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Channel: 崔吉城との対話
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独立運動

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 昨日の読書会では倉光誠氏が「戦後意識」とは何かを話題にした。文大統領の3.1独立運動記念日の祝辞で慰安婦問題に触れたことがそれである。またそれと合わせてソウル大学研究チームが慰安婦を殺して埋葬する映像を「はじめて」発表したという。それについて下川正晴氏は20年ほど前に資料検討が終わったという。私の恩師が1960年代「巫堂来歴図」に注目して公開し、泉靖一先生が論文で発表してから20余年後民俗学者沈雨晟氏が中央日報に「新発見」と大きく報道されたことを私は想起する。今学者と政治家が一緒なって、「反日」が定着していることを痛感する。客観、中立というと、その反対派になるだろう。しかしそれは国家を守るのではなく、近代科学精神を守ることである。
 戦後1世紀近く過ぎても日本の植民地という意識が頭から離れないということ。韓国においては戦後、解放、独立…と叫んでも反日から一歩も離れない。奴隷が解放されてもそれは制度や法律的なもの、意識構造は奴隷のままであることを意味する。日韓両国は植民地歴史から解脱し、堂々と一対一の関係になる、それが未来志向というものである。それは個人の努力、悟ることから始まる。

 


花で満杯

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 千葉から家内の姉が来られ、1週間で昨日お帰りになった。出版記念会に参加して一緒に喜んでもらい、博物館で朝鮮通信使をいっしょに観覧しただけで、ほかに観光案内することもなかった。まさに客ではない。看護師、助産師、看護学校の講師の経歴の方、家内は出勤時、私の健康管理には安心していたようである。炊事、掃除、など家事をしてくれた。自宅に着き、メールが来た。花いっぱいのリゾートホテルのような家で暮らして幸せだったと。記念会でいただいた花を私が生けて応接間、食卓上、洗面台、玄関、トイレなどに置いた。常設の鉢の花と一緒になって花で満杯になったと感じたようである。彼女の子供たちは独立し夫亡き後一人暮らしであり、気になっている。「遺産を残してあげるから私が死んだあと姉妹二人でここで暮らしてね」と言ったその言葉に感激したようである。

読む人、教養人、知識人から愛読されたい

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続報である。月刊雑誌「SAPIO」4月号に私の話が載っていると聞いたがまだ実物は見ていない。昨日原田環先生から良い知らせの電話をいただいた。本屋からその雑誌を購入、私の記事を読んで、内容に賛成すると言ってくださった。感謝である。先週の記念会で堀まどか氏は本欄の文を「天声人語」を読むように読んでいると語ってくださった。川村博忠先生は新聞コラムより面白いと言って下さる。感謝である。多くの知人、友人、読者によって励まされて生きているような気がする。しかしすべてがよい関係とは言えない。私は主に本欄の投稿をはじめ、出版を通して論説やエッセーを書いている。圧倒的多数は読者である。しかし読んではいない人から非難されることがある。つまり私に対する読者と非読者の意見が分かれている。非読者の層が私を否定する傾向があるようである。わたしは読む人、教養人、知識人から愛読されたい。


反日韓国の愛国心で生きる人

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 私も多くの恩を受けて職を得て仕事をしてきたし、今も続けている。また私も結構多くの人に研究や職を紹介したことがある。ここだけ読んでも自慢話と嫌かもしれないがもう少し読んで欲しい。そんな中の二人を例にしたい。二人とも日本で職が得られたら日本語や日本を勉強、研究して韓国で日本通として生きたいと言いながら、強く日本で職を得たいと希望した。私は彼らの将来を祈念し、紹介した。今では想像もつかないほど韓国の給料より高い職場を紹介した。しかし二人は私の期待をはるかに越えておおいに失望させた。一人はその給料で9割以上韓国で生活し、担当教官から行方不明者と連絡を受けた。もう一人は初めから反日的な韓国の愛国心を持って言動し、日本での生活は楽しくなく、否定的な態度で定年した。このお二人のように反日、韓国の愛国心で生きる人も多い。私は常に肯定的な生き方を勧めたい。

