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Channel: 崔吉城との対話
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セクシー

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 化粧やファッションなど美しい。セクシーと美が融和している。社会生活に「性」を出さないという常識がある。セクハラ騒ぎは社会生活に性を持ち出さない、女性の人権を守る意味がある。しかし結果的に男性から女性を危険視することになり、女性の社会活動の場や機会を委縮させるかもしれない。*写真www.tosave.com


家内の古稀

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 朝ベランダに「雀」が来て、「崔」(ニックネーム雀)が喜ぶ。雀は鉢物のサクランボにも関心があるようである。わが夫婦は例年のように昨日倉光氏の小児科クリニックの塀のサクランボを手で取りながら食べた。初夏の香りを味わった。家内の古稀祝いに遅ればせながら昼食を共にした。「やすもり」で焼肉定食を食べながらデザートをサービスでいただいた。私の誕生日より粗末ではあるが感謝の昼食であった。家内は20代、私は31才で出会って感謝の年月を過ごしている。連休中は二人で次作の仕事に熱中するつもりである。

金正恩スヘアータイル

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 先日中国から来た青年が金正恩スヘアータイルだった。その訳は中国で流行していると。南北会談の前のことだったので今は大流行ではないかと想像する。金氏は世界的なアイドル、人気絶頂である。粛清、殺人者というイメージから、敵から味方への「劇中の劇」、平和賞の話もある。冬のソナタから竹島上陸と慰安婦へ急低下の日韓関係はどうなる。拉致から友好へ、日本と北朝鮮の改善を望む。

海峡祭り

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 風の強い海峡祭りは海岸野外舞台で行われた。ほぼ日中そこに座っていた。ギャグコメディから上臈道中、そして前田晋太郎市長の閉会挨拶まで忠実�な観覧参加者であった。華麗な着物、高い下駄をはいて盛装の女郎役者たちが風と戦うように踊り、。その仕草で苦労美が演じられた。面白く楽しく見た。残念なのは持っている傘を開かない男性の姿である。昨年も同様だったが以前は開いた赤いに傘に花魁の姿がとても美しく印象的に残っている。夜は卓球の試合の視聴、なんとも幸せな忙しい一日だった。

大邱汎魚教会牧師一行

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昨日 4000人規模の大邱の泛魚教会から牧師をはじめ4人が20人足らずの下関教会を訪ねて来た。その教会はカンボジア、南アフリカ、日本に宣教師を派遣している。韓国はキリスト教が復興し、このように世界に向けて宣教をしている。それに比して日本の教会は韓国から多くの宣教師を受け入れている状況である。
 泛魚教会から派遣されて30余年間牧会をしている隣の宇部教会の崔栄信牧師が彼らを案内してきた。彼は偶然にも私の教え子の夫でもあり、私が心臓手術の時、死んだら葬式をしてくれと頼まれたという話をもって私を紹介しながらひとこと、私に言葉を誘った。私は全く偶然教え子が牧師の妻であり、その出会いの話、信仰と学問で生きる話をした。彼らは韓国の田舎の開拓教会に来たような印象を語ってくれた。

騒音に我慢している住民

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 留学生3人と一緒に教会に出席した。帰りに大学の研究室で彼らの生活ぶりに耳を傾けた。留学生たちが多くなり人口少ない下関に一助をすると思ったら住民に迷惑をかけるとも思われる話があった。一部の留学生たちが一般のアパートなどで暮らしているが深夜か徹夜しながらか高い音響、歌などで騒ぐので住民はもちろん留学生同士でも迷惑になっているという。
 以前広島大時代にも新学期のはじめころにあった現象と似ていると思った。金君は騒音に我慢している時ドンドンとノックされて「たまねぎありますか」といわれたときは深夜3時だった。多文化主義を訴えることは難しい。

古川薫氏の葬式

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 連休中コンピューターが不調、昨日長時間電話相談と指示によりやっと直った。読者には大変失礼をした。また昨日は気が重かった。直木賞作家、下関の最高文人の古川薫氏の葬式に参列した。享年92歳、長生きと思われるかもしれないが残念なことである。300余りの多くの参列者は恐らく自分の死を考えたであろう。式を司ったのは功山寺の有福住職、念仏が長く、偉い業績を語り、ゴーンとドラの音の響き、極楽へ入る開門の音、私は韓国の梵唄に聞こえた。長男と奥さんは故人を回顧した。歌人である奥さんは夫の薫氏が作品の執筆中には夢中、脱稿して「解放」され花と喋などを見ながら平安な時を楽しんだと、長男は白石について書く時、人生全体を書くのではなく、人生の部分を自分の人生に合わせて書くものであるといわれたと。短い話と涙、私は自分の人生と執筆を考え、感動した。多くの知り合いと目礼、ある人は私の「天声人語」(本欄)を期待すると。

