私がブログ、フェイスブックなどのSNSに毎日投稿するのは、長年の私の日記習慣から来たものである。だから特に用意した文ではないものが多く、何んとなく日記のように書き留める。私はすでに他人の日記を読んで拙著などで紹介したことがある。ある期間、彼はほとんど「起きて食事して寝た」ということだけを繰り返し書いている。私はそれが日記だと思う。他人に読まれるに値しないのが日記である。ところが、その部分が人が生きていく重要な部分だと思う。今コロナ危機で多くの人がこの日記のように家で過ごす人は多いだろう。イライラする日常だが、感謝すべき貴重な時間である。
ここ山口も感染者が増えてとても萎縮した雰囲気ではあるが、昨日小さなボランティアをした。 研究室を,刑務所面会室のようにアクリル板を二重にして,窓を開けて対話をした。相手の質問と少しかけ離れた私の対応、ただ平凡な退屈な日々の中の楽しいひと時になった。
わたしのフェイスブックに、たびたび書き込みをしてくれる人がいた。彼の反対意見などに私は誠意をもって答申をしたのに,突然公開すべきではない悪口を書いて,私は「友」を消した。しかし、 彼は非難ばかりではなく、批判もする人だと考え、再び友に戻そうとしたが駄目だった。他の友の助けでいろいろな方法を講じたが、戻らなかった。再び友になることを希望する。
ここ山口も感染者が増えてとても萎縮した雰囲気ではあるが、昨日小さなボランティアをした。 研究室を,刑務所面会室のようにアクリル板を二重にして,窓を開けて対話をした。相手の質問と少しかけ離れた私の対応、ただ平凡な退屈な日々の中の楽しいひと時になった。
わたしのフェイスブックに、たびたび書き込みをしてくれる人がいた。彼の反対意見などに私は誠意をもって答申をしたのに,突然公開すべきではない悪口を書いて,私は「友」を消した。しかし、 彼は非難ばかりではなく、批判もする人だと考え、再び友に戻そうとしたが駄目だった。他の友の助けでいろいろな方法を講じたが、戻らなかった。再び友になることを希望する。