*写真ターナーの銅版画

『動く墓』

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 先日出版記念会に参加した人から私のシャーマニズム研究を聞きたいと言われて嬉しかった。まだ下関では長年してきたシャーマニズム研究報告はしたことがない。新年度講座ににおいて一回「シャーマニズム」を入れた。文学と民俗学から文化人類学へ変わった私の研究が最近は専攻が曖昧になったようである。若い時目指した評論家になっていくようである。故郷とはただ両親の墓だけのつながりしかない。開発で墓を移動させようとする親族と裁判までして墓を守っている。私の風水信仰でもある。しかし私自身の墓や祖先祭祀には関心がない。それはキリスト教的信仰観であろう。
 越智郁乃氏の『動く墓──沖縄の都市移住者と祖先祭祀』で墓が動くということに関心がもたされる。彼女は広島大学時代に院生であったが今は大学の教員、長く沖縄の研究の成果を世に出した。残念ながら私の洗骨調査論文は読んでいないようである。これから送ってあげようと思う。墓を作るのは勝手にはできない。民俗文化で決まっている。また作ってからは動かせない。しかし戦争や植民地移動などで墓は動かしている。私も引揚者についてまず注意してインタビューするところである。沖縄で人の移動に伴い墓はどのように動くのかに関心を深めている彼女の博士論文を読んでいる。

「虚望false hope」

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 金正恩の提案により劇的に南北間の宥和が始まった。「劇的」ではあって「劇場」には終わらないで欲しい。トランプ大統領の影響と言える。トランプ氏は数時間前に投稿した文で「虚望false hope」にしてはいけないと書いた。トランプを非難する人が多いが、結局彼の脅威に迫れらた金氏が逃げ道として行なっているのは事実であろう。今安倍政権と朝日新聞の関係はトランプとCNN/ニューヨークタイムズの関係に似ている。
朝鮮半島の南北関係は関係改善されるべきである。ただ韓国の民主主義を保って欲しい。北にも自由な民主主義が流入されてほしい。日韓関係も宥和モードになって欲しい。日本はそもそも中国以上に朝鮮半島全体へ宥和政策をとるべきであった。拉致問題を所為に一歩も外交が進まないのはとても残念である。文在寅氏のもう一つの劇的なこと、それは反日の放棄であり、日韓合意を守り慰安婦像を一掃すべきであろう。
 
Possible progress being made in talks with North Korea. For the first time in many years, a serious effort is being made by all parties concerned. The World is watching and waiting! May be false hope, but the U.S. is ready to go hard in either direction!

孫晋泰に関する論文がFolkloreに

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 イギリスの友人James H. Grayson氏が民俗学者の孫晋泰に関する論文をFolkloreに載せたというメールが来た。孫氏は日本に留学し、日本植民地時代の代表的な韓国民俗の研究者であり、私の初期の巫俗研究に多く参考になったは方である。しかし最近ある学者の研究書が韓国で出版されたが私の文献は一つも引用されていない。無視されたか、見ていないかであろう。Grayson氏の論文作成過程には協力したがどうだろう。これから探してみたい。まずはここに知らせておきたい。 

Although there were various antecedents, the academic discipline of folklore did not begin in Korea until the third decade of the twentieth century. The leading figure in the country’s development of the discipline is Son Chint’ae, who brought rigour to the methods of research and the collection of material; used a comparative method drawing on research from anthropology, ethnography, folklore, archaeology, and history; and saw ‘Korea’ in the broader context of North-east Asia. A nationalist during the Japanese colonial period, Son used the concept of minchok (the people) both to analyse his material and to serve as a means to revitalize the Korean nation.

ナムンジェ(ヒジキ)

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 私は朝鮮戦争の体験を思い出しながら執筆中、日常茶飯事のことはほぼ記憶していない。中には珍しく新しく思い出したものもある。それは家内が時々ヒジキを食卓に出して髪の毛に良いなどの説明をするのを聞いてからであった。ヒジキには味云々ではない、私の不快感があることに気が付いた。朝鮮戦争の避難時に海岸でナムンジェ(ヒジキ)で延命できた感謝ではあるが不快な記憶があったことを思い出したのである。不快感が記憶の回想力があること感謝も感謝である。昨日の読書会では小児科の医者の倉光誠氏が子供の記憶について発表した。そこに快、不快が記憶と回想の力があるという。どうして私にピッタリ合う話題を提供してくれたのだろうか。感謝し私の4歳ころの記憶などを延々と披露することになった。本の執筆は加速するようになった。感謝である。

