下関港に表れた姜氏夫婦はまず私の健康回復に驚く表情をした。彼も80歳で健康な学者、名家の生まれ育ってアメリカ留学し、多くの職場を移りなら国際的に活躍した友人である。人情と研究のバランスを取られている人、彼は私と韓国文化人類学会創立何周年記念に講演したといわれた。しかし私は覚えていない。彼は人との絆を大事にする人情の深い人、この度久しぶりに教壇に二人が登場した。主題はオリンピックであった。彼は初頭を日本語、そして本学の魏鐘振准教授が通訳を務めてくれた。
オリンピックには肯定的、否定的機能の両面があるといい、まずリフェンスタール・レニー監督の1936年ベルリンオリンピックの映像でマラソン優勝者孫氏が当時の朝鮮人でありながら日本国籍者として「日本」ということから植民地の負の遺産の話をした。大東亜共栄圏の悪夢があり、東アジアでワンアジア共同体はふかのうであろう。しかし肯定的な面がより多いと。クベルタンが主張したオリンピック精神によってスポーツ教育の重要性を強調した。ギリシャ古代オリンピア遺跡では平地でデルファイ神殿、その上に劇場、その上に運動競技場の配置について宗教、芸術、スポーツの総合的な意味を語った。オリンピックは開催都市が主であり、国家が主ではないと指摘した。しかし国旗を持つこととなったという。
私は国家宣伝のような行事よりスポーツ種目自体なかではスケートや水泳などが音楽や舞踊を取り入れるような変化があることを指摘して議論したかったが国家の行事の総合芸術の議論になった。アベマリオと小池の写真で日本、そしてメダル競争を象徴するようなイメージがあった。二人の学生がコメントを発表した。オリンピック中休戦、自分との闘いなど重要な点が指摘された。またフェースブックからコメントもあったが議論する時間はなかった。いずれ講義の中で議論を続けたい。私は広く深く、なお新鮮な講義であったと高く評価した。後に私の研究室では市民から東亜大学の学生のレベルが非常に高いといわれ、嬉しくなった。教員の研究力も高いということを付言した。姜先生ら倉光誠氏に寿司をご馳走になった。