることを期待する。

 

島流された英雄が多い

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 昨日はここ下関では風雨で非常に荒れた天気、今日は静かな朝、3月1日韓国では日帝に対して抗日独立運動を起こした記念日「国慶日」である。転勤の情報が入った。これから人事異動の季節になる。 韓国済州島では立春の前の一週間に「新旧間」という引っ越し期間民俗がある。不動産業では宣伝が眼立つという。日本では4月が新年度、入学や入社、3月には卒業などで人が多く移動する。人物は往来、中には去っていく人が気になる。
 東京と韓国からの人事異動、下関は両方から遠く、辺鄙な地方と思われる。人は都、牛馬は田舎という行政組織では困る。「左遷」されてくる人と「島流」されてくる類がある。前者は愚かな者、後者は賢い者というイメージがある。島流された英雄が多い。地方活性のために賢い人を迎えたい。イギリスは植民地に名門出身の紳士知識人を派遣した。その評価はいまだに高い。 *送別の意味については拙著『哭きの文化人類学』(写真)     

 

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