寒い春、朝から多くの人と会った。毎年迎える大学卒業式であり、例年のことであるが、懐かしい顔が去っていくという寂しさも感じた。中には学部の学生の韓国のドヨングァン君、渡辺雅之君などが賞を複数授与され、修士の前田よしみさん、そして私が指導した林楽青氏などの顔があった。学生の母親や卒業生たちと記念写真も撮った。研究所の研究室には多くの人が出入りした。夕食は林、前田による謝恩夕食会を楽しんだ。数日間日本の財務省の改ざんに関する嘘隠しの力弁から離れての時間であった。卒業生たちが社会・世俗へ出て適応、学ぶことが始まるだろう。卒業生たちが世俗化されるのではなく、彼らがこの不正なる世俗世界を正す革命者になって欲しいと切に祈った。
大学卒業式
ピアノ練習
昨日権藤博志氏が私の講義を撮影したものを読書会で鑑賞し、留学生白君を助手として編集作業を付託した。留学生と日本語、外国語に関する問題点に絞って話した様であり、教育用の参考映像として提供したい。
先日返礼商品から選んだピアノ練習用の楽器を持って今練習している。音痴の私のもう一つの挑戦、研究の始まりである。楽譜と音の一致の教育を受けてない私、中学校と大学で理論的には作曲の基礎まで試みたことがあるが人文系入試中心の教育では音楽の基礎はない。趣味としては笛などを吹いたりしたがピアノは全く触れる機会がなかった。しかしいつも簡単にできると思っていた。それはタイプライター、コンピューターのように文字を見ないで指で覚えて打てると思っているからである。笛を吹くには息や音声の延長で微妙な調整が必要であるが、ピアノはタッチだけで十分だと思っていたが、実は音程などがはっきりしており、ハーモニーになど、より複雑なものがあると思い始めている。
小倉紀蔵氏と対談
明日萩の至誠館大学で小倉紀蔵氏と対談する。何が話題になるのか、何を聞かれるのか。準備した文章を読むのか。否、考え方を「生の言葉」「自然な言葉」で話し合いたい。今証言や喚問が話題になっているが、多くは書いた文を読むか口演する。我々の生活言葉は純粋、真実なものである。時には誇張や嘘っぽいもの、不分明、失言、妄言のようなものもある。しかし我々の生活の基礎は生の言葉である。真実があるから言語生活が成り立つ。フロイドは「失言」slipこそ本性だと指摘した。国会中継は主に棒読みが多いが、拍手やヤジなどがあって生の感がある。証言は真実の言葉で、自然な言葉によってなされるべきである。生の言葉や記憶は信用されないのか、証明がなかなか認定され難い。文書、特に「公文書」だけが主な資料とされている。しかし自然な言葉が無駄とされていけない。
比較文明学会北九州支部・関西支部&至誠館大学合同集会の開催についてこのたび比較文明学会の九州支部・関西支部と至誠館大学との共催による合同集会を下記のように開催致します。
ご参加の程、よろしくお願いします。
〇 日 時 :2018 年3 月25 日(日)14:15~16:35 申込不要
〇 会 場 : 至誠館大学 明教館1号棟(102教室)
〇 入場料:無料
〇 テーマ :いま、朝鮮思想史を語り合う
〇 プログラム
司会 吹田市立博物館長 中牧弘允(比較文明学会関西支部長)
14:15~14:20 挨 拶 至誠館大学学長 原田憲一(比較文明学会会長)
14:20~15:50 対 談 京都大学大学院人間・環境学研究科教授 小倉紀蔵
東亜大学教授・広島大学名誉教授 崔吉城
16:00~16:30 質疑応答
16:30~16:35 閉会の辞 九州大学大学院教授・板橋義三(同九州支部長)
18:00~20:00 懇親会@ホテル美萩
〇 対談者プロフィール
小倉紀蔵:1959 年東京生まれ。東京大学卒業。ソウル大学校哲学科大学院博士課程単位取得退学。専門は東アジア哲学。著書に『朝鮮思想全史』(2017 )、『北朝鮮とは何か』(2015 )、『心で知る、韓国』(2005 )、『韓国は一個の哲学である』(1998 )など多数。 崔吉城:1940 年韓国京畿道生まれ。ソウル大学校卒業。
成城大学大学院博士課程修了。文学博士。専門は民俗学、文化人類学。著書に『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』(2017 )、『植民地の朝鮮と台湾』(2007 )、『哭きの文化人類学』(2004 )、『恨の人類学』(1994 )など多数。
「教権保護だ」