ある神父さんの日記

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 研究所の蔵書を分類しながら立ち読みをするのは仕事か遊びか。日韓文化交流基金から寄贈していただいた本の中から意外に関心が持てるものがある。昨日はその中から一冊を手にして精読している。『韓国での仕事の日:田舎司祭の日記から』と訳してもよさそうな英語の本Korean Works and Days:Notes from the Diary of a Country Priestである。韓国の農村での生活を書いてあったので視線を注いで読み始めた。ソウルの南の地域、読み続けると安仲という辺鄙な田舎の地名のことが書かれている。それは一般読者とは違う私に関心があるところである。私はその当時、そこにいたからである。私が大学を卒業して初任地の所だったからである。安一商業高等学校の教師をしながら大学院での論文を書き、飲食の夕食会に参加せず研究に注力した時を思い出した。その時カソリック神父さんと会ったような、その名前にも記憶があるRichard Ruttの著書である。村の生活文化を細かくリアルに描いている。日本時代のことにも触れている。私はそこから陸軍士官学校へと寂しい別れをしたことを新たに思い出す。


エレベーター外交

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 人間関係ではすべてが上手くいくはずはない。時には仕事上でも関係が悪くなることがある。その時どう対処するかはその人の生き方であろう。以前にも本欄で書いたがエレベーター外交がある。私が広島大学に転職したのもエレベーター内の対話で決まった。仕事上の意見違いでまずくなった人と久しぶりにエレベーターの中で二人っきりになった。「敵は丸太橋の上で会う」状況であった。私から挨拶のことば、何十秒間で和解した。救われた気がする。敵であった金正恩と文在仁の談笑の場面のテレビを見た日本人が不思議だという表情で私に聞きにくる。私には謝罪が多い国、和解が難い日本、理解できない。

表敬訪問

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 私は下関に住み始め『下関を生きる』という本を自作出版し、積極的に生きると言った。昨日は新しく山口民団団長になられた林源玉氏と韓国教育院長の孔淑子氏を表敬訪問した。院長のハングル授業も覗いて見た。民団は教育には消極的、ただ文化教室のようなものをもっている。日朝国交が正常化すると朝鮮学校を多く持っている総連は存在感を強く発揮するだろうと予感している。在日も変わる時がすぐ来るだろう。林氏は民団の組織力が低下していると言う。
 北朝鮮の金正恩氏が「日本は拉致問題をなぜ直接話をしてくれないか」と言ったという。アメリカや中国を通して依頼、圧力をかけるが直接ぶつけ合うことをしない。日本人の一般的な交際方式がそのまま国家の外交方式にもなっている。日本はより積極的に外交をすべきであろう。朝鮮半島の南北が統一あるいは平和共存するように変わると民団と総連の敵対対置も変わるか、変わらなければならない。
 林氏とは下関に来て早くからの付き合いであり、彼の有名な食堂「大学ラーメン」でご馳走になった。

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 日本を悪く言ういわば反日文化圏においても日本人は正直・勤勉と思われている。私は韓国育ち、経験的に知っている。「帝国日本」の悪さとは相反する肯定的な遺産である。長く日本に住んでも変わらず正直な日本人だと思っているが、証人喚問などを聞いて失望し始めている。日本人の正直さが今私に問われている。失言や妄言があっても正直な人を私は信頼している。文章より「生の言葉」には正直さが表れる。私は子供の時嘘をついて顔が赤くなってばれたことがあった。嘘をつくには表情の管理が難しいことを知った。上手く嘘をつくのが成熟であろうか。*写真はnews.livedoor.com

「日本研究特別賞」

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< お知らせ>

外国人の方(帰化一世を含む)による優秀な日本研究を表彰しており、今年は先生の「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」を「日本研究特別賞」授与作品として選出することが決まりました。

というメールをいただいた。

田植え

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 昨日宮廷儀礼の一つとして農耕神をまつる新嘗祭の一つとして田植えのニュースがあった。農耕儀礼に関する私の修士論文を思い出す。我が家で行ったシャーマンの巫俗儀礼の中には演劇的な儀礼が多かった。その一つに牛の模型を作って中に二人の男性が入って踊るものがあった。長い台詞がある。私は面白く感じ、修士論文にまとめ、文化財専門委員としてこの儀礼を無形文化財に指定して今は有名になった。
 宮中儀礼との比較のために、朝鮮王朝時代の「仮農作」に関する論文を1969年陸軍士官学校の論文集に発表した。それは誰からも注目されることはなかったが、故金宅圭氏がそれをほぼそのままの内容で論文とした。最近また他の若手学者が金氏の論文をそのまま引用したので私が抗議したことがある。後日改正されたというが確認はしていない。剽窃の多い時代であった。

