まだ先のことと思っていた日程が近づいてくる。具体的には時と場であるが、それより何をもって考えるかという思考のことである。読書は良いがテレビなどメディア媒体が邪魔をする。人の話を聞くのも良い。丸山教会で宇佐神正海氏の創造に関する3回連続、研究会があるということで参加した。彼は84歳の耳鼻咽喉科の医師であり牧師である。宗教と自然科学の接点を持つ方である。聖書は聖霊の予言であり、説明書に過ぎないというのが趣旨、ヨハネの黙示録を歴史年代記的に自由放任>律法>福音へ人類史の信仰的な進化過程を例示した。そこには信仰はあっても科学は感じない。ある人は「盲信だ」と言った。参加したある牧師は難しいと囁いた。
夜郵便が届いた。山口大学の名誉教授、参議選立候補者であった纐纈厚氏からのお手紙と2冊の本が同封されている。読書感想は後にすることにし、私信ではあるが拙著『雀様が語る日本』(新典社)と『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』に関するもの、本格的な書評といえる内容である。私にとって勇気づけられたコメントであり、本欄の読者にも公開したい。
(前略)『雀様が語る日本』は、先生の御人柄が随所に惨み出ていて、とても清々しい思いを抱かせて頂きました。韓国と日本とを跨ぐ先生の歩みをリアルに追体験させて頂くことができました。特に、「I雀様「日本人」を語る」では、先生の本当に濃密な人生の歩み踏まえつつ、鋭い洞察力と温かい眼差しから綴られた文章は、日本への愛情溢れる内容でした。日本人である私にも、いま一度日本人としての自覚と責任感のようなものを痛感させられた次第です。
韓国と日本の文化比較考として、多くの気付きを頂戴し、目から鱗が落ちる思いに駆られました。なかでも、「八 日本はもう先進国ではない」と「九日本はまだ先進国である」の節は、とても印象に残りました。何を基準にして「先進国」とするかの問題に、人間の成熟さを指摘され、併せて相互扶助・相互信頼・相互批判が担保された社会こそ、私たちが目指す社会である、と説得力ある文章で諭されているように思いました。
「Ⅱ 雀様「文化」を語る」は、先生の広範な行動範囲と多様性を大切にされる視点からする本当に豊かな文化考であり、先生の博識ぶりに感動すると同時に、あらゆる事象に先生の個性溢れるアプローチから、ユーモアをも交えながら淡々と語られた章に思いました。なかでも、先生が本当に多くの方々と交流され、豊かな歩みを築かれていることに、研究者・教育者として後輩の我が身を思い返しつつ、なお一層精進しなければならない、との思いを抱かせて頂きました。
御著書に登場する山口大学教育学部の卒業生である古川薫先生とは、私も著書を頂戴したり、謹呈させて頂いたりの御付き合いを頂戴しております。昨年には山口大学創基200周年(山口大学は1815年創設の藩校である山口講堂を源流としています。東大と東北大に次いで日本の国立大学では三番目の古い大学となっています)の折り、古川先生には基調講演をお願した縁もあり、その後には大学教育機構長(副学長)として共通教育の責任者であった私か古川先生に大学での講義をもお願いしたこともございます。また、山大の図書館長であった私は古川先生にお願して、先生の著作150冊ほどを寄贈頂き、大学には「古川薫コーナー」を設置しています。200冊以上の著作を出版されている古川先生の御仕事を知る上でも、山犬図書館は希有の存在になっていると自負しております。
また、李恢成先生には、私か理事を務める植民地文化学会(会長は元法政大学教授の西田勝先生)の学会に二度ほど御登壇をお願し、取り分け李先生の『北であれ南であれ我が祖国』をも俎上に上げさせて頂きながら、深い議論させて頂いたことがございます。私も国内外を通して人との交流を大切にしていきたいと思っております。先生の交流の多様さや深さには、到底及びませんが、交流を通して学問や人間を豊かにしていくこが出来るのだ、と先生御白身の体験を踏まえて仰っているように拝読致しました。
Ⅱの章を拝読していて、政治学者でもある私にとりまして、特に学ばせて頂いた個所がございます。それは、「一七 司法と政治」(pp.203-210)と、「一八 戦争と平和」(pp。211-231)の二節です。「専門家然とする政治家たちが践雇する国会中継を見ながら、私はいつも諦めることなく民主主義を望んでいる。」(p.208)との下りに、痛く感動致しました。私も劣化する日本の民主主義を何とか成熟させたい、との一念で参議院への出馬に踏み切った経緯もございます。また、権力の横暴ぶりに、「鬼が金棒を乱暴に振っているような感がある。」(p.210)と鋭い指摘をされているのにも全く同感です。
「一八 戦争と平和」において、先生の歴史認識の深さが随所に垣間見えて、とても充実感を覚えました。「敗戦を教訓に、日本は完全に「敗北」したと認識すべきであろう。」(p.226)とか、「当時の日本人は敗戦しても「敗北」はしていないと考えたのだ。」(同上)との御指摘は、私の近現代日本政治史研究のひとつの到達点でもあるだけに、“我が意を得たり”、の感を持ちました。
この他にも先生の講義方法など参考になりました。私も山大時代に副学長として文科省と交渉を重ねながら、当面は共通教育授業を対象にして、アクティブラーニング方式の授業形態を積極的に導入し、文科省から一億円余の予算を出して頂き、固定机から可動式机をメインとする教室へと改築作業を進め、学生のプレゼンや学生間のコミュニケーションに便宜を図る機材を設置することに成功しました。(後略)
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『雀様が語る日本』
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