often unclear whether they are the real thing or just recollections based on photos or stories told to us by others. at this early age are truly autobiographical,  developmental changes in basic memory processes have been put forward as an explanation for childhood amnesia, continues developing until at least the age of seven. Children and teenagers have earlier memories than adults do.  Another factor that we know plays a role is language. speaking to becoming fluent in their native language(s), so there are major changes in their verbal ability that overlap with the childhood amnesia period. This includes using the past tense, memory-related words such as “remember” and “forget”, and personal pronouns.it happened predicts how well they remember it months or years later. One lab group conducted this work by interviewing toddlers brought to accident and emergency departments for common childhood injuries. preverbal memories are lost if they are not translated into language.narrative, and its social function.remember and how to structure talking about them in a way that others can understand. social function of sharing experiences with others. family stories maintain the memory’s accessibility over time. More coherent stories are remembered better. In the meantime, it’s important to remember that, even if we can’t explicitly remember specific events from when we were very young, their accumulation nevertheless leaves lasting traces that influence our behaviour. The first few years of life are paradoxically forgettable and yet powerful in shaping the adults that we become.

This study is the first to show that shy infants possess an approach-avoidance conflict in their temperament. Infant shyness has been viewed as a simpler form of withdrawal, an inhibited approach or a fear of strangers. However, we found that shy infants had a more complex repertoire in that they experienced the seemingly opposing constructs of both high approach and high fear, which has only been observed in children in later developmental stages. We further demonstrated that this conflicted shyness in infancy was associated with an initial hypersensitivity to the eye region, regardless of whether mothers or strangers were fixated on, and with a preference for an averted gaze over a directed gaze when viewing strangers’ faces. 

our study focused on the early form of infant shyness, which may be a phenotype present during the developmental process in which infants exhibit an affective state rather than a stable personality trait in socially unfamiliar situations. Thus, the onset and intensity of infant shyness with interindividual differences may reflect developmental changes and thresholds in infants’ neurophysiological responses to strangers, possibly in the amygdala.As shyness behaviors are induced in real, intense social situations with a heightened arousal level. This possibility suggests that shy infants are more sensitive to human faces, given that they initially increased their time spent looking at the eyes when compared with infants with low shyness.Infant shyness is not a single form of behavioral inhibition; rather, it is well explained by the combination of approach and avoidance, i.e.,


「簡単だけれども難しい」

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 年中部屋に花が咲いている。今は胡蝶蘭とブーゲンベリア、カンザクラなどが数鉢咲いている。またつぼんでいるものもある。その中で一番満開し、美しい蘭の鉢を友人の事務室におくようにした。友人から蘭の管理は難しいと言われた。私も以前多く失敗した。その経験を生かして今はよく管理するようになった。全く経験によることであり、本による情報ではない。経験によって失敗を繰り返しながら知っていくのも楽しかった。そのノーハウを人から聞かれると、「簡単だけれども難しい」と答える。矛盾していて、不可思議な話かもしれない。一日数回スプレーをするだけのことである。栽培の感覚ではなく、関心をもつ、あるいは愛情をもつことである。人を愛すること、それも簡単だけれども難しい。 

Black Miss Beuaty

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  安岡病院の吉岡陽子氏が訪ねて来られた。3年前私の入院中のお見舞に来てくださって以来の再会であった。お互いに「お元気ですか」という、高齢者の話から始まった。彼女は若い時にアフリカ・ニジェールで二十数年間看護師として奉仕し、いまだに讃美歌などによる人間関係の太いパイプを持っている。里子(?)の親子関係の息子たちの写真を見せながらうれしそうにご自分の話をされた。彼女のお琴、友人のギターそしてめぐみ教会の子供たち、彼女の息子さんの歌声が収録されたCDを持ってこられ一緒に聞いた。私はその情熱に耳を傾けた。彼女は皮膚の色なんか一つも気にしない。むしろ美女美男が多いという。私はただ一つの質問をしてみた。ミスコンテストなどはあるのかと。もちろん身長が高く、すばれしい美女がいるという。なるほど「美女軍団」のような美女は世界どこにも存在する。私に関する話は冒頭「元気ですか」が全部であった。
 私の話が載っている雑誌を紹介する。今本屋に並んでいる4月号のSAPIO(智慧)とWill(意思)に私のインタビュー記事が、専門文筆家によって作られた記事文が載っている。文作成方法が勉強になると思う。

「信仰が山を動かす」?