私はに教壇に立っている者として前川氏の中学校での授業を文部省・国会議員が干渉したことは非常に気になっている。授業や講義は保護される教権がある。教育学講義で聞いた基本教養であり、「授業は神聖なもので侵害されるものではない」。日本では教権はほぼ宗教的に通用されているが、韓国では教育的な意味が強い。昔私がが勤務した時、陸軍士官学校では教卓にマイクが設置され盗聴されていた。
最近韓国・中央大学で教授が授業の中で「慰安婦」に触れて説明したことがメディアに取り上げられ話題になった。大学側は講義中に事例として言及したのは「教権保護だ」と明らかにした。前川氏の授業に自民党議員、文部省が関与したのは教権に関する知識が乏しいと言えざるを得ない。
「対談」
萩至誠館大学に着いたのは会議時間のかなり前であった。会場探しを兼ねて自然豊かな大学キャンパスを見物もした。ソウルから来られた平井氏と合流、会場へ、会長の原田学長が現われ、会員20余名、下関から懐かしい顔の藤川氏夫婦らが来られ、定刻に比較文明学会「対談」が始まった。私から「小倉先生へ」という題で質問から始まった。小倉氏は私が「吉田先生」と言った「先生」という言葉に韓国人から言われたのは異例であること。朝鮮侵略の思想者として扱われる吉田をどうして「先生」というのか、私曰く、朝鮮の儒学、朱子学、実学と言われても近代的な思想にいたらなかったこと、その教育がこの萩で始まったことには注目すべき、さらに教育者として意義は評価されるべき、客観的ではない学者は学者の資格がないと断言した。そして小倉氏から慰安婦問題への質問、私は日韓どちらも味方をしない。どちらかを応援する面白さがない。しかし注目はしている。萩の友人金優氏が読んだが著者の意見がないのが不満のように語ってくれた。萩には韓国からの観光客が増えて嬉しいと言う人もいた。来るのを喜ぶだけではなく、その何倍も韓国へ行くことを考えて欲しい。その往来が自然に日韓関係を友好にする。私は戦争賛美ではなく戦争から教訓を生かして、学問や教育に臨んでいると主張した。延々と長い懇親会、中牧会長と友情を深める時間であった。
萩から下関へ
ホテルで朝、多くの人を見送った。萩から下関へ帰る道は迷った。運転は朴と平井の両氏の交代、私の風水的な感覚と道路表示板への感覚が多かった。道に迷って美祢に着いた。以前花見に来たことのある黄正吉氏宅を訪ねた。桜名所にある家、全くの突然の訪問、幸運にもにチャームのベルに奥さんの声。感激と爆笑の出会い、延々と談話、拙著へのコメントもあった。日韓両方の政府関係者が読むべき、客観的であると高評してくださった。昼食は、家内も加わって下関、満珠荘。
*写真は藤川氏撮影
証言testment
昨日韓国から新しくきた留学生たちが研究室を訪ねて来た。留学生も日本の学生も新入生が多く増えたという話を聞いた。韓国の名門大学に合格した学生も来ている。嬉しい。佐川氏の証言の映像が流れる。証言はイエスの証言testmentのように純粋さと正義感がなければならない。それが信頼、信仰される。嘘と真実が混ざっても表情が変わらない、顔が赤くなる子供の顔により純粋さと良心がみえる。この証言を聞いて話し言葉への不信感が高まった。トランプ氏の言葉は乱暴かも知れないが信頼性がある。
人事異動
昨日辞令交付式に参加するよう電話があった。定年となる教授からメールが来た。人事異動の情報が新聞を埋めでいる。栄転や左遷があるだろうか。職位の上下、地理的に遠近などが移動の原理として作用する。別れと出会いがある。中には紙一枚でどんでもないところに飛ばされる人もいるかもしれない。私も多く経験してきた。転勤される人に一言いっておきたい。単身赴任をして、臨時にその場に行って、浮いた存在でいて欲しくない。是非、家族も一緒にその場に根を下ろして生活をして欲しい。時間を無駄に消耗してはいけない。転勤で点々としても、愛情と人間関係の広がりに挑戦してほしい。遠くに飛ばされる人もいる。それは左遷か栄転か考えるチャンス、そしてそれを生かす生き方をすべきである。
BBC,日本の花見 'hanami'
그저께 아침 이른 시간 영국 BBC가 일본 사쿠라 꽃구경에 대해 길게 보도했다. 천년 이상 전국민이 이런 꽃구경하는 문화는 일본이 유일하다고 하여 나는 감동했다. 사쿠라 꽃만이 아니다. 집집마다 꽃꽂이를 생활화하고 즐기는 민족이다. 나도 그렇게 하고 있다. 이런 것을 내가 한국 화훼학회에 초대되어 강연을 하면서 일본의 꽃문화를 소개하였더니 그 학회의 원로 회원 여성이 나에게 공부 더하라는 질책을 하였다. 나보고 공부 더하라는 그 여자는 누구인가. 사쿠라를 꽃 민족주의라고 비난하는 사람이 없는 것은 아니지만 꽃을 꽃으로 감상하는 것은 꽃보다 아름답다.