堀晃

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 昨日は下関市立美術館に足を運んだ。私の下関での太い人脈の一つは下関市豊浦町の堀家、その一家の兄弟が有名な画家である。堀研と堀晃である。最近90才で亡くなられた堀麗子氏の次男の堀晃(ほり・ひかる)展に行った。約束でもしたようにご夫婦が展示場におられて嬉しかった。作品に感動した。彼は車いすと酸素を使っておられた。体力が低下した分、精神力が高まると力強い作品への意欲たっぷりであった。麗子氏が海辺に、アトリエを作った話を聞き、二人の画家を育てられたすばらしいお母様を思い出した。昨日は母の日でもあった。

平和には不和

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 私もいつか聖地巡礼をしようと思っているエルサレム、アメリカがイスラエルの首都とする大使館移転宣言式が行われ、祝賀と暴動が起きた。以前からキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地、三つの宗教の聖地とされている。それぞれこの聖地を独占しようとする。ユダヤ教の「嘆きの壁」、キリスト教の「聖墓教会」、イスラム教ではムハンマドの昇天「モスク」が聖地の焦点のである。
 エルサレムは不和と危険な聖地である。宗教的に平和と救いの3宗教の聖地での暴動で犠牲者が多く出た。不和と葛藤のエルサレム、皮肉な感がする。平和を愛する宗教が紛争、自爆テロなどを犯している。平和と愛を利用して敵対心を強化するののだろうか、平和には不和が表裏となっているからであろう。聖書を読みたくなった。


「先生の日」

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 今日は5.16軍事革命の日、昨日は日本にはない韓国の「先生の日」だと例年のように韓国と日本から感謝の電話とプレゼントで知らされた。また、17回目とまだ新しい600余年前の世宗大王の誕生日に因んだ記念日だったという。先生とは多くの業種の中の一つであり、特別に扱われることではないかもしれないが教育尊重の意味がある。
 韓国が教育の力で早く近代化されたのは事実である。ある学生は韓国の高校ではハーバード大学の教材を使っているという。それに私は教育は学校教育だけではない教育educationを含む社会化socializationの意味があること、ごみの捨て方、夜中静粛、教養、生涯教育を含む広義の教育と定義し、説明した。社会化=世俗化、知識偏重、洗脳教育はどうなる。先生の日の悩みである。

 

5.16軍事クーデター記念日

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 昨日は5.16軍事クーデター記念日だった。その日、私は大学2年生、前夜墨井洞の派出所が爆破されたのを見て、歩きながら様子を見た。東大門の前の広場に戦車が2台(?)と軍人が挙銃している姿を見た。ラジオでは「革命公約」が繰り返されていた。民主化運動の結果、独裁化になるという矛盾と悲運を感じた。テレビに映る朴正熙氏の印象は非常に良くなかった。国家の将来に失望していた。独裁経済、永久政権欲、暗殺、そして民主化が進んだ。セマウル運動などで高度成長を成し遂げた。独裁と民主化が現在の韓国である。北朝鮮はどうなるか。

「嘘はつけない」

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 読書会に新しいメンバーが入った。家内の犬友から院生へのキャリアウーマン、70代の女性、東アジアの文化交流に関心のある社会人入学の大学院生。知識欲旺盛、研究所に案内した。6月日文研研究会参加のために井上章一編『性欲の研究』を読了した。性と美いわば「セクシー」なモダンガール、不倫文化の流入などが分かった。
 昨日は礒永氏が軍人日記を紹介した。日記には「嘘がない」という前提。メモもせず「記憶にない」という政界の流行語。今の学生は日記はもちろん、書かない。全てが記録されるから。指紋、DNA,防犯カメラ映像など膨大な真実を残している。「嘘はつけない」。

「竜馬四重奏」

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 車から降りて数メートルの距離、そこでも傘を用意してくれる家内に皮肉ぽっく思ったがその傘に助かる皮肉ぽっくなった昨日の午後はひどい雨だった。講義、定期健診の後、夜には「竜馬四重奏」へ、笛、三味線、バイオリン、鼓の「四重」が韓国のサムルノリ(4物芸)を連想、歓喜の境地へ至るようであった。その世俗を離れ、垢を清め、神秘なる境地へと脱魂するシャーマニズムの歓喜のナンジャン(乱場)へというクライマックスの時間であった。

「傍観」

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 犬との散歩道で2人の知り合いに出会って立ち話をした。一人は研究会などに参加する人、もう一人はアルバイトに行く留学生、私の顔が広くなったのか、町に空き家が増えて「むら(村)」に変わったのか。村は顔見知り同士の生活、隣人愛で生きる。隣人には干渉しない、「傍観」の心情を持っている。中途半端のようなものであり、中立的ともいえる。私の傍観哲学(?)は戦争体験からの教訓だと寄稿した文が届いた。東洋経済日報の連載「民草の願いは平和」である。

 

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