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 早足で歩くと言われている私は昨日30分ほど歩くのにきつかった。スピードよりも休憩をしなければならなかった。教会の礼拝の定刻に間にあわなかった。38回日韓合同礼拝、7つの教会から67人が参加しての大集会であった。牧師や宣教師たちは他の集いにはほぼ参加せず一方的に人が来るのを待つ方が多い。中には集まらないと不満を言う方もいる。韓国の伝道過程を知っている私として彼らの宣教活動に不満がある。「信仰が山を動かす」という鈴木恭子牧師の説教、また金斗鉉の画伯の証であったが、マイク調整が悪く、聞こえない。朱文洪牧師は在日が温かい隣人として生きられる日本社会になって欲しいと祈った。日本人へのよいメッセージである。在日もより肯定的な生き方が望ましい。

「人を人らしく」の教育

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 昨日は執筆中に時々TVを視た。日本政府の核心の核の財務省の不正、政治家が嘘を隠して、偽りのあげく嘘の全貌が明らかなりつつある。決裁文書に安倍晋三首相や麻生太郎財務相の名前もあったことも削除されていたということが明らかになるようである。政権が変わらなければならない。「権不十年」。流れない池水は腐る。長く政権を握ったことで安定するが腐る(corruption)のは世界的な問題でもある。私の問題に戻して考えている。教育である。知識教育一辺倒になっていることに反省する。良心、正直、愛などをとう教えるのか。その動きはあるが戦前の道徳教育に戻るのではないかと心配する人も多い。道徳は成功出世を支えるのではない。人を人らしくするのが教育である。

客観的な態度は不利

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 拙著『慰安婦の真実』に関して主に評価される点は「客観的・中立的」という点である。特に日韓関係に関してそうであるという。ロンドン旅行中の堀まどか氏から書評の原稿が届いた。彼女は二重国籍者の研究者である。内容は出版物を通して紹介する。拙著が多くの評者から評価される、良い点が共通する。しかし日韓両方から非難されることも多い。特に日本に関して少々否定的に指摘するとすぐ反論や非難が来る。客観的な態度をとることはどちらからも非難されやすい不利な点がある。1930年代に多くの朝鮮人知識人が大東亜共栄圏構想に賛同し、韓国では「親日派」と汚名で呼ばれた。彼らはおそらく当時の世界観、知識による客観的な判断だったのかもしれない。客観的という態度は時には変節する危険にさらされる可能性もありうる。しかし私は楽な愛国者にはなりたくない。不利なことがあってもその態度を放棄するつもりはない。それが学問の基層精神であり、生き方そのものであるからである。

堀まどか氏の書評

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  先日拙著『慰安婦の真実』の出版記念講演会で4人の方が書評を語って下さった。その中の一人の大阪市立大学の准教授堀まどか氏がその原稿をイギリスから送ってくださったので読者の方々と一緒に読みたく、ここに全文を載せる。先日、彼女は私のブログなどを毎朝「天声人語」のように読んでくださると言っておられた。この書評では「書評されにくいタブー」について触れている。また「研究される対象となるであろう」という言葉は嬉しく恐縮である。私は堀家を研究対象にしてきたが逆転されそうな(?)話である。

『慰安婦の真実』を読んで思ったこと (スピーチのメモとして)  堀まどか

 この本は日韓の対立意識や断絶をあおるような本では全く無く、むしろ、両社会の人々がお互いを理解し、歩み寄るための内容である。その主眼は、一つのテキストを読んでも、一つの歴史的事項を眺めても、その文化背景や読み方、言語の特性の違いがあることによって、他者と違う結論や解釈が導き出されるということがあるということ。どう読むのか、いかに読めるのか。言語・表現とは何か、「実証性」とは何か、「歴史」認識とは何か。じつは、そのような概念や観念に関する微妙な差異をなおざりにして異文化間での対話を進めることは、重大な問題を生むことに繋がる。

 現在、慰安婦問題に関する日韓両社会の摩擦が、きわめて深刻化・重症化していることは周知の事実である。この慰安婦問題に関しては、日本では従来からも多数の著作や詳細な資料集成が編まれてきたし、掘り下げられてきた。いま、改めて真実を知りたいと思う人々にとって、この『慰安婦の真実』の一冊だけで、すべての事情が把握できるというようなものではない。

 この本は、長年、日韓の文化的差異についての綿密な調査・分析を続けてきた文化人類学者が、日記を読み解く過程のなかで、なぜ日韓両社会や人々の感覚や意識が乖離するか、混迷を極めるかについて、文化事例に言及した書である。その洞察は、この複雑な課題を熟慮し相対主義的に解決しなおすヒントを指し示しているとも思う。崔吉城氏の独自見解が、強い印象を与えるが、たとえば、「慰安所をめぐるトラブル」(p.136-138)のところで論じる「記録と話し言葉の差」の問題や、「豊かな軍隊と買春の関連」(p.181)には、なるほどと非常に新鮮に感じられた。