Springtime cherry blossom viewing or 'hanami', has been going on for a very long time although no one is 100 percent sure when it first started. There are mentions of it in Japanese writings from over a thousand years ago. Hanami is really important in Japan and the floors and walkways under the cherry trees are always packed with people enjoying a picnic with family and friends, or those just walking around taking in the beautiful sights.
著者を売る
執筆に没頭夢中になっている私の健康のために(?)散歩がてらドライブに誘われた。長府や唐戸の街道の桜が満開。車窓から鑑賞、田辺氏の事務所にお邪魔、先日の記念会で市議員のよし子氏が乾杯の音頭をしてくださったことへのお礼を述べた。田辺氏ご夫妻にはいつお会いしても嬉しい。帰り道に明屋書店にはじめて寄ってみた。山口新聞のコラムに寄稿中の鳥本志津代氏に声を掛けたかった。彼女は書店員として入社する前は、長府店の一ファンとして来店する側だったが、スタッフとして働くというエッセーを面白く読んだので声を掛けたかった。残念ながら非番の日だった。その書店に拙著『慰安婦の真実』が並んでいた。全国の書店で並べられている感があった。私も自分に必要な本を探した。多くの売られている本の題だけでは気に入った本がなかなか見つからない。本の題よりは著者の品格が気になる。「本を売るのではなく、著者を売る」という明石書店会長の言葉を思い出した。2冊の本を手に帰宅した。
予備軍大尉
今日は2018年度の始まり、嘘のし放題の日、復活節、複雑な日である。昨日が自分で宣言した原稿締め切り、自らの約束は守るということが守れない。まだ楽しい数日間が必要である。朝鮮戦争の話であるが、私自身の話でもある。陸軍士官学校で愛国心を講義した者が今はどうであろうか。変哲・変身・裏切りか、成熟・完熟化への挑戦的な執筆である。10才の私にとって戦争は辛い・楽しい体験、そこから教訓も多い。その意味について深く考える時間でもある。*写真は今朝の火の山公園
嘘と真実
부활의 첫 열매의 의미
고전 15: 2-23
1. 왜 예수님의 부활을 ‘부활의 첫 열매’라고 합니까?
죽은 자에게 큰 희망은 ‘다시 사는 것입니다.’ 예수님은 부활하셨습니다. 부활(復活)이라는 말을 문자적으로 풀이하면, 「죽었다가 다시 살아남」을 의미합니다. 그러나 예수님의 부활은 단순히 죽었다가 다시 살아난 것이 아닙니다.
나사로가 죽었다가 살아났습니다. 나인 성 과부의 아들이 죽었다가 살아났습니다. 야이로의 딸이 죽었다가 살아났습니다. 죽었던 도루가가 베드로에 의하여 살아났습니다. 바울의 설교를 듣다가 삼 층에서 떨어져 죽은 유두고는 바울에 의하여 다시 살아났습니다. 그러나 이들의 다시 살아남은 부활이 아닙니다. 왜 부활이 아닌가를 설명해 드립니다.
이들은 죽음에서 살아났지만 다시 죽을 몸입니다. 그러나 부활하신 예수님의 몸은 다시 죽지 않습니다. 『영원히 죽지 않고 사는 몸입니다』(요11:25), 『다시 사망이 없고』(계21:4).
