あるフェースブック友の青年の文、非常に稀な良い若者の文を読んだ。彼は韓国で地方国立大学出身の人文学・日本学を専攻したし、軍服務中の方である。思考深い名文であるのでシェアし、コメントもした。
私の20代を振り返る。難しい時代シャーマニズムを研究をし、それで食べられるとは夢にも思ったことがない。ただソウル大学師範大学は、教師職が保証されていて、研究は、趣味に過ぎなかった。日本留学をして、帰国して、大学の日本学科の教授となり、「親日派」と学生たちから後ろ指された。初めての被差別経験であった。それを克服するために、日本の植民地を研究した。多くの本を出した。親日派という非難や差別を克服しようとしたが、むしろ広く深くなった。しかし、多くの良い読者を得た。その世界で反日の一番高く、強い韓国から出発し、アイルランド、南アフリカなど旧植民地を訪問し、思考した本『帝国日本の植民地を歩く』を出した。本当に人生いろいろ。
以下は東洋経済日報2019.10.18掲載の紀行文である。
ノーベル賞
崔吉城
2003年8月17日福岡からパリへ、翌日ソルボンヌ大学のギリモーズ教授の研究室を訪ね、秋葉隆氏の遺稿など資料をいただき、次の日にはアムステルダムのアンネフランク家、又翌日ライデン大学でブレーメン教授、ワラベン教授らと談話、インドネシア植民地展観覧、さらに次にストックホルムのウプサラ大学、そしてノーベル賞ホールに立ってみた。世界的には注目される所だが私には素朴なホールにすぎなかった。
スウェーデンに移民した友人の崔炳殷画伯はサンタクロースの世界化について一生懸命に説明した。フィンランドがスウェーデンのものを先取りし、サンタクロース商品として世界一になったことに対し、不満をもらしていた。スカンジナビア半島北部のラップ族からのものであると言っておられた。彼は韓国からの養子を題材にし、韓国語で小説も書いた。私はその本の後書きを書いた。彼は韓国から科学分野のノーベル賞が一つもないのか残念であると繰り返し話をし、高銀氏や金大中氏らの業績、作品をスウェーデン語で翻訳するなどもやっていた。
今年、日本では吉野彰氏(71)がノーベル化学賞を受賞した。日本ではほぼ毎年の事、祝賀ムード。「太陽光や風力などの変動の激しい発電技術が普及しやすくなる」という。多くの国はその日本の研究成果、回路などをコピーし、商売繁盛している。感謝すべきである。世界が喜ぶべきことである。
一方韓国ではとても残念である。「韓国では高校生が2週間インターンをして医学論文を手軽に書けるというのに…なぜ」と投稿した人もいる。しかし例年と異なる反応も現れている。「日本がうらやましい」「日本に学ぶべきだ」といった声が相次ぐ。東亜日報は、日本で科学分野でのノーベル賞受賞が24人目となることを挙げ、基礎研究を重要視している日本に学ぶべきだと書いている。そして吉野氏が実現した小型で高性能の充電池は、韓国にはなくてはならない。「日本に追いつく」「日本に負けない」と国民の対抗心を煽り、「反日や国粋主義に陥っているようではノーベル賞はほど遠い」という。日本の研究の伝統はどのように作り上げられてきたのかを知るべき、知識を作り出す過程に焦点を合わせて考えれば、研究がどのように行われているのかを見るべきだともいう。
私は韓国での大学教授の経験から言っておきたい。韓国の研究者・学者たちは政治的出世欲が強く、研究が長く続かない。高校までの教育の知識は兵役で白紙化、教授になっても政治家になる夢が強い。教授とは政治家として出世の中間点に過ぎない。大学の教授から政治家になるのは韓国では一般的な現象である。私が卒業したソウル大学師範学部の教授たちもそうであった。大臣(長官)になった先生も数名いた。李王朝の科挙の伝統である。多くの教授は定年してからは研究を止めて故郷で農園をもって余生を暮らすのが理想である。研究は労働であり、そこから早く解放されたい。
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