 この一冊のなかで行われた氏の提言が極めて重要であることは事実だが、一方、書評が出にくい理由も幾つかあるのかもしれない。第一は、現在の日本の社会で(とくに福島第一原発事故以降)、言論や行動にタブー意識や自己検閲意識が強くなっていること。(このタブー意識は、必ずしも検閲や法的な問題ではなく、プライバシー重視や他者への配慮ということに端を発していたが、このような各々の判断によって言論に制約をかける傾向が、社会の柔軟性と許容性に大きな問題を及ぼし始めていると感じる。)しかし、タブーとは、タブーを恐れて沈黙する人が作る「空気」のことである。崔吉城氏が、真実の前で怯まずに発言し、社会の率直な反応を得たいと常に挑戦を試みている姿には深い感銘をうける。
 第二は、この戦時下の性処理の問題は、「戦争」そのものと同様、壮絶に醜悪で、一般的な(平穏な環境のなかにいる)人間にとっては直視するのが辛いという事実。著者とともに日記を眺め、この時代の慰安婦の実像を垣間見ていると、「軍が管理」したのか否か、「強制連行」であったか否かということよりも、女性「性」や児童「性」が、今も昔も残酷に乱暴に消費されている普遍性と腹立たしさを感じずには居られない。ただし、氏の筆は、資料に対して客観性を保つのみならず、同時に、人間の「本質」や人間らしさ(弱さや醜さ)に対して、深い同情/憐憫と愛をもって、扱っているように感じられる。
 そして第三には、氏のような「二重国籍」的な立場は、特定社会で敬遠されたり曖昧にされたり、また、その評価が政治や時代に左右されやすくなるということ。二重国籍者たちが「レッテル」を貼られたり、意図せぬ方向に歪曲されて有用されたりするのは、古今東西の傾向として起こりうることである。ただし、その分、彼らは客観性をともなう重要な観点や分析を示唆できる存在である。また、現代の国際社会では、多文化間を横断的に生き、コスモポリタンとしての文化相対主義的な立場で生きる人々は多数派になりつつある。「二重国籍」的な感性や立場に立たされている存在は、言論を意識的/無意識的に制約されている部分が多々あるだろうと思うし、孤独も深いと思う。しかし、健全な社会には必要な視点だからこそ、これからも、既成概念を壊していく研究や言論を導いていただきたいと願う。そして読むほうにも、筆者の置かれている立場や文化の交差点への理解を含めて、深く読み込む感性が求められていると思う。

 崔吉城氏の人生は、いずれ研究される対象となるであろう。研究者のなかでも、研究される対象の人間になる人物は、決して多くないはずであるが、崔吉城氏は、戦後の東アジアの歴史や、比較研究の歴史のなかで極めて重要な、時代を表象する存在である。この一冊を読み、氏の歩んでこられた歴史についても、あらためて好奇心が湧いている。
 さいごに、崔吉城先生と、共に進んでこられた奥様の益々のご健康とご清栄をお祈りし、また、いつも支えておられる周囲の人々、本日の会の企画運営の方々に、御礼申しあげます。

『世界幸福度ランキング』

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 昨日2018年3月14日、国連が『世界幸福度ランキング』を発表した。このランキングは「所得」「健康と寿命」「社会支援」「自由」「信頼」「寛容さ」などの要素を基準にランク付けされたもので、日本は54位、韓国は57位である。第1位フィンランド、第2位ノルウェー、第3位デンマーク、第4位アイスランド、第5位スイス、第6位オランダ、第7位カナダ、第8位ニュージーランド、第9位スウェーデン、第10位オーストラリアであり、説明はいろいろある。
 有力者のコメントが気になる。移民との関連性である。移民する人たちはより幸福な国を選んでいるということの指摘である。(Those who move to happier countries gain, while those who move to less happy countries lose)日本と韓国は高くない。なぜであろうか。私は日本は規制やタブーが多く、韓国は競争が激しいことだと解釈したい。それと関連するかもしれないが、本欄で触れたように日本では在日とニューカマーの対照点である。在日は日本に住みながら反日的民族主義、ニューカマーは日本を選んで移住しているからであろう。


おめでとう「林楽青博士」

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 今週火曜日に開かれた大学院委員会で私はいつになく緊張した。中国からの留学生の林楽青氏の博士論文「満洲映画の研究」の審査の最終会だったからである。私が報告し、投票などの過程をへて、無事に認定された。なぜ緊張したのかというと彼がが総力を上げて努力したので将来、学者への道を展望し、期待しており、映像資料が多く残っているのに書誌的な研究が多く、それを超えた研究を私の夢も含めて指導した結果を待つ気分だったからである。21日の卒業式を楽しみにしている。私から記念品を上げようと準備している。私は日本留学して博士課程に入ってから受理されず13年間まち、結局他の大学で論文博士になったことを思い出し、学生には公平に対応しようとして多くの学生を指導してきた。*写真は昨日林氏から送られてきたボールペン。

「わろてんか」

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 私がPCから離れず執筆に夢中になりすぎな状況をみて健康が気になった家内の進めで外出することとなった。権藤夫婦を昼食に誘った。模様替えの最中でも喜んで応じてくれた。韓国ドラマジャイアントを夢中で見ているとトーンを高め勧められた。帰宅して早速ネットで最終回を見た。1970年、釜山。両親と兄妹と共に幸せに暮らしていたが、金塊密輸に巻き込まれてしまった。兄妹は生き別れになり、復讐などのストリーである。実話に基づいていると勧められた。相当はまっている。それは私たち夫婦も多くの韓国ドラマにはまったことがある。NHKの朝ドラ「わろてんか」では戦時中の慰問公演や映画検閲など私の研究の参考になるので見ている。ドラマや映画は基本的にはフィクションで歴史教科書ではない。描かれた真実やメッセージを読み取って楽しむのである。今は「黄金色の人生」にはまっている。ストリーや構成も良いが、何より俳優の心理的な演技に引かれている。心配なのは無理なハッピーエンディングである。人生すべてがハッピーエンディングでは少ない。金日成、毛沢東、スターリンなどの独裁者だけかもしれない。

「日本の風俗史」

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 今まで好評の中、ある研究者から献本をいただいてお返しとして最新拙著『慰安婦の真実』を送ったら「慰安婦に関心がないがこれから勉強する」というメールが届いた。書評や反応、批判なども含めて検討したい。新年度には国際日本文化研究センターの井上章一先生主催の研究会の共同研究員になる予定である。「日本の風俗史」がテーマ。私はできれば性風俗、特に慰安婦問題をあつかいたい。政治や噂を越えてトライしたい。関心ある方が参加し、討論ができればと思っている。関心ある研究者の参加を願う。*写真はbook.off古本屋で見つけた拙著の「雀様が語る日本」

偽り(?)の政治

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 友人の文化人類学者の末成道男氏から「おくればせながら」と頌春メッセージが届いた。貧血で入院したが今はお元気であるというお便りが嬉しい。葉書の余白に本欄FBの愛読者であること、「あれだけ広く深い内容は発信するのも大変なのでしょうね」と書いてあった。なんと励まされる言葉であろう。
 ロシアではプーチン氏が4回目の大統領当選、習近平国家主席100%当選などのニュースをみて、冷戦時代の構図に戻った気がする。韓国が38度線から休戦線・軍事境界線が赤と白の境界線として大事にすべきだと思った。しかし最近の状況では韓国や日本も不安である。韓国の「親北」が境界線を壊すのではないか、日本の偽り、誤魔化し(?)の政治が独裁化するのではないか、不安が湧いてくる。王朝時代の奴隷臣民史が長かったので市民の「臣民」へはそれほど抵抗がないだろう。民主主義のマジノ線を引くべき時である。

古川薫先生に面会

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 昨日は強風雨の中、安岡病院に行った。行く途中で梅光大学新築工事の現場を見下ろし、大学発展のために努力する様子が伝わる。海岸のリゾートホテルのようなロケーション、すべてのスタッフが挨拶、親切、それは経営方針のように感じた。人文・自然環境が理想的、経営など羨ましく思った。古い知人である安岡病院の吉岡陽子氏を通して、古川薫先生に面会を願った。先生はベレー帽、サングラス、正装して、奥様の押す車椅子で、フロアーに現れた。お元気になられて大学で講演をお願いするなど話をした。下関に来てから先生とは講演、対談など多くの時間をともにできたことに感謝を込めた面会時間だった。

 

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