나사로가 죽음에서 살아났지만, 다시 살아난 그 몸 가지고 죽을 때가지 세상에서 사는 동안 애통하며 곡하는 일이 없을까요? 괴로운 세상 지날 때 애통하며 눈물 나는 일을 많이 겪어야만 합니다. 아픈 일이 없을까요? 감기 들 수 있는 몸입니다. 앓을 수 있는 몸입니다. 그러나 예수님처럼 부활한 몸은 『애통하는 것이나 곡하는 것이나, 아픈 것이 다시 있지 아니하리니』(계21:4).
나사로가 죽었다가 살아났지만, 환경의 장애와 위험을 당하며 시간과 공간의 방해를 받았습니다. 대제사장들이 나사로까지 죽이려고 모의하였습니다(요 12:10). 그러나 부활하신 예수님은 시간과 공간의 장애를 받지 않습니다. 제자들이 문을 잠그고 있는 방에 예수님은 들어오셔서 “너희에게 평강이 있을지어다”(요20:20)고 하셨습니다.
나사로를 비롯하여 죽었다가 다시 살아난 자들은 다시 세상을 떠날 때까지 저주 받은 세상 온갖 죄악이 가득한 곳에 머물러 살아야 하지만, 부활한 예수님과 장차 예수님과 같은 부활하는 자는 하나님을 모시고 영생복락을 누리며 사는 것입니다.
그래서 예수님의 부활을 종말론적 부활이라고 합니다. 이러한 종말론적 의미의 부활을 한 분은 예수님이 처음이기 때문에 부활의 첫 열매라고 합니다.
2. ‘부활의 첫 열매’의 둘째 의미
첫 열매라고 하는 것은 그 다음에 나올 열매가 있다는 것을 의미합니다.
예수님처럼 다시 죽지 않고 아픔도 저주도 눈물도 없고, 시간과 공간의 제약을 받지 않고 하나님 아버지를 직접 모시고 영생복락을 누리며 살게 될 자가 있을 것을 내포하고 있는 것입니다. 곧 ‘부활의 자녀로서 하나님의 자녀’들입니다(눅20:35).
맺는 말
나사로가 죽었다가 다시 산 것과 예수님이 죽었다가 다시 산 것은 의미가 다릅니다. 나사로가 죽었다가 다시 살아났지만 현세에서 다시 살다가 또 죽어야 하는 현세적 부활(現世的 復活)이고, 예수님의 부활은 다시 죽지 않고 영생하는 종말론적 부활(終末論的 復活)입니다.
辞令
交付式で私は研究所長の辞令をいただいた。国立と私立の大学を定年してからも働けること感謝である。事務局長など定年して新しく変わり、新任の中には特任の方が多かった。私もそうであるが、定年しても働く人が多く、高齢化社会を表わしているように感じた。先日シーモール百貨店がリニューアルオープンしたので回ってみた。私が昼時間を利用して知人との談話を楽しんだ日本式食堂の「楓」が子供の遊び場になっていた。全体的に子供用のコーナーが多くなり、百貨店というより大型スーパーか、ゲームセンターのように感じた。隣接の大丸百貨店がより高級感を持つように感じた。テレビのレギュラーなども多く変わった。「顔」より「真」。より楽しくなって欲しい。
韓国からの観光客
昨日の下関は25度くらい、毎年言うことばは「もう春ですね」からもう夏になったような気候であり「春がない」といえる。今年になって初めて海の近くの公園に散歩に出た。韓国からの観光客が急増し、視野に入っているが数十人、年配女性軍団のようであるが、静かである。以前の踊り騒ぐ老女たちとは異なる。観光マナーも良くなっている。下関は港、通過点であり泊まらない。大型宿泊施設もない。観光事業の意識が高くないといえる。営業的な発想が弱い。それはそれでよし。商売、営業から自己生活中心に安定していくのであろう。
民団山口林源玉氏、黄正吉氏
新年度の多い人事異動の中に気に入ったものがある。民団山口地方本部団長に古い知人である林源玉氏、議長に黄正吉氏に変わっていることである。日韓親善関係や地域活性化にいろいろと協力できると思い歓迎する。昨日事務局長に日韓親善協会のメンバーたちと表敬訪問することを電話で伝えた。林氏は下関に来て間もないころに拙宅で夕食会を行い、以来ジェントルな人間関係の人であり、黄氏は先日美祢のご自宅に突然訪問したこともある間柄である。訪問した時の記念写真のシャッターミスがとても残念であるが、これから楽しく話す機会が多くなることを期待する。*写真は2年前黄正吉氏宅で
女性が土俵に
「女性は土俵から下りてください」というアナウンス、大相撲では女性が土俵に上がることは伝統的に禁じられているということについては批判の声が大きいかったのでここで論ずるまでもない。命の尊さに関する市民意識がテストされたと思われてよい。私は交戦中のパニックな状況で兵士たちが乱暴な行動を起こしたことについて常に考えている。規制や法を越えた倫理、正義感が必要である。私は立ち停まって人間教育を考えている。
朴槿恵氏に懲役24年
南アフリカ・ロベンアイルランドという流刑島を訪ねたことを思い出す。マンデラがそこで27年間受刑し、大統領になったのも記憶に残る。韓国の教科書で繰り返し学んだことを思い出す。島流しの政治裁判、過ぎ去っていく人を国民の意識の中に思い留め英雄化すると見ている。フィリピン人のリサールがスペインに銃殺されて民族的な英雄となった。朴槿恵氏に懲役24年が言い渡されたことは物語りなのか実話なのか分かり難い。人は誰でも裁かれる。この裁判は「政治報復」より英雄化するドラマのようである。多くの英雄は極刑、悲運で創られる。罰と恩赦の人情主義社会の見本であろう。韓ドラファンたちは生きているドラマとしてみる。私は「世相物語り」としてみている。
書評
Amazonの拙著へkodai氏の書評を全載します。
星の5.0
『慰安婦問題をとおして日韓関係の明るい未来を!-スッキリした頭をモヤモヤさせよう』投稿者kodai2018年4月6日
帯には、「本当に「強制連行」「性奴隷」はあったのか!?「悪魔の証明」といわれた難問に終止符を打つ 第一級史料から紐解いた著者渾身の書き下ろし!」とある。
本のタイトルや帯の文句を見ると、この本を読めば、慰安婦問題に対する明確な答が得られスッキリすると思わされるが、中身は正反対である。むしろ、慰安婦問題についてスッキリした考え(左派的・右派的)を持っていた人が、まじめにこれを読めば、モヤモヤすることになるだろう。
本の外装に惑わされてスッキリした答を求めて手に取った読者をモヤモヤさせる、という高度なテクニック?が使われているように感じた。この本の主題は「自分の頭で考えて、自己反省をせよ」という筆者の忠告である。そして「過去の事実にもとづいて未来の関係をどうやってつくっていくのかをよく考えよう」という提案にもなっている。
スッキリしたいという自分自身の欲望や社会文化的な圧力をはねのけて、まじめに勉強しなければ、まともな未来はつくりだせないということを強く訴えかける刺激的な本だった。
かなりよく売れているらしいが、実際、読者はこれを読んだ後に、きちんとモヤモヤできているだろうか。それが気にななって、ネット上にある感想文などを見ると、「誤読」してスッキリしてしまっている人たちが少なくない。
私としては、この本のタイトルは『慰安婦問題をとおして日韓関係の明るい未来を!-スッキリした頭をモヤモヤさせよう』としたい。これでは売れ行きが悪くなるだろうが「誤読」は減るかもしれない。
大学入学式
寒い春、今日は大学入学式がある。私もこの数年間毎年辞令を受けて、新入生の気持ちで新入生と出会い新鮮である。例年に比べ留学生も日本人の学生も増えて嬉しい。何を講義するか、考える暇もなく講壇に立つのは無責任であるが、私が歩いた世界から講義をはじめよと思っている。それは観光より深く、見物より楽しく、青年より熟した人生を語ることになるであろう。今年度のスケージュルが埋まっていく。海外旅行なども楽しいが本の出版も楽しい。昨日の定期受診で主治医は私に対してご自身のお歳を感じているとを言っておられた。誰でも健康を保つのがキーワードかも知れない。*4.2コミュニティセンター4階写真辞令交付式大学ホームページから
「モヤモヤすること」
続報:昨日本欄でkodai氏の拙著への書評「慰安婦問題をとおして日韓関係の明るい未来を!-スッキリした頭をモヤモヤさせよう」をFBに紹介した。その即後『別冊正論』31号で「モヤモヤすること」と、同様な内容の文を見つけた。この二つの筆者は同一人物か、剽窃か。メッセンジャーに問いかけたところ本人から同一人物ということが分かった。疑問が解けた。実はこの人は私の古い教え子である。素晴らしい文を読んで教え子に「負けた嬉しさ」